暁の大地

73.死闘/私闘

 強さと弱さ。優しさと残酷さ。愛情と憎悪。
 人の心は、常に矛盾した二つをはらんでいる。相対する二つが、せめぎ合い、葛藤し、己の進むべき道を見出す。
 時には迷うこともある。間違うこともある。立ち止まることもある。
 それで良い。それが、人という存在だから。悩み、考えること、それが生きると言う事だから。
 だが。それでも……
(――許さない)
 人の弱さにつけ込むことだけは。苦しみを利用することだけは。
 人の心を弄ぶことだけは!
「貴様……」
 手にしていた長剣を握り込む。何故、自分が剣を手にしているのか。刃を他人に向けているのか。考えることもない。迷うこともない。
「貴様あああっ!」
 ダレットは躊躇わずに、長剣をリュシウスに向けて振り下ろした。
 その速さは、今までの比ではない。
 真剣を振るのは、いつでも命がけだ。だが、それでもダレットは、今まで『相手を殺さず、自分も死なない』という考え方でやっていた。それでも生き残ってこれたのは、ひとえにダレットの技量だが……その制約がなくなればどうなるか。
 真剣で相手を殺さないようにするには、寸止めするしかない。だが、『斬り下ろす』つもりで振り下ろすのと、『止める』つもりで振り下ろすのでは、どうしても剣を振る速さに差が生じる。相手への甘さが、技の威力を減らしてしまう。
 それ故に、今まで発揮されることのなかった力。本来の実力が、心の中の戒めが外れたことで全て露わになっている。
 これこそが、ダレット・コルフォースの真の力だった。
 リュシウスは、それを受け流しつつ横へ跳ぶ。まともに受けていたら、自分のレイピアが叩き折られてしまう。
(……強い!)
 続けざまに放たれる斬撃に耐えながら、リュシウスは心の中で呟く。
 ダレットは……おそらく、今まで見た誰よりも強い。どれほど強いか、見極めが付かない。自分よりも強いかもしれない。
 ダレットにとんでもない力を与えている力、怒りと憎悪は……ある意味、自分が持っている感情と同種のものだ。たった一人を得る、その目的のために手段を選ばなかった自分と、怒りのために全てを忘れ去っているダレットと。
 恐怖が走り抜ける。それでも、逃げ出すわけにはいかない。ダレットの刃を受けるべきは自分だ。
 全ては、自分の為したことの結果なのだから。目を背けるわけにはいかない。たとえ、どんな結果になろうとも。
 リュシウスは、ダレットの長剣を受け流し、あるいは避け、時折鋭い突きを繰り出す。それはダレットも紙一重で避けている。
 どれくらい、それが続いただろうか。勝負がつかないと思ったのか、ダレットはやおら後ろに下がると、長剣を肩に引いて構えた。
 カシュラルには見覚えのある構え方だ。射剣術……剣を投げつける邪道技。
 手から離れた剣が、リュシウスに向かって走る。面食らいながらも、リュシウスはそれを避けた。剣が、側の壁に突き刺さる。
 唯一の武器の剣がなければ、ダレットはもう何も出来ないはずだ。捨て身の一撃にしてはお粗末な話だった。
「…………?」
 リュシウスが眉をひそめる。ダレットは剣を投げつけるなり後退すると、側にあった棚から自分の愛用の長剣を取った。そのまま構え、再び間合いを詰める。
 ダレットが今まで使っていたのは、先ほど倒した兵士から奪った剣だ。悪い剣でもなかったが、やはり愛用の武器というのは使い勝手が違う。本来の力を発揮出来る、出来ないは、武器にも依存する。
 そのために、ずっと奪い返す機会を狙っていたのだ。
「成る程」
 リュシウスが苦笑した。
 愛用の長剣が、自分の身体の延長にも感じられる。完璧な一体感。
 ダレットは、再びリュシウスに向かって突っ込んだ。

