暁の大地

82.道

 頭上に青空が広がっている。手を伸ばせば届きそうなのに、決して掴むことは出来ない。
 未来というのもそんなものではないか。部屋を後にして建物の外に出、陽光のまぶしさに顔をしかめつつ、ダレットはふとそんなことを思った。
 歩いていけば未来に辿り着けると思うのに、歩いても歩いてもまだ先が見える。生きているというのはその繰り返しだ。それが見えなくなるのは、ただ死ぬ時だけ。
「…………」
 自分は一体、伸ばした手の先に何を見るのだろうか。とりとめのないことを考え、ダレットは小さく息を吐いた。
 周囲を見回せば、騒がしい怒鳴り声が聞こえてくる。それも当然だろう。もう、捕虜……ダレットが牢を脱走したことは知られているはずだ。指令を出していたリュシウスが死んでいることが分かり、騒ぎが更に大きくなるのも時間の問題だ。
「さて、どうしたものか……」
 牢を逃げ出したそもそもの目的はキルファとカシュラルの奪還だった。キルファは取り戻したが……カシュラルは自分でそれを拒んだ。となると、次はどう動くべきなのか。
 と、こちらに向かってくる人影が見えた。
 リュシウスに指示を仰ぎにきた兵士だろうか。反射的にダレットは長剣に手をやった。その一瞬後、もう完全に身についてしまった習慣に、密かに自嘲する。
「…………?」
 しばしその人影を眺め、ダレットは眉をひそめた。様子がおかしい。走ってくるわけでもなく、やけに動きがふらふらとしている。
 どうしたら良いか分からず、ただ立っているだけのダレットたちの前で、その影は見覚えのある姿となった。
「……あ」
 思わずダレットが呟く。
 その人影は柄の長い長柄戦斧を杖のようにし、ふらふらとこちらに向かって歩いてくる。サリクスだ。
「何なんだその、『……あ』ってのは。忘れてたとか言ったら張り倒すぞ」
 しっかりダレットの呟きは聞こえていたらしく、ようやく二人の側にまでたどり着いたサリクスは、恨みがましい視線でダレットを睨んだ。
「……サリクス?」
 事情を知らないキルファが目を丸くする。
「よお……嬢ちゃん。久しぶりだな。久しぶりのついでに、ちょこっとばっかし手当てしてくれると有難いんだが……」
 サリクスは、見るも無残といった様子だった。服はぼろぼろで、身体中に傷を負っている。それでも凄惨さが感じられないのが、この男の特徴かもしれなかったが。
「放っときゃそのうち治るわよ。元々あんた、未知の生物並に体力馬鹿でしょうが」
 キルファはにべもなく言い放つ。口ではそう言いつつも、サリクスに近寄って傷を覗き込み、顔をしかめた。
「しかしよくもまあ、これだけ怪我できたもんね。熊と猪とついでにウサギあたりが続けて踏みつけたら、このくらいになるかしら?」
「まあ、ウサギってのだけ正解だな」
 キルファの言葉に、サリクスは苦笑しつつ答えた。続いてダレットに向き直る。
「まあ、何とかなったみたいだな?」
「何とか……か」
 ダレットは、サリクスの言葉に顔を伏せた。サリクスは首を傾げる。が、次の瞬間に思い切り悲鳴を上げた。
「痛っ! もう少し丁寧にやってくれ……」
 キルファが力加減を間違え、思い切り傷のある腕を掴んだのだ。サリクスが文句を言おうとキルファを見下ろすと、彼女ははっきりと分かるほど震えていた。
「……何だってんだ?」
 サリクスは思わず呟くが、二人の様子に、理由を聞くのは躊躇われた。
 誰も何も言うことが出来ず、しばしの沈黙が流れる。と、再び誰かがこちらに向かってくる気配がした。
 三人とも、こういった気配にだけは敏感だ。重苦しい沈黙から逃れるかのごとく、一斉にそちらを振り向く。
 新たな人影の様子は、大体サリクスと似たようなものだった。やたらとふらつきつつ、歩いてくる。
