76.遥かな記憶
少年の言葉に、ダレットはまず胡散くさげな視線を向けた。
「俺が、殺した?」
冗談ではない。今もまだ、手にカシュラルを貫いた時の感覚が残っている。柔らかく、それでいて刃を押し返そうとする嫌な感触。二度と味わいたくないし……よりにもよって、キルファにそんな真似をした覚えなどない。
大体が、あのエルフの二人組……ウィレムとブランシュに彼女を連れ去られてから、まったく顔を合わせていないのだ。一回だけ<鋼鉄の女神>の前で見つけたが、即座にリュシウスに連れ去られてしまった。
「どういうことだ?」
問いかけつつも、ダレットが少年に向ける視線は問いなどではなく、激しい憤怒を含んでいた。気の弱い者ならばそれだけで殺せそうな視線。だが、少年に動じる様子はない。
「知らない方が幸せってこともあるんだけどね……」
ダレットの神経を逆撫でするようなことを言いつつも、かすかに眉を寄せている。どう話したものか、考えているのだろう。
「だ・か・ら! 何があったのかって聞いている!」
ダレットは長剣の柄に手を掛ける。下手をすれば、また抜いて斬りつけそうな勢いだった。
「無駄だよ。その武器はあくまで生き物に使うものでしょ? 僕には通用しない。似たようなものを、以前に見てるはずだけどね、あなたは」
「…………?」
ちらりとダレットの脳裏を既視感がかすめる。確か、以前に何処かで同じ言葉を聞いた。
『そんなもので、僕に傷をつけられるとでも、本気で思ってる?』
そう言ったのは誰だったか……
「――あ!」
ダレットは思わず手を叩いた。
「あの魔物だ! 俺が大怪我したときの……」
勢い込んで言い、それから慌てて長剣を抜いた。切っ先を少年に向ける。
「と言う事は、何だ、お前も魔物か? そう言えば、あの連中はやたらとキルファを目の敵にしてたよな。お前もその一員か? 通用しなかろうが何だろうが知ったことか、今すぐ叩き斬ってやる……」
「それも違うよ」
少年は笑い、ぱたぱたと手を振った。
「確かに、僕はあの、あなたたちの言う『魔物』と似たような存在だけれども。あれとは違うよ。むしろ、あれの最大の敵」
何かを含んだ口調で言う。ダレットは、もう一つ思い出したことがあった。
「そういや、キルファの目……紫の瞳を見てやたらと激昂してたな、あいつら。お前はその、やたらと嫌われる紫の目か」
紫の目と言えば、ハーフ以外にはいないはずだ。だが、もしハーフの他にも紫の目をした連中がいて、あの魔物はそちらと対立していたとしたら?
「……もしかして、お前の巻き添えか? 俺たちが死ぬような思いをしたのは」
「そう言えなくもないし、間違いでもある、かな」
少年は首を傾げて言った。持って回った言い回しに、ダレットの額に青筋が浮かぶ。
「ああもう、とにかく全部説明しろ!」
とうとうダレットは怒鳴った。この少年が何を言わんとしているのか、まったく分からない。
「……そうだね」
ややあって、少年は苦笑して呟いた。
「あなたには、全てを知る権利があるかもしれない。……この子が望んだ人なら」
一瞬だけ傍らのキルファに視線を移し、少年はダレットを見据えて笑った。
「ただ語るだけじゃ分かりにくいかもしれないから……映像を付けるよ。まあ、挿し絵程度に思ってくれたら良いかな」
少年は良い、ぱちんと指を鳴らす。
次の瞬間、辺りは暗闇に包まれた。
「……な……?」
ダレットは呟いた。
自分がいるのは、確かにあの部屋のはずだ。移動した覚えはない。
だが、自分の目の前には確かに平原が広がっていた。澄んだ青空に、緑の大地。だが、風や匂いといった手触りはまったく感じられない。
「あなたには慣れないかな。でも、これはただ映像をあなたに見せているだけ。僕の記憶の中から作り出した、ね。過去の一部の再現だよ」
気が付けば、隣に少年が立っていた。キルファの姿が見えないが……おそらく、自分は部屋から動いてはいないのだろうから、近くにいるのだろう。
あまりに非現実的な光景だったが、牢に放り込まれ、二人の死を目撃したせいで、ある種の開き直りのようなものがあった。今更、何を驚くものか。
「ふうん……」
少年の説明を適当に聞き流し、ダレットは前に視線を集中する。何か、遠くに動くものが見える。
誰かが争っているのだ。少年が操作しているのだろう、視点が動き、その一群に近づく。
ダレットは目を見張った。
どちらもほとんど変わらない姿をしている。だが、どちらが『敵』でどちらが『味方』なのか、はっきり区別が付いた。
基本的には、人間とあまり変わらない。だが、一方は少年と同じ、長く尖った耳に紫の瞳をしており、もう一方は額、または側頭部に小さな角を持っていた。尖った耳の人々と、角を持つ人々が争っているのが分かる。
「あれは……エルフ? それにしても、目が紫だし……」
片方を見て、ダレットは首を傾げる。尖った耳には見覚えがある。だが、角を持った種族など、いただろうか?
