暁の大地

80.闇を撃ち抜く光

 自分に生きている価値などない。自分が今までやったことは、ただ人を傷つけ、苦しめ……殺しただけ。
 それだけしかない。それしかない存在が、どうして生きようなどと思える?
 思えば……それは、自分が傷つけたものたちに対する冒涜だから。どうして、一人だけがのうのうと生きていられるだろう。
「俺の顔が見たくないってのならそれでもいい。俺は二度とお前の前には姿を現さない。
 だが、一つだけ。
 お前の価値なんぞどうでもいい。他人がお前をどう思おうと関係ない……
 お前自身はどう思うのか。それだけは答えろ」
 冷然とした口調でダレットは言った。
 キルファの冷ややかな表情が揺らぐ。
「自分の価値、って言ったよな。自分に価値なんてないって。
 当たり前だよ。自分自身に価値を見出せない奴が、どうして周りに自分の価値を認めさせられるものか。お前を無価値にしていたのは、結局、お前自身……」
「放っといてよ!」
 キルファが叫ぶ。両手で顔を覆って、歯の根が噛み合わないほど震えている。涙こそ流していなかったが、今にも泣き出しそうに見えた。
「何であんたにそこまで言われなきゃならないのよ! 何の権利があって、そこまで他人に口出しするわけ? そっちこそ答えなさいよ!」
「それくらいの価値は、俺はお前に見出しているから……かな」
 ダレットは静かに答える。ここで動揺するわけにはいかない。躊躇ってはならない。絶対に。
 キルファの表情が、また揺らぐ。まるで猫の目のように、ころころと表情が変わる。
「だとしたら、それは買いかぶりよ。とっとと帰りなさい」
「買いかぶりかどうかは、俺が決める。お前に言われる筋合いはない」
 ダレットは言ってため息をつく。
「言われなくても分かるじゃないの! あんた、人の記憶をさんざん覗き見してたみたいだからね!
 いい例がリュシウスよ。あんた、ここにいるってことは、あの男にも会ったんでしょう?
 昔は虫も殺せないような男だったのよ? 間違っても、復讐なんて言えるような奴じゃなかった。でもあたしに全部奪われて、あそこまで様変わりしてしまった。二年間を潰してね。
 あたしが、どれだけ人生を狂わせたか……」
 言って、またがたがたと震える。それで分かった。
 何を言われようと、キルファはあの『兄』が好きだったのだ。だからこそ責任を感じたし、そして……
「あの男を変えたのがただお前だけだと思ったら、それはお前の傲慢だよ」
 ダレットは静かに言った。
「リュシウスがああなった……生き方をまったく変えたのは、ただあの男がそう望んだからだ。自分自身でそうしたからだ。
 誰も、他人の生き方になんて責任は持てないだろ。自分が無価値だって言うなら、リュシウスにそこまでお前が影響を与えられると思うか?」
「あんた、何でそこまで……」
 キルファが眉をひそめ、そして言った。
 ダレットは押し寄せる罪悪感を必死に抑え込み、告げる。
「リュシウスの最期の言葉だよ。……『妹』を頼む、だと」
 意味が分からなかったのだろう、キルファは一瞬動きを止め……そしてまた表情を変える。
「最期って……まさか」
 キルファの顔が、傍目にもはっきりと分かるほどに青ざめる。唇が震えている。
「……死んだよ。あの男は」
 ダレットは、それだけを呟いた。
「何で……」
 キルファは呆然と呟き、しばらく震えていたが……やがて、弾かれたかのようにダレットに詰め寄って胸倉を掴む。もっとも、身長差があるので、ぶら下がっているようにしか見えなかったが。
「ちょっと! リュシウスが……死んだ? どうしてよ! 何で、あの男が死ぬ理由なんて……どういうこと? 答えなさい!」
 ダレットをがくがくと揺すって喚く。
「俺が殺したようなもの……って言ったら、やっぱり傲慢なのかな」
 ダレットはぽそりと呟く。キルファが顔色を変えた。
「あんたが……何があったのよ。返答によっては容赦しないわよ……答えなさい」
 一転して静かな……しかし、明らかな殺意を含んだ低い声で言って寄越す。
「どうして、リュシウスがあんなに様変わりしたんだと思う? ……表面上だけは」
「…………?」
「多分……今でも、本質的にはお前の知っているリュシウスのままだったんだろうな。人を憎めるような奴じゃなかったし、人を陥れて喜べるような奴でもなかった。
 ただし……目的のために手段を選ぶ奴でもなかった」
 ぴくり、とキルファの眉が跳ね上がる。
「詳しいことは俺も知らない。でも、あの男にもたった一つだけ、欲しいものがあったんだろうな。そのために、自分自身まで誤魔化して悪役になった。お前まで利用する道を選んだ……
 けれど、目の前でそれを失った。お前の言うように、そこで自分自身の価値を見失った……」
 その後まで口にすることは出来なかった。だが、キルファが察しないわけがない。
 ダレットの服を掴んでいた手をぱたり、と落とし、呆然と立ち尽くしている。
「何で……」
 それだけを呟くのが精一杯だった。
「何があったのよ……ねえ、何が。
 おかしいと思ってた。ずっと何かこらえるような顔をして、必死に自分を抑え込んでいるような感じがして……
 何が、やりたかったの……? あの男……」
 ぼんやりと呟く。
 考えてみれば……リュシウスが何をやりたかったのか、などはあまり知らない。いつも母親と一緒にいたし、母エレナの手伝いをしているところくらいしか見たことがなかった。いつも穏やかな顔をして、淡々としていた。
 それで、当たり前だと思っていたが……
「俺も知らない。あの男が何を考えていたかは、もう誰も分からない。
 でも」
 ダレットは自分の両手を見つめる。まだ、真っ赤な血が付いているように見えた。
「俺がリュシウスを殺そうとして、カシュラルを手に掛けたこと、それだけは事実だ」
