Case3 二つの妄執 - 第03話
このご時世、殺人事件はさして珍しいものではない。喧嘩の末の乱闘から金目当ての犯行まで、それはごくありふれた出来事にすぎず、人々は己の身に降りかからぬことを祈りながら生活している。
だから、その殺人事件の連絡を聞いたときも、アバーラインはまたか、としか思わなかった。
被害者の名前はドイル・ホバート。
九年前に隣国のローデシアに渡り、最近、またケインズに戻ってきた男だった。
「……それで、何のご用でしょう?」
事務所の応接間の椅子に腰掛け、ラウディは切り出した。
今日の事務所への来客は、三十代半ばと思われる男だった。アバーラインと同年代だが、とにかく威圧感のある彼とは対照的で、柔らかい物腰の人物だ。だが、仕草こそ穏やかだが、その雰囲気には何やら暗いものが見て取れた。
「と、その前にお名前を伺っていませんでしたね」
顔に特に愛想を出すわけはないが、ラウディも丁寧に客人に応対している。客人に尋ねると、彼はあ、と声を漏らした。
「そういえばそうでした。……エリック・マクレインと申します。一応、植字工で生計を立てております」
ゆったりとした口調で客人……エリックは名乗った。
「…………?」
ラウディは一瞬眉をひそめた。最近、どこかでこの名前を聞かなかったか。
仕草には出さぬままで首をひねるが、思い出せない。一瞬の黙考の後、ラウディは考えるのを打ち切った。
「ラウディ・チャリオットです。一応、こんな胡散臭い仕事が商売ですよ」
言ってラウディは肩をすくめた。
「胡散臭いなどと。ご高名は聞いておりますよ、捜し物なら百発百中の『探し屋』だと」
「百発百中ですか。そりゃあ当たりますよ、どこにあるのかと聞かれて『この世界のどこかだ』と答えれば良いんですから」
ラウディの苦笑と、エリックの笑い声が重なる。エリックはラウディの冗談だと思ったらしい。ラウディからすれば、まったくの本心なのだが。
「……と、それでご用件ですが」
ラウディの一言に、エリックは真面目な顔に戻った。
「はい……一人、探して欲しい人間がおりましてね」
そう言うエリックの表情に、瞬間、靄《もや》のようなものが混じった。
「人捜し、ですか」
呟くラウディにエリックは頷く。
「それで、まずこちらを見て頂いた方が話が早いと思いまして……」
言いつつ、エリックは持ってきた鞄からごそごそと何かを取り出した。紙の束……新聞のようだ。
ラウディが上から日付を覗き込んだところ、十年も前のものだった。よく見れば、質の悪い紙はかなり劣化している。
「この記事なんですがね」
言って、エリックは一面の記事を指さした。そこには、残虐な殺人事件が大きく報道されている。
この事件は。
「マクレイン事件……」
ラウディの呟きに、エリックは頷いた。
エリックの名をどこで聞いたのか、ようやく思いだした。事件の被害者、イーシャ・マクレインの夫だ。
「お気づきでしょうが、この殺されたイーシャというのは私の妻でして。それで……」
言いかけるエリックに、ラウディは何やら嫌な予感がした。
「この事件は確か、未解決のまま捜査本部も解散しませんでしたか?」
先日のアバーラインとの会話を思い出しつつ、ラウディが言う。エリックが頷いた。
「未だ、妻を殺した犯人は捕まっておりません。あれだけひどい殺し方をしておきながら、妻を殺した奴はいまだのうのうと生きているのですよ!」
穏やかだったエリックの口調が、とたん激しくなった。顔は歪み、ぐっと拳を握りしめる。
「……それで、俺のところに来た理由はもしかして」
その続きは何となく想像がついた。だが一応、依頼人の口から言わせるべく、ラウディは先を促す。
「ええ、あなたへの依頼というのはこれです。十年前、妻を殺した犯人を見つけていただきたい」
ラウディを見据え、エリックは言い切った。
「……以前も、同じようなことを依頼してきた人がいたんですがね」
嘆息しつつ、ラウディは口を開いた。
「それは、俺の領分ではありませんよ。犯罪者を捕らえるのは警察の役目でしょう。
確か、十年前も、犯罪捜査部は名うてで知られる警部をこの事件に投入したはずだ」
「でも結局、警察は犯人を捕らえてはくれなかったじゃないですか」
エリックが苦々しげに言った。
「犯人は分かっているのに、証拠がないとか何とか言って。ええ、確かにゴッドリーさんは頑張ってくれたと思いますよ、でも結局あの人も、何の役にも立たなかった!」
だん! と新聞を広げた机を叩き、エリックは叫んだ。