 今度は人影は二人だった。金髪の男と赤毛の女。
「あいつら!」
 ウィレムとブランシュだ。ダレットが思わず声を上げる。サリクスも眉を跳ね上げた。あの爆発を間近で食らってもう動けるのだから、大した気力だ。
 ブランシュはふらふらと三人に近寄ってくる。今にも走り出しそうなのを、隣のウィレムが必死に押しとどめているらしい。もっとも、今の状態では走ってもすぐに倒れるだけだろうが。
 ようやく三人の側にたどり着くと、ブランシュは壮絶な顔でサリクスを睨みつけた。それに、サリクスは皮肉げに唇の端を歪める。
 その後ろでは、ウィレムが何処か不思議そうな顔でダレットを眺めている。牢から脱走したのなら、すぐにでもこのアウィステリアを離れるのが当然だと思うのだが、何だってこんなところにいるのだろうか。
 一方、ブランシュはキルファの姿を見つけ、眉をひそめた。鎮圧戦の後から、キルファがずっと眠ったままの状態だったことは、ブランシュも知っている。何があっていきなり目を覚ましたのだろうか。そして、リュシウスが隔離しておいたはずの彼女が、ダレットと一緒にいることも腑に落ちない。
 ということは……
「リュシウス様……は?」
 ブランシュの呟きに、キルファがびくりを身体を震わせた。その様子に、ブランシュが顔色を変える。
「何があったの!」
 ブランシュが悲鳴のように叫ぶ。それに合わせたかのように、ウィレムが建物の扉を開いた。リュシウスの居室となっていた部屋だ。
 ウィレムが息を呑むのが、周囲の者にもはっきりと分かった。
「何……」
「――来ない方が良い」
 ブランシュに、ウィレムが静かに言う。だが、その顔からは表情というものが全て欠落していた。
「見なきゃ何なのか分からないでしょう!」
 ブランシュがほとんど悲鳴のように叫び、ウィレムを押しのけた。そして表情を凍らせる。
 真紅とそこに横たわる男、そしてその傍らの女。……それは、一番あってはならない組み合わせだのはずだった。
「なに……」
 呆けたようにブランシュが呟く。しかし、すぐにまたぎりっと歯を食いしばり、ダレットを睨んだ。スティレットを抜き、今にも斬りかかりそうな勢いでまくし立てる。
「あんたが……あんたが殺したの! リュシウス様だけじゃなくて、あんたの仲間まで一緒に!」
 ブランシュから見れば、ダレットは上官の仇だ。その仇をとっても罰とはならない。今すぐにでもダレットを倒したいようだったが、サリクスの引き起こした爆発の傷のため、思うように動けないようだ。
「……違う」
 ウィレムの言葉が、再びブランシュの動きを止めた。
「自分でやったんだ」
 呆然としてウィレムが呟く。意味が分からずに立ち尽くすブランシュの代わりに、サリクスがウィレムの頭の上から部屋を覗き込んだ。
 倒れるリュシウスの手に、逆手にレイピアが握られている。それが彼に致命傷を与えたとなれば、考えうる可能性は一つだけだ。
 サリクスはカシュラルの顔を知らないが、ダレットと共に捕虜になった総司令のことは聞いていたし、ブランシュの言葉を考えれば、共に死んでいる女性の素性は分かった。
 サリクスは小さく息を吐くと、ウィレムに向かってかぶりを振り、扉を閉めた。弔うにしても、この状況をどうにかする方が先だ。
「何が……あったのよ……」
 もはや叫ぶ気力もないのか、ぼんやりと呟くだけのブランシュに、ダレットは再び顔を伏せた。今の自分に、この炎のような女性を真っ直ぐに見る資格も気力もない。
 ただ立ち尽くしているブランシュの肩に、ウィレムがそっと手を置く。そのまま、ウィレムは静かにダレットを見据えた。
「……最期に、何かおっしゃられていましたか?」
 静謐な口調。ダレットがわずかに顔を上げた。