(……あ)
次の瞬間に思い出した。以前に自分に瀕死の重傷を負わせた魔物。あれは、この人々と同じ角を持っていたはずだ。
「これは、遥か昔の出来事。あの人たちが……あなたたちの言う、<天人>と<魔人>だよ。当時は違った名前だったけどね。<天人>と<魔人>って言うのは、後世の人たちが付けた名前だから」
「…………!」
ダレットは思わず目の前に視線を釘付けにした。小さい頃に聞かされた伝承が蘇る。
遥か昔、この大陸には<天人>と<魔人>という二つの種族が存在していた。
二つの種族は、長い長い間、互いに争っていた……
「……それが、これか」
息をのみ、ダレットは呟く。
現在の『魔物』は、かつての<魔人>種族が残した遺産である。もし、彼らが自分たちの姿を模した魔物を作ったとすれば、成る程、角を持った人間の姿になるわけである。
目の前の争いの残骸。それが、あの悲しい運命を背負った『魔物』たちだったのだ。
目の前で繰り広げられる戦いに、気づいたものがあった。一人が杖を振れば雷が発し、爆発が起きる。
「あれが……遺産か?」
現在は魔法の道具は作れない、とキルファが言っていた。だから、『遺産』は得難いものなのだと。
「あなたたちからするとそうなるね。まあ、あの人たちにとっては普通に使われている道具だけど」
ただの映像のはずなのだが、音もなく迫り来る炎の塊に、ダレットは思わず一歩後ずさった。一瞬、自分が炎に飲み込まれた錯覚を覚える。
とんでもない威力だ。エルフの魔法にしても、ここまでの力はない。
「……なあ」
思い出したように、ダレットは訊いた。
「この……<天人>と<魔人>か? ……どうして争ってるんだ?」
ダレットの問いに、少年は複雑な表情で笑った。
「人間とエルフを考えてみれば分かるでしょう?」
「…………」
ダレットは黙り込んだ。言われてみれば、人間とエルフがどうして長きに渡って争っていたかなど、あまり考えた覚えがない。
肯定はしない。けれど、当たり前の事実だと自分も認識していたのだ。それに疑問を抱けるとしたら、おそらくはキルファだけだ。
少年が何かを呟いた。一瞬、辺りが暗転し、映像が切り替わる。
以前、鎮圧戦……もとい、殺戮劇の起こってしまった、アウィス平原に似た場所だった。開けた場所で、先ほどの二つの種族が争っている。が、その人数が桁違いだった。
音はない。だが、あの戦場の怒号、悲鳴が聞こえてくるような気がした。おそらく、双方がともに全力をそそぎ込んだ、最終決戦なのだ。
突如として、風景の一部が歪んだ。
尖った耳の種族の後ろ。陽炎のように歪んだ空間から、何かが現れる。
銀色の、とてつもなく巨大な何か……
「<鋼鉄の女神>……!」
その姿に見覚えがあった。ダレットは思わずうめく。
「そう。あれが、<鋼鉄の女神>。天人種族の最終兵器」
それは、伝承にも伝わっていることだった。となれば、あの尖った耳の方が、<天人>と言う事か。
以前に見たそのままの姿で、<鋼鉄の女神>は大地にその姿を現す。そして、その銀色の身体が光った。
次の瞬間、巨大な白い光の球が現れる。光球はまともに大地に突き刺さり、大爆発を生んだ。その跡には、ぽっかりと大きな穴があいている。
「うわ……」
あまりの威力に、ダレットはうめくことしか出来ない。額から、一筋汗が流れた。
もう、勝負は明らかだった。<鋼鉄の女神>に、魔人種族は為す術を持たない。たった一つの存在が、大勢の人々を蹴散らしている。
「最終兵器のお陰で、天人種族は勝利を収めた。けど、それでめでたしめでたし、とはいかなかった」
少年が言う。次の瞬間、また映像が切り替わった。
いたのは、一人の<魔人>だった。中年の男だ。だが、その身に纏うものと雰囲気が違う。他の者を寄せ付けない厳粛で重々しい雰囲気。
直感的に悟る。この男が、<魔人>の王だ。
『我らは……負けるのか。この、長い長い争いの果てに』
ごつごつとした声で、王はうめくように言った。立派な鎧を着ているが、それもあちこちが欠け、従うべき武将は誰もいない。どう見ても、敗軍の将だった。
『もう、我らに争う力はない。あの兵器とやらに、抗う術はない……』
呟く。次の瞬間、横から兵士がなだれ込んできた。<天人>種族の兵士だ。
王は、側にあった大剣を掴んで立ち上がった。それを構えると、何人もの兵士が一様に脅え、後ずさった。
『ふん……小者どもが。手負いの者一人、ろくに殺すことが出来ぬか』
嘲るように言う。そして、手にした大剣の切っ先を自分に向けた。
『ここでわしは死ぬ。だが覚えておけ。我らの力がなくなるわけではない。
絶望だけを味わい、遥か未来の果てに滅びるが良い。醜い同士討ちの果てにな』