「犯人は分かっているって……確か、奥さんの愛人でしたか」
ドイルが犯人だと、まず主張したのは目の前のエリックだったはずだ。ラウディの問いに、エリックは大きく頷く。
「証拠は確か、見つからなかったんでしょう。それなのに犯人を決めつけるのは早計に過ぎませんか」
「いや、あいつが犯人に決まってるんです」
エリックは断言した。
「あいつ以外に、イーシャを殺すような理由のある奴はいなかったんですから。イーシャは人付き合いの良い奴ではありませんでね、友人などもあまりいなかったんですよ。
イーシャは金を取られていませんでしたから、物盗りじゃないとすれば、そうとしか考えられないじゃないですか」
ラウディに詰め寄らんばかりの勢いで、エリックはまくし立てた。それをラウディはぱたぱたと手を振ってなだめようとする。
「まあ、落ち着いてください。そう思う気持ちは分かりますがね、何か犯罪があれば、証拠というのは残るものなんですよ。それもなしに決めつけるのは危険すぎます」
「証拠、あるじゃないですか。イーシャは確かにあの男とは別れたと言ったんですから」
尚もエリックは言いつのった。
(駄目だ……これは)
ラウディはうめくように思う。
もう、そう決めつけなければやっていけないのだ。妻を殺された恨みを一人の男にぶつけることで、何とか精神の平衡を保っているような状態なのである。
「ゴッドリーさんも、その可能性が高い、とは言いましたけどね。だったらさっさと逮捕して尋問なり何なりすれば良かったんだ。それをしないからローデシアなんかに逃げられたんですよ。
警察でも有名な警部さんだというから、こっちも頼りにしてましたよ。でも結局、何も出来ないで、刑事をやめてしまったと言うじゃないですか。ふん、名刑事が聞いて笑いますよ」
ぶつぶつとエリックは言った。おそらく、それを聞かせる相手はラウディでなくとも構わないのだろう。誰かに恨み言を聞いてもらえばそれで良いのだ。
それを、ラウディは口の中に苦いものを覚えながら見つめていた。
一つの妄執にも似た感情から抜け出せない男。それは……
「犯人が分かっているとおっしゃるなら、なぜ俺のところに『犯人を捜せ』といらっしゃったのですか?」
静かにラウディは尋ねた。
「あなたなら、あいつが犯人だという証拠を見つけられるんじゃないですか。そうしたら今度こそ間違いなく、警察も逮捕出来るでしょう」
エリックはそう言うが、それは既に『犯人捜し』ではない。ドイル以外が犯人だったら成り立たない依頼だ。
しかし、そう言ってもエリックは納得しないのだろう。ラウディは息を吐いた。
「ですが……確か、その愛人は、国外に渡ったと聞きましたが?」
ラウディは尋ねる。
「ええ」
エリックは頷いた。
「ならば……」
「だが最近、このケインズに戻ってきたらしいのですよ。私も知り合いから聞きましてね、驚いたものですが。
何を考えて今更戻ってきたのかは知りませんが、今度こそ奴に正義の鉄槌を食らわせてやらなければなりません。そのために、チャリオットさん、あなたにお願いしたいのですよ」
最後に力を込め、エリックは言った。
「まあ、奥さんを亡くされたあなたには同情しますがね、こちらも商売でやっている以上、きちんと依頼料はいただきますよ。愛人がケインズに戻ってきたことを、犯罪捜査部に知らせればいいことなのではないですか」
つとめて冷たい視線を向け、ラウディは言った。
この時代、国の人間は大きく三つに分類される。
上流階級と呼ばれるのが、自らの土地を所有し、そこから上がる地代収入で働かずとも食べていける人々。その中で爵位を持つ人間を貴族と呼び、持たない土地所有者をジェントリと呼ぶ。彼らは、自家用の馬車を所持することで、己が上流に所属していることを主張する。馬車を持つにはかなりの維持費がかかるためだ。
中流階級は、医者や弁護士、会計士、軍人など、主に知的労働で生活する人々が中心だ。上流階級との大きな差は、自ら働く人々であるため、勤勉と節制を尊ぶことだろうか。
そして、人口の七割以上を占める大多数が、下層階級と呼ばれる、肉体労働で生活する人々。下層階級と中流階級の差は、家に使用人を雇えるかどうかだと言われる。が、下層階級とは言っても幅が広く、いくらか生活に余裕のある熟練労働者から、くず拾いしか仕事のない老人まで様々だ。
エリックは植字工だと言った。植字は技術を要する仕事であるから、ほかの労働者たちに比べれば、いくらか生活も楽なことだろう。だがそれでも、決して安くはない探偵を雇う費用を出すには、不足と言わざるを得ない。