「『妹を頼む』……だったよ」
 ややあって、呟くようにダレットが答える。その言葉に、ウィレムは小さく息を吐いた。
 反対に、再び顔を怒りに染めたのがブランシュだ。
「あんた、その場にいたのに……どうして止めなかったのよ!」
 咄嗟に伸ばした手は間に合わなかった。それを思い出し、ダレットはうなだれる。今にも掴みかかりそうなブランシュを、ウィレムが押しとどめた。
「……済まん」
 ダレットが呟く。
「この後始末は俺がやるから……それで、勘弁してくれるか?」
 ダレットの言葉に、ブランシュよりもむしろ、キルファが目を見開いた。
「後始末って、あんた……」
「帰ろう……王都に」
 キルファに、ダレットは言って穏やかに笑った。
「俺が出来るのは……多分、それだけだから。親父の子供で、王宮騎士団で、あの場にいた俺に出来るのは」
 帝国軍と反乱軍の双方は壊滅、しかも司令官まで一緒に死亡している。この状況に収拾をつけるには、かなりの権力が必要だろう。
 そして、幸いとダレットにはその片鱗がある。以前は鬱陶しいとしか思わなかった肩書きを、使おうとする時が来るとは思わなかった。
 何より、戦の影にあった人々の真実を消し去るのはあまりにも哀しい。ならば、知っている者がせめてその意志を少しでも継いでやりたかった。
 過去を消し去るのではなく、それすらも利用してやる。そう開き直って、ダレットはようやく顔を上げた。静かにウィレムに向き直る。
「王宮騎士団でも、お前たちが嫌う人間でも……頼む、信用してくれないか」
 ひたりとウィレムと見据え、ダレットは言った。ようやく、真っ直ぐに人の顔を見られた気がする。
「……分かりました」
 そう言って、ウィレムはかすかに微笑んだ。
「僕も人間は嫌いですけど……一度だけ、あなたを信用しましょう。あの人たちの最期を看取ってくれた人として」
 ウィレムもブランシュも、伊達で反乱軍などに身を投じたわけではないだろう。辛い思いもしてきたはずだ。リュシウスは、彼らが信頼するに足る上官だったということか。
「有難う」
 ダレットもかすかに笑った。
「王都に戻ったとして……どうするの?」
 おそるおそるといった様子で、キルファが訊いてきた。
「王都か……どうなってるのかな。多分、今頃大騒ぎなんだろうが……」
 王都には、総司令と王宮騎士団が捕虜になったという情報しか伝わっていないはずだ。真実も含め、自分が伝えるべきことは幾つもある。
「そういうことなら、俺も一度帰るかな」
 ふと、サリクスが、思い出したように言った。
「そろそろ帰らねえとうるさい奴がいるしなあ……」
 サリクスはがりがりと頭をかく。その言葉に、キルファがにやりと笑った。
「何、誰か待ってる人がいるの?」
 キルファにしてみれば、それはからかいの言葉だったのだが、サリクスはきょとんとした顔をした。
「……言ってなかったっけか?」
 サリクスが驚いたように呟く。
「俺、嫁さんいるって」
 その一言に、キルファは凍りつき、ダレットは目を丸くする。あまりサリクスのことを知らないブランシュとウィレムですら、目を見開いていた。
「あ……き、聞いてないわよっ!」
 しばらくの時間が経ってから、ようやくキルファは喋ることを思い出したようだった。相当驚いたのか、まくし立てる言葉も何処か抑揚がおかしい。
「そうか、前に嬢ちゃんたちが村に来たときは顔をあわせてないのか。これがな、すぐに人をぶん殴る凶暴女で……」
 何やら、サリクスが苦労話を始めだした。だが、それを聞いている者など誰もいない。
「最初に言いなさいよ、そういうことはっ!」
 キルファがサリクスの耳元で喚いた。
「……いや、済まん、しかしそこまで驚かなくても……」
