黒き河を往け

Case3 二つの妄執 - 第04話

 未だかつて、これほどまでに悠然と取調室に入っていった人間を知らない、とは、彼を見かけた刑事の一人の弁だ。
 ドイル・ホバート殺しの捜査本部は、重要参考人として、被害者の周辺を調べていた男を連行した。任意同行であったが、男は素直に従ったという。
 その連行された男は、かつて自らも犯罪捜査部に所属していた刑事であった。
「いや、ここに来るのも久々だな」
 椅子に座ったゴッドリーは、悠然と周囲を見回した。
 首都警察本部の建物にある、取調室は狭い。いくつも同じ部屋がある上、贅を尽くしても意味のない部屋であるから、その内装も、机と椅子がいくつかあるだけという殺風景なものだ。
 だが、ほとんどの容疑者に圧迫感を与えるこの部屋も、ゴッドリーにとっては古巣なのであった。その表情は生き生きとしている。
 彼を連行してきた若手の刑事たちは、そんな重要参考人を、不気味そうに見つめていた。犯罪捜査部に所属してまだ短い彼らは、ゴッドリーのことは話に聞いたことがあるだけだ。
「さて、とっとと主任を連れてこい、お前たちじゃ話にならん」
 挙げ句、ゴッドリーはそんなことを刑事たちに言った。
「な……」
 これにはさすがに刑事たちも鼻白む。
「こっちもいつまでも犯人扱いされていたら用が済まないんでな、知っている情報くらいは提供してやるが、その意味が分からんでくの坊に言っても仕方がないからな。一番ましそうなのを連れてこい、そうしたら話してやる」
 犯人用の椅子で、ゴッドリーは悠然と腕組みをしている。
「もう来ていますよ」
 そう言い、扉から入ってくる人影があった。
「……主任」
 若い刑事たちがほっとした顔をする。
 入ってきたのは、ドイル殺しの捜査主任、ジャック・アンダーソン警部であった。いつも穏やかなことで知られる彼は、若い刑事たちにも慕われている。
「おう、ジャック」
 ゴッドリーもアンダーソンに手を挙げて応じた。
 ゴッドリーと同様、アンダーソンも犯罪捜査部発足時から所属している刑事だ。とは言え、年齢はゴッドリーの方が上であるから、かつては先輩と呼んで教えを請うた仲であった。
「お久しぶりです」
 アンダーソンは丁寧にゴッドリーに頭を下げる。それに悪い気はしないのだろう、ゴッドリーもにっと笑った。
「お前も元気そうだな。何か、今度はお前が主任か。出世したもんだな」
「お陰様で、何とかやっておりますよ」
 久々に再会した二人の、一件和やかなやりとりが続く。だが、それを眺めていた刑事たちは、一瞬寒気が走るのを感じた。これは、有能な男たちの水面下での鍔迫り合いなのだ。
「あまり彼らをいじめないでやってください、まだ日が浅いんですから」
 そう言って、アンダーソンは側にいた刑事たちを視線で示した。
「馬鹿を言え、こうやって新人を育てるんだ。甘やかしてはいつまで経っても使い物にならん」
 ゴッドリーが肩をすくめる。
「相変わらずお厳しいですね」
 アンダーソンが苦笑した。そうして、横の部下たちを振り返る。
「ここは私が引き受けるから、お前たちは捜査に戻れ。方針に特に変更はない」
 静かにアンダーソンは部下たちに指示した。刑事たちは何か言いたげな顔をしたが、アンダーソンはそれを無視し、背後の扉を示す。刑事たちもそれ以上は何も言わず、黙って指示に従った。
「さて」
 二人きりになったのを確認し、アンダーソンはふと表情を変えた。穏健で知られる彼にはそぐわない、鋭い視線だ。その視線は、まっすぐにゴッドリーを見据えた。
 ゴッドリーもそれに動じるような男ではない。同じく切れ上がった目でもってアンダーソンを見返す。静かに、しかし火花が散らんばかりの視線のやりとりが続いた。
「あなたがケインズにいらしたのは、あのマクレイン事件の捜査のためでしょう? ……多分、エーカーあたりから、ドイル・ホバートが戻ってきたことを聞いたんじゃないですか」
 同僚の名を挙げ、アンダーソンが言った。
「ジョセフの奴、相変わらず見抜かれているな」
 ゴッドリーが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「妙に気にしておりましたのでね。エーカーは特にあなたに世話になっていましたからね、何となく想像はつきましたよ」
「ジョセフは今はどうしてる?」
「今は彼も他の事件の主任ですよ。まだおぼつかないようですが、あれでいて人を見る目はありますから、部下たちに助けられてやっているようです」
「ほお。あいつも偉くなったもんだ」
 ふと、懐かしげにゴッドリーが表情を和らげた。
「……あれから十年、経っているのですよ」
 静かにアンダーソンが言う。その表情に、一瞬、憐憫めいたものが混じった。
 十年前のマクレイン事件において、主任はゴッドリーだったが、捜査本部にはアンダーソンもいたのだ。彼は退職することはなかったが、彼にとっても、最初の手痛い敗北であったことには変わりない。
 だがそれでも、アンダーソンはその後も経験を重ねた。その後の九年が、ゴッドリーにはない。ゴッドリーにとって、犯罪捜査部とは十年前のものなのだ。
「……そうだな」
 そう呟くゴッドリーの表情は、感慨深く、かつ