暁の大地

∞.暁の大地

「ここらへん……だったかしらね」
 キルファは呟き、大地に膝をついた。そして、軽く地面に探る。しかし、もう何もない。
 思い出を示すようなものは何も。
「丸ごと燃えてたから、しゃあないかな……。焼けた木材くらい、残ってても良さそうなものだけど。二年前だから無理か……」
 しばらく地面を調べていたが、ややあって、落胆したようにキルファが言った。
「そうか……」
 その後ろでは、ダレットが静かに佇んでいる。黙ってキルファを眺めていたが、沈んだ様子のキルファの頭をぽんと叩いた。
「何かあれば良かったんだけどな……まあ、お前が覚えてれば良いさ」
「ん……」
 猫のように目を細めて、キルファが言う。そうして、目の前の情景を眺めた。
 ハンザの村。正確には、村があった場所……だ。
 二年前の事件で、村は全焼した。村人もほとんどは死に、残ったエルフも村から離れた。
 今はもう、ただの廃墟と化している場所。そこに、キルファとダレットの二人はいた。
「ここに……いるのよね、母さんは」
 キルファが呟く。
 村の端、森のすぐ側に、かつての自分の家はあった。だが、母親の棺ごと全焼し、今はもう何も残ってはいない。しぶとく雑草が生えているだけだ。
 そこに、かつての生活の痕跡を見出すことは出来なかった。
「……お前の父親は? 確か、人間だよな?」
「あたしが生まれる前に死んだって。遺体が何処にあるのか、母さんも知らなかったのよね……ただ、この森の何処かだろうって」
 目を細め、側に広がる森に目をやる。だが、森は広すぎて、顔も知らない父親の姿など見えるわけもない。
 知らず知らずのうちに、ダレットの腕を掴んでいた。情けないとは思ったものの、涙が出てくる。
 辛い思い出も沢山ある。だがそれでも、ここは自分の生まれた地であり、育った地であり……自分が消し去った場所であった。
「……泣いて良いぞ」
 ダレットはキルファの身体を引き寄せて、自分の腕の中に抱き込んだ。
「今は泣いても。後で立ち上がれるように、な」
「あんたって、時々偉そうなこと言うわよね……普段は大ボケなくせにさ」
「ボケは余計だ」
 キルファが嗚咽に混じるようにして言う。くぐもったその声に、ダレットはくしゃくしゃと銀色の頭を撫でた。
 そうして、周囲の景色を見遣る。
 ダレットも、一度見た風景だ。キルファの記憶が描き出した光景と、何ら変わってはいない。しかし、同時に決定的な違和感を感じる。
 キルファの記憶にあったのは、ひたすら静かで平穏な光景だった。思わず身を委ねたくなるような、憧憬の『平和』。
 だが、現実の風景は寂しさを感じさせる。それはここがもう廃墟となった場所だからか、それとも……
 何人もの想いが眠る大地だからか。
 山の中の小さな平地を、風が吹き抜ける。風はキルファとダレットの髪をなびかせ、通り過ぎた。
 後には、ただ静けさだけが残る。
「…………」
 広い森の中の小さな土地。寂しいけれど、温かさも感じさせる場所。だが、それも二年前までだ。
「ここで……一人っきりになったって思った」
 ダレットの服に顔を埋めたまま、キルファはぽつりと言った。
 二年前。母親が死んだ。殺されそうになって、逆に全てを破壊した。自分には、罪悪しか残らなかった。
 頼れるものなど。自分の傍らにいてくれるものなど、誰もいないと思った。
 でも……
「良いのよね? ……あたしは、ここにいても」
「ああ」
 呟くキルファに、ダレットは頷いた。
 キルファは何度も同じ言葉を呟く。それだけ、たった一人が恐かったのだろうし、誰かがいてくれるという事実が掴みにくいのだろう。
 まるで、目が覚めれば消えてしまう夢のように。
 けれど、伝わってくるこの温かさは本物。自分に差し出される手の感覚は、夢などではない。
(そう……)
 信じて、良いんだよね?
 何度も何度も呟き、しがみついて伝わってくる感覚を確認して、ようやくキルファは顔を上げた。
「……もう大丈夫」
 言って、キルファは小さく微笑んだ。
 そう。もう歩き出せる。
 一人じゃないから。少しでも、歩こうとする理由が見つけられたから。
 この場所は過去だ。自分が見つめなくてはならない、永遠に忘れてはならないもの。
「……母さん」
 小さく呟き、再びキルファは地面にかがみ込んだ。そうして、懐から何かを取り出して地面に置く。
 近くで摘んできた花、それから小さな瓶だ。
 瓶は、リュシウスが持っていたものだ。彼がずっと薬草を入れるのに使っていたらしい。
 形見になりそうなものが、リュシウスにはあまりなかったのだ。せいぜいがレイピアくらいのものだが、剣をこの場に持ってくることは気が引けた。
 彼が、本当に人を傷つけることを望んだはずがないから。
 元々、リュシウスはエレナに医術を学んでいた。何がどう不器用だったのか、医者としては最後まで三流だったが、彼が志したものは最後まで変わらなかったはずだ。
「リュシウスも死んだ。……でも、最後に笑ってたよ」
 それだけを母親の残影に報告する。
「あたしは、これからも生き続ける。これからも歩き続ける。いつか死ぬまで」
 キルファは、決然とした声音で言った。
 今までも、辛いこともあった。おそらく、これからもあるのだろう。
 それでも。
 哀しみを、痛みを忘れるのではなく。忘却の彼方に消し去るのではなく。
 この胸に抱いて、乗り越えて、いつか、心の底から笑ってみせるから。
「……行くね」
 呟き、立ち上がる。二年前にも一度、呟いた言葉だ。
 二年前は逃げ出す時の言葉だった。けれど、今度は違う。
 真正面から向き直って歩き出す決意だ。自分の選んだ道に向かって。
 ダレットを振り返る。ダレットは小さく笑うと、キルファに右手を差し出した。
「それじゃ、行くか」
「分かった」
 キルファは、真っ直ぐにその手を取る。ごつごつと角ばっていたが、安心するに足りるだけの、大きく、温かい手だった。
 キルファが満面の笑みを浮かべる。
 ダレットも、それに応えるように笑みを浮かべる。少女の笑顔は、この上なく魅力的に映った。
 キルファが眼下に広がる地に視線を移す。村の片隅からは、王都を擁する平野が一望出来た。
 少女の紫の瞳に映る世界。それはまさしく、暁の光に染まる大地だった。
 二人は顔を見合わせて笑うと、どちらからともなく歩き出す。
 眼下に広がる大地に。抱いた希望に。遥かな未来に向かって……。  

 

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