 ぶつぶつとサリクスが言っている。
「そういうことなら、さっさと連れて帰って奥さんに引き渡さなきゃ。ろくなもんじゃないわ、すぐに家を開けてふらつく旦那なんて」
 キルファが妙に使命感のこもった口調で言い、サリクスを横目で睨んだ。
「いや、俺が村を出た事情は嬢ちゃんも知ってるだろ……」
 サリクスが呟くが、キルファはそれに聞く耳を持たなかった。
「……と」
 ダレットの顔が瞬時に険しくなる。鋭い目つきで、背後に視線を移した。
 エルフの兵士たちが、こちらに向かってくるようだった。まあ、捕虜が逃げ出したのは既に知られていただろうから、時間の問題ではあったのだが。
 説得というのが一番理想的な手段ではあったのだが、ウィレムとブランシュはともかく、そう簡単にこの場が収まるとは思えない。となれば。
「うーん……戦うしかない、か」
 ダレットが呟いた。
 向かってくる兵士たちはいずれも殺気立っている。説得は無理そうだ。出来るだけ負傷させないように、倒すしかないだろう。かなり人数には差がある。厄介な話ではあったのだが。
 だが、今決めたばかりのことを翻すわけにはいかない。ダレットは長剣を抜き、構えた。その横でキルファも息を合わせたかのように、指の間に何本もの投げナイフを挟む。
「……あ」
 ふと、キルファが何かを思い出したような顔をした。
「ちょっと待って」
 キルファは言うと、ダレットに指先を向け、何かを小さく呟いた。
「何だ……って、うわっ!」
 ダレットが思わず声を上げる。
 ダレットの身体を覆うように、淡い光がまとわりついた。重さも何も感じられないが、確かに『何か』がある感覚だ。見えない薄布をまとってでもいるような。
「何なんだ、これっ!」
「それ、貸したげるわ」
 混乱するダレットを面白がるように、キルファは笑って言う。
「<鋼鉄の女神>よ。ちょっと調整して、鎧の形にしただけ」
 そもそも<鋼鉄の女神>とは魔法であり、本来の外見などというものはない。初期の設定では、兵士の戦意高揚のためにあの巨大な女神の姿をしているが、所有者が設定してやれば、任意の姿を取りうる。キルファが、ダレットの身体に沿うような形に再設定したのだ。
「なっ……」
 思わず絶句するダレットに、キルファは自慢げに笑った。
「最強の鎧よ? 有難がって使うように」
「はあ……」
 キルファの言葉に、ダレットはただ間の抜けた声を漏らすことしか出来なかった。あの暴虐を振るった兵器が自分の身を護るなどと、もはや訳が分からない。
 だがキルファの言うことだ、間違いではないのだろう。ダレットはそう思って開き直ることにした。いつまでも唖然としている余裕はない。
「それじゃあ、行くか」
 にっと笑い、ダレットが言った。キルファも同じ表情をして頷く。
 二人は真っ直ぐに駆け出した。

 人とは、後ろ向きに未来に向かって歩いているものである。
 古い、古い言葉だ。
 未来を見ることは出来ない。過去から目をそらすこともできない。そんな、不安定な状況の中で、それでも歩いて行かなくてはならない。
 未来に向かって歩くこと、それが生きると言う事だから。
 今から歩む未来も、遠い未来には過去となる。その時に後悔しないように。いつかくる『終わり』のために。
 精一杯に、一歩一歩を進もう。悩むこと、迷うこと、苦しむこと……
 それは、決して無駄にはならないから。
 そして、いつか。
 自分の生きる理由、意義、存在する価値。そんなものを見つけて。
 通り越して。
 自分が生きていること、それすらも誇りに思えるように――  

 

 
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