 ブランシュが後ろに下がり、ウィレムが前に出る。二人の基本の位置だ。
 剣士のウィレムが接近戦、魔導士のブランシュが後衛を担当。典型的ではあるが、その分破りにくい構えである。
「ち……」
 長柄戦斧を構え、サリクスは舌打ちした。
 一人一人が相手ならば勝てる。ウィレムは戦士としては自分より劣るし、魔導士たるブランシュは、接近戦においてはそれほどの技量は持たない。魔法を使われる前に間合いを詰めれば良い。
 だが、『二人』が相手であることが問題だった。お互いの弱点を補いながら戦う術を、この二人は持っている。
 ウィレムが一気に間合いを詰めてくる。エストクの鋭い剣先を、サリクスは体さばきと長柄戦斧の柄で受け流した。サリクスが攻撃に出ようとする前に、ウィレムは跳んで後ろに下がる。
 重量のある長柄戦斧は、一撃一撃は重いが、その分機敏さには欠けるし、仕掛ける際の隙も大きい。対してエストクは、その機敏さが身上だ。加えてウィレムは、キルファに匹敵するほど身軽である。
 あまりにも相性の悪い相手だった。しかも……
 ブランシュが後ろで何か呟いている。その正体は、考えなくとも分かる。
 呪文だ。
 ブランシュが呪文の詠唱を終わったのを見て取り、ウィレムが後ろに後退する。が、ここで離れれば魔法の一撃がくる。サリクスは必死で追いすがり、間合いを維持した。
 間一髪。サリクスのすぐ後ろに、氷の矢が突き刺さった。ブランシュが舌打ちするのが分かる。
(ちくしょう……このままじゃジリ貧だな)
 しのぐことは出来ても、攻撃する手段が見つからない。一撃でも読み損なえば終わりだし、このままではいずれ体力が尽きる。
 長柄戦斧を振り下ろす。が、ウィレムは軽々と跳んでそれを避けた。サリクスが長柄戦斧を引き戻すより先に飛び込み、エストクでの一撃を繰り出す。
「そろそろ疲れてきたんじゃない?」
 ウィレムがからかうように笑いながら言った。長柄戦斧の空振りが続いているために、息が上がってきている。重要のある長柄戦斧は、そう長くは振っていられない。
 元々、余程に実力が拮抗してでもいない限り、それほど長く撃ち合うことなどないのだ。
「うるせえな」
 サリクスは言って、長柄戦斧を突き出す。首筋をかすめるようにして放たれた一撃を、ウィレムはエストクで流すように受けた。正面から直撃すれば、エストクが叩き折られる可能性がある。
 そのまま、サリクスは長柄戦斧に体重を載せ、力を押し込む。力勝負ではサリクスに分がある。このまま転倒させて、柄を叩き込めばそれでウィレムは動けなくなるはずだ。
(まずは一人……)
 ぎりぎりとせめぎ合ったまま、サリクスは思う。が。
『顕れよ・護りの壁よ・全ての災厄より・我を阻め!』
 ブランシュが魔法を起動する。
(……防御魔法?)
 魔導士を中心に防御壁を展開する、それだけの魔法だ。普段は魔導士を中心に球状に展開するのだが、この場でブランシュを護っても、何の意味もないはずだ。
(何、考えてやがる……!)
 答えはすぐに分かった。
 障壁は、ブランシュではなく、ウィレムを中心に起動した。起動した直後、爆発に等しい速さで広がった障壁は、まともにサリクスを叩いた。小規模な爆発のようなものだ。
「がっ……!」
 障壁にまともに吹き飛ばされ、大柄なサリクスの身体が地面に叩きつけられた。地面を数度転がって、ようやく止まる。長柄戦斧を手から離さなかったのは、ひとえに意地の賜物だ。
 舌打ちして起き上がろうとする。が、そこに追って走ったウィレムが迫っていた。
 一度しか使えない、騙し手のような戦法だ。だが、一度使えれば十分だった。ウィレムは勝利を確信し、エストクを地面に向かって繰り出した。
(ここでやられてたまるか!)
 腰から短剣を引き抜いて投げつける。キルファの使うような投擲用のものではなく、ごく普通の、握って使う型である。ウィレムはあっさりとそれを叩き落とすが、時間稼ぎには十分だった。サリクスはその隙に跳ね起きる。
「はあ、はあ……」
 軽口を叩く余裕はない。長柄戦斧を構えるサリクスの額に、一筋、汗が流れていた。

 怒りにまかせた一撃が、立て続けに迫ってくる。かなりの数を撃ち合っているはずだが、いっこうに動きは衰えない。おそらく、疲労すら自覚していないのだ。
 だが。
 あくまでも感情に流された攻撃故に、技こそ鋭いが動きは単純だった。突っ込み、振り下ろすだけ。数手撃ち合えば、先を読むのには十分だった。
 ダレットの攻撃を受けるリュシウスには、徐々に余裕が生まれてきていた。最初は一方的に防御に回っていたものの、ダレットの裏を掻き、攻撃を仕掛けている。常人離れした勘と条件反射だけでダレットはそれを避け続けているが……
 レイピアの切っ先が頬をかすめた。一瞬遅れて、頬に紅い珠が浮かぶ。が、ダレットはまったく痛みに気づいていないらしく、すぐにまた攻撃を仕掛けてくる。
「ねえ……」
 一番遠心力の小さい部分、長剣の鍔元にレイピアの刀身を食い込ませ、リュシウスは言った。
「あなたは、私を殺して……それから、どうするつもりなんです?」
 ここで怒りにまかせてリュシウスを殺すことは出来る。だが、それですぐにキルファが見つかるわけもなし、取り戻せるわけもない。分が悪い賭けではあるのだ。だが。
「黙れ」
 ダレットは取り合わない。そのまま押し退けるように前に踏み込み、同時に剣から片手を離した。
「…………っ!」
 体当たりに肘打ちを混ぜた一撃。リュシウスは辛うじて身体をひねり、それを避けた。大きく間合いを取り、またレイピアを構える。
 剣での戦いに素手での攻撃を混ぜるような真似は、通常はやらない。刀剣と素手での戦闘は、間合いが違うからだ。破れかぶれの攻撃ではあったが、不意打ちとしては有効だった。
 これもまた、邪道と呼べる戦い方だ。何よりも正統を尊ぶ帝国騎士としては、異端の剣術だった。カシュラルはその理由を知っているが、リュシウスは知らない。
(この男は……)
 何者なのだろうか。ダレットの貌を見つめ……リュシウスは目を見開いた。
(――これは)
 見たことはない。だが……リュシウスは確信した。
 ダレットの瞳の色。殺気のみを宿した色。これは――自分が宿していた狂気と同じ色だ。
 手段を選ばなかった自分と、後先考えずに突っ込むこの男と。結局は同じなのだ。
「…………」
 似た者同士の争い。だったら尚更、自分は逃げるわけには行かない。
 自分の中にも狂気があるから。たった一つ、望んだものと……未来を見てみたいと。歩いてみたい、と。
 どんなにちっぽけな望みだろうと――それが、自分の全てだ。世界とすら引き替えにしても良いと思うほどの。それは、自分に何よりも強い力を与えてくれる。
 だから、何と罵られようと死ぬわけにはいかない。――死にたくない。
(死んでたまるものか!)
 向かい合う双方の瞳に、まったく同じ光が浮かんだ。