朗々と、宣言するように言うと、王は剣を自らの身体に突き立てた。
その傷口から、白い光が溢れだす。光はどんどん強くなり、青空を白光で覆い尽くした。
残った天人種族たちは、恐れおののいた表情で魔法が発動するのを待った。一度起動さえしてしまえば、魔法は魔導士が死亡しようと発動する。
だが。
光はしばらく空間を覆い尽くしていたが……やがて、徐々に消え失せる。何も起こりはしない。爆発も何も。
「……へ?」
その様子を眺めていたダレットも思わず拍子抜けし、間の抜けた声を上げる。
「……何がやりたかったんだ? 結局」
思わず呟く。だが、その一言に少年は顔をしかめた。
指を鳴らす。また、映像が切り替わった。
平和な時代が訪れるはずだった。
遥か昔から続いた争いに終止符を打った。<魔人>種族は滅んだ。もう、敵はいない。
そう。もう、争う相手などいないのだから……
人々……勝利した<天人>種族はそう思った。
だが。
勝利の果て、新時代を築くべく生まれてきた子供たちを見て、人々は驚愕し、恐怖した。
生まれてきた子供たちの中には、天人の特徴たる長い耳を持たない者たちがいたのだ。長い耳を持っていても、その鮮やかな紫の瞳は失われていた。
長い耳を持たない子供たちは魔法が使えず、持つ者は使えたが、その力は天人の比ではなかった。力のほとんどを失ってしまったかのように、魔法は弱かった。
当然、人々はその原因を追及し……やっと、思い至る。
あの、魔人種族の王の最後。命と引き替えに発動させた魔法が、呪いとなって人々に降りかかったのだ。
人の身体に関する魔法はいずれも高度なもので、そう簡単には使えない。それを、大陸にいた全ての<天人>に対して同時に仕掛けたのだ。己の精神と引き換えだったとは言え、流石に一つの種族の王である。
人々は大混乱に陥ったが……もう、取り返しはつかなかった。
残った天人種族たちも、いずれは死ぬ。そうすれば、後に残るのは能力を持たない、『出来損ない』とでも言うべき子供たちだけ。
何故、魔人の王が二種類に子供たちを分けたのか、その理由はすぐに分かった。
姿と能力の異なる子供たちは、互いに争いを始めたのだ。姿、能力。些細な差である。だが、両者に溝を作るには十分だった。
成る程、魔人からすればそれは『同士討ち』だろう。最後に降りかかった呪いの正体は、しばらくの年月を経てようやく明らかになった。
ようやく、人々は悟る。
永劫の時間の、戦いの原因を。
人は誰しもが、一人では生きていけない。だから、大勢の人々が力を合わせて生きようとする。前に進もうとする。
大勢の人々が力を合わせるには……寄り添うには、どうしたら良いか。何が一番簡単か。
単純だ。『自分たちと違う』ものがあればいい。その差を見せつけることによって、自分たちの結束を確認する。
だから、人々は自分と違うものを憎む。恐れる。そして、『同じ』もの同士で固まり合おうとする。ある種の自衛行動だ。
自分と違うものを認めるのは、本当に恐い。自分が望むものを、相手は憎んでいるかもしれない。相手は、自分が恐いかもしれない。
だが……その恐怖を乗り越えないことには、前に進むことは出来ないのだ。
「耳が長くなくて、魔法が使えない連中と、耳が長くて、魔法が使える連中……?」
ダレットは呟いた。首を傾げ、そして手を叩く。
「人間と、エルフ……」
「そういうこと」
少年が肩をすくめた。
「ってことは、<天人>の出来損ないの子孫が、人間とエルフってことか」
ようやく合点がいった。あの廃城で出会った魔物が、キルファではなく自分を「出来損ない」と呼んだ理由が。言われてみれば、納得できる話だ。
「でも、俺たちはそんなことは知らないぞ?」
「それだけの時間が流れてるからね。それに、昔の指導者が故意に消したんじゃないかな。敵対する人間、もしくはエルフが、元々は同じ種族だったなんて言ったら、都合が悪いだろうからね」
帝国騎士だったダレットは、直接国政に携わっていたわけではない。だが、王城に出入りして何人もの貴族を見ていれば、その雰囲気のようなものは何となく想像がついた。
人々を治めるために人々を謀る、それすらも容認しなければならない世界。
「成る程……」
ダレットも肩をすくめた。
かつて、自分たちに乗り越えられなかったもの。「心」を持つが故の弱さ。
天人たちは、自分の子供たちにはそれを乗り越えることを望んだ。そうでなければ、本当に、同士討ちの果てに滅びてしまうから。
だから、一つの仕掛けを施すことにした。もし、乗り越えられた者が現れるならば、その手助けとなるように。
人々は、その仕掛けをこう呼んだ。
夜明けの世界――『暁』と。