「カシュラル……?」
 キルファとカシュラルが顔を合わせたのはただの一度、ラインガルドから飛び出したときだけだ。それだけなのだが、一度見れば忘れられない強烈な印象を持った女性だった。
 黒髪、黒瞳の絶世の美女の姿を思い出し、首を傾げる。
「何で、あんたがあの人を……だって、確か将軍補佐……」
 キルファはそこまで呟き、それからはっとした顔で自分の胸に手を当てる。
 自分の母親。禁忌と知りながらも、人間の男と出会い、愛し合ったエルフの女。リュシウスはそのエレナの側にいたエルフ。エレナをどう思っていたのかは分からないが。
「あの馬鹿……まさか」
 こわごわ、ダレットを見上げる。ダレットは無言。だが……それはつまり、肯定だった。
「母さんが、どれだけ苦労してたか……知らないわけじゃないのに」
 医術という得難い技術を持っていたが故に、エレナは辛うじて生き延びた。死ぬ思いで一人の娘を育てた。普通ならば、同じ轍は踏むまい、とそう思う。
「理屈だけで全部割り切れたら……誰も苦しむ事なんてない。分かってはいても、納得できないこともある。むしろ、世の中なんてのはそんなことだらけだ」
「あんたって、変に時々悟ったようなことを言うわよね……似合わないわよ、まるで」
「そうかもな」
 睨み付けてくるキルファに、苦笑して応じるダレット。
「俺は悟ってなんかいない。何も分からないよ、どうしたらいいのかも、どうすれば良かったのかも。
 ただ、一つだけ分かるとすれば……」
 王都を飛び出して、あちこちを見て回って。さんざん死ぬ思いをして、色々な人物と出会って、痛みを経験して、償い難い罪を犯して。
 一つだけ悟ったことと言えば。
「決断した時点で、全てが決まる訳じゃない。後で『あれで良かった』と思えるようにするのは、その後の自分自身だ」
 分岐点に立って、一つの道を選んだとして、そこで全てが決まるわけではない。それは出発点に過ぎないのだから。
 後で選んだことを後悔しないだけ、それから必死になれば良い。ひたすらもがいて、結果を求めれば良い。あがいた過程は、決して無駄にはならないから。
「過去は取り戻せない。前にやったことは、決して消えない。
 だから、『どうすれば良かったのか』を考えるんだったら、そこから前に進むように考えろ。これからどうすれば良いのか、ってな」
 二年前の事件。今でも思う。何もしなければ良かったのではないか、と。
 自分が何もしなければ、誰も死ぬこともなかった。誰も傷つくこともなかった。
 けれど……
 あの時、何もしなければ――自分は死んでいた。
 それで、自分は納得出来たか?
「…………」
 昔なら、それでも良いと思えたかもしれなかった。生きる意味などなかったから。自分に、生きる価値などなかったから……
 でも。
「一つだけ言っておく。
 お前の側にいると決めたのは俺自身だ。他の奴が何を言おうと関係ない」
 誰かが、自分の側にいてくれるなら。全てを知った上で、それでも。
 ――側にいていいよ、と。
 言ってくれるのなら――
「……あたしは……」
 少しだけ、見出せるかもしれない。自分の生きる価値を。
 こう思えるかもしれない。
 生きていたい、と……
「お前のせいで死んだ人間ってのは、たくさんいるんだろ? そいつらにしてみりゃ、お前がいきなり悟ったように死んだんじゃあ、拍子抜けするだろ。
 鬼でも悪魔でも構わない、それだけの因縁と業を背負って生きてみろ。重いけれど……背負った上で歩いてみろ。
 潰れるかもしれない、と今から後込みするような奴じゃないだろ、お前は?」
 言って、ダレットはにやりと笑った。
「やっぱり、似合わないわよ……そんな台詞」
 いつの間にか、目尻に涙がたまっていた。見られないように拭いつつ、ダレットを見上げる。
「前は、一人で偉そうなことを言ってたけどな。今度は俺も同類だ。
 怒り狂って、何も知らないで斬りつけた。カシュラルを手に掛けて、リュシウスを死に追いやった。それだけは事実だから……
 一人よりは二人の方が良いだろ、こういうのは。二人だったら、早くに道が見つかるかも知れないし」
 のんびりとダレットは言う。
(……本当は)
 こんな御大層なことを言う資格などない。キルファと同じように、押しつぶされて当然なのだ。
 だから、キルファに向けているのは、自分が言って欲しい言葉だ。どんなに重いものを背負っていても、生きていく権利だけはある、と。
「……さて、そろそろ決めろ。あの<叩くもの>とかいう奴に力を借りてるが、限度があるらしいからな。
 どうする? ここでおとなしくして死ぬか、泥沼だと分かっていても戻るか。どっちにしても付き合ってやるよ、最後までな」
「そこで偉そうな口聞かないでよ。あんたが勝手に付き合うって決めたんだからね、あたしは責任持たないわよ」
「……それで良い」
 キルファの言葉に、ダレットは微笑んだ。
 そう。これがいつものキルファ。愚かしいほどの優しさと繊細さと……しぶとさを併せ持った少女。
 キルファはかすかに笑う。
 ダレットはその少女に向かい、静かに左手を差し出した。わずかな既視感を覚えつつ、告げる。
「生きていこう……この命が尽きるまでは」
 何人であろうといつかは死ぬ。その定めから外れるのは、命を持たないものだけだ。
 だからせめて、やがて訪れるその瞬間までは。
「……ん」
 キルファは照れくさそうに笑い、その手を取る。実体を持たないにも関わらず、その手のひらは不思議と温かかった。
(……ああ)
 キルファはふと思い出す。今、自分がここにいる始まりの出来事。
 いつも……自分の前に開く扉は、この差し伸べられた手だった。
 閃光とともに扉が開く。
 白い光が世界を埋め尽くし、意識は暗転した。