(……気付いていないのか?)
 目の前で死闘を繰り広げる二人の男を見つめながら、カシュラルは呟いた。
 自分に手を出せる戦いではない。出してはいけない気がした。
 ただ見据えることしか出来ない。だから、気付いていた。
 ダレットとリュシウスの決定的な差。
 ダレットが抱いているのは完全な殺意だ。目の前の男を倒す……殺すことしか、それだけしか考えていない。対してリュシウスは、狂気じみた眼の奥に潜む別の色がある。
 おそらく罪悪感だろう。カシュラルはそう思う。リュシウスは……無理矢理、それを無視しているようだが。自分を悪役に仕立て上げて、己を欺こうとしているようだが。
 自分で言ったとおり、分かっていたのだ。自分のやったことの意味を。人々を欺き、ずっと苦しんでいた少女の心を利用したことの罪を。
 だから、自分できっぱりと言い切った。己への罪状として。
 本来は優しい男なのだ。自分が誰かを傷つける、そんなことに耐えられる男ではない。それを抑え込んでまで狂気に身を委ねたのは、ひとえにカシュラルがいたからだ。
 自分の望みを捨てることは出来なかった。だが、その過程を捨て去って幸せに浸りきれるような男でもない。噛み合わない心。
 だから……
 徐々にダレットがリュシウスを追いつめていく。一旦は優勢に立ったはずだが、また防戦一方に回っていく。何回も撃ち合って、息が上がってきている。何回も剣先が身体をかすめ、無数の小さな傷を生んでいく。それが、動きを鈍らせる。
 もう……結果は明らかだった。

 ぎんっと甲高い音が響く。
 長剣とレイピアが斬り結ぶ。もはやそれが何度目なのか二人とも覚えていない。双方ともに相当体力を消耗しているはずだが、動きが衰えることはない。いや、同じペースで体力が奪われているため、結果として均衡が崩れていないのだ。
 こうなれば、後は精神力の勝負である。どちらがより長く、立っていられるか。この点が、ダレットとリュシウスの間に決定的な溝を生んだ。
 鍔迫り合いの状態から、ダレットは強引に長剣をひねった。並の使い手ならば剣を弾き飛ばされているところだが、リュシウスはそんなことにはならない。
 だが、ダレットは力一杯両腕を伸ばし、剣を握る拳を突き出した。体術とも言えない、ほとんど子供の喧嘩のような手段だが、柄頭を腹に叩き込まれ、リュシウスがわずかに後退した。自分の長剣の刃が当たり、ダレットの方も顔に小さく切り傷ができている。
 まったく構わず、自分もわずかに後ろに下がりつつ、ダレットは自分の長剣にレイピアの刀身を絡ませ、床に叩きつけた。腹を殴られて腕から力の抜けていたリュシウスは、いきなり上から力を加えられ、手から剣を離してしまう。
 床に叩きつけた自分の長剣を素早く引き戻すと、肩に担ぐようにして構えた。射剣術と似ているが、わずかに構え方が違う。
 手に持って使うべき長剣を投げつけるには、剣をかなりの速さで打ち出すことになる。そうでなければ、重い剣が宙を飛んで相手に突き刺さるわけがない。それには、瞬間的にとんでもない膂力が必要になる。
 その射剣術を、ほぼ接触距離から撃ち出せばどうなるか。
 凄まじい力で撃ち出される切っ先。それは、強力な刺突技となる。無論投擲とは訳が違うから、多少の調整は必要になるが。
 刺突は強力な殺人技だ。そのために今まで使うことのなかった、ダレットの奥の手。師に教えられたものではなく、自力で編み出したものである。
「…………!」
(これで――終わりだ!)
 全身のばねを使って繰り出される一撃。銀色の剣先が、残像の尾を引いてリュシウスに向けて疾った。

 そして。
 黒髪がさらりと揺れた。  

 

 
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