ちなみに、ラウディの家に使用人はいないから、彼も区分上は『下の上』だ。職としては知的労働に属するのであろうが。シルーズは金がないといつも叫ぶが、実際のところは、今日食べるパンにも窮する人々ほどではない。
シルーズがやたら家計に気を遣うのは、探偵という職業が何かと臨時支出の多いためもあるが、それ以上に本人の性格のせいである。
それはさておき。
「金なら何とかします。実は十年前から、こんなこともあろうかと貯蓄しておりましてね。不足がありましたら、これから働いてお返しするので、それで引き受けていただけませんか」
こうまで言われては、ラウディとしては、金額面から説得する案は却下せざるを得ない。
捜し物が何であるにしろ、『存在することが確か』なものなら、引き受けるのはやぶさかではない。だが今回は、あるかないかも分からず、それが何なのかもはっきりしない代物だ。そういったものは、絶望的に<追跡>の術と相性が悪い。
術の特性を説明するのが、一番手段としては早い。だが、いかにラウディでもそれはあまりやりたくない。
かつての王侯貴族は<術式>を、庶民を支配するのに存分に利用した。その記憶から、一般市民のほとんどは<術式>を嫌悪するのだ。理論を知らなければ得体の知れない奇跡でしかないことも、その理由ではあろうが。
在野の術者が極端に少ないのも、それが理由だ。市井では、術者であることが知られるだけで迫害の対象になりうる。ラウディにしても、彼が簡易術者であることは、シルーズやアバーラインといった一部の知己しか知らない。先日の切り裂き魔事件の際に、捜査に術を使用したが、関わった刑事たちには口止めを頼んである。
(……どうしたもんかな……)
表情には出さぬままで、ラウディは頭を抱えた。
「……しかし、あれも馬鹿な女ですよ」
ふと、エリックが呟いた。
「何を考えてあいつが不倫なんかしたのか知りませんが、あんなことをしなければ死なずに済んだのに。……私はそんなに駄目な旦那だったんですかねえ」
寂しげに笑い、エリックは言った。
(……ああ)
それが何なのかは分からない。だがラウディは、そのエリックの言葉にとてつもない共感と嫌悪感を感じ、思わずエリックから視線を逸らした。
「……そういたしましたら」
大きく息を吐き、ラウディは切り出した。強引に意識を切り替える。
「こちらも、依頼を引き受けられるかどうか、考えさせていただけますでしょうか。こちらにも都合がありましてね、すぐにはお答えできないんですよ」
これはほとんどが方便だ。要するに、説得を先送りしただけである。
今のエリックは、ドイルが犯人だという考えに凝り固まってしまっている。それを説得するのは相当に骨だ。いくらかでもこの事件について調べて、他の可能性を提示するしかないだろう。
なぜだか、無条件に依頼を断ってしまうのは気が引けた。先日、アバーラインとこの事件について話したせいかもしれないが。
「……分かりました」
エリックはそれでも残念そうな顔をしていたが、ややあって頷いた。ラウディはほっとする。
「お願いいたしますよ、本当に。こちらはあなたが頼りなんですから」
それでも、エリックはだめ押しをするのを忘れなかったが。
ドイル・ホバート殺しの捜査担当者たちは、まず彼の最近の動向を探ることから始めた。
ドイルは遺体の上着から財布を抜き取られていたが、その割に、争った形跡が見られなかった。たとえ金目当ての犯行だとしても、まったくの行きずりではなく、顔見知りだった可能性がある。
ドイルは隣国ローデシアに渡り、最近になってケインズに戻ってきた。それは、彼が帰国後に会いに行った複数の知り合いによって証言されている。
ドイルがかつて起こった事件の容疑者であったことも、すぐに知れた。刑事たちはマクレイン事件との関連も含め、捜査を進めていくことで合意していた。
そして、ドイルの知り合いたちを当たっていくうち、ドイルの周辺を嗅ぎ回っていた人物がいることが判明した。
その人物は、ドイルがケインズに戻ってきたことを知り、彼の周辺に現れたらしかった。その理由は分からないが、これ以上怪しい人物もいない。
当然、捜査陣はこの人物を第一の容疑者と目することとなる。ほどなくして、その人物の詳細が知れた。
だが、それを知った瞬間、捜査本部は愕然とすることになる。
その人物の名は、ジョージ・ゴッドリー。
かつて犯罪捜査部に所属し、その立役者だった『鬼刑事』であった。