 白い閃光が視界を埋め尽くす。暴れ狂う力の奔流が、三人を飲み込む。
 それから、どれだけの時間が経ったのか。
「う……」
 サリクスは、よろよろと立ち上がった。戦斧を杖のようにしてようやく足元を安定させる。見回すと、辺りの地面に抉ったような穴があいていた。それに、焼け焦げたような跡。
「自分のやった事ながら……」
 今更ながら、サリクスは思わず呟く。冷や汗でも出てくるかと思ったが、あちこちに火傷を負ったせいか、ひりつくような痛みしか感じられない。
 足元にはウィレムが転がっている。自分よりも数段ひどい負傷を負っているようだ。ぴくりとも動かない。辛うじて、生きてはいるようだが。
「何……なの……?」
 向こうで声がした。気怠さを覚えながら見遣ると、赤毛のエルフの女がぼろぼろになって立ち上がろうとしている。ブランシュだ。
「何を……やったわけ? 種明かしくらい……してくれても、良いんじゃない……?」
 ブランシュは一級の魔導士だが、それでも状況が理解できないらしい。まあ、サリクスとて、キルファがいなければ思いつきもしなかっただろうが。
「魔法の『場』の反動……暴走だよ。一度に近距離での発動を要請されたもんだから、混乱して受け手なしの反動を起こしちまったんだな」
 そこまで言えば、ブランシュにも理解出来た。壮絶な顔をしてサリクスを睨み付ける。
「まあ、賭けだったけどな。あんたら二人を一度に相手にする方法が、これしか咄嗟に思いつかなかった」
 言って、足元のウィレムを視線で差す。
 爆発に気付いたブランシュは咄嗟に受け身を取れたし、サリクスはウィレムが盾になった。が、サリクスに戦斧で抑え込まれていたウィレムは動けず、背中に爆発を食らう羽目になってしまったのだ。サリクスもそれを狙ったのだが。
「出鱈目ね……ほとんど」
「俺もそう思うよ」
 投げやりに呟くブランシュに、苦笑してサリクスが応じる。身体のあちこちが痛んだが、戦斧から手を離し、小剣を引き抜く。
 一気に間合いを詰め、ブランシュに剣先を突き付けた。
「さて。これで……終わりだな。出来れば、ここで退いてくれると有り難いんだが」
「そうね……そう出来たら楽かもね」
 ブランシュが呟く。その右手がかすかに動いた。背筋に寒いものを感じ、サリクスは反射的に身体を反らす。
 黒い何かが、首のすぐ横を通り過ぎた。
「私も、相棒をやられてあっさり投降するわけにはいかないの。格好悪いでしょう?」
 ぼろぼろの顔でにやりと笑い、ブランシュは言った。その手には、黒いダーツのようなものが握られている。
 スティレットと呼ばれる、極細の小剣だ。錐に似ているが、一応、刃もついている。刃が黒いのは、毒か何かが塗ってあるからだろう。
「手段を選ばないのは私も同じ。だって、ここは試合場じゃないもの。手の内を全部見せるわけもない……」
 言いつつ、ブランシュは踏み込んで更に一撃を加えようとする。その根性だけは大したものだが……
「……悪いな」
 サリクスは呟きつつ、スティレットの一撃を避けると右手を伸ばす。首筋を叩かれ、ブランシュはあっさりと意識を失った。
「…………」
 それを見届けてから……サリクスは大きく息を吐き、地面に座りこんだ。  

 

 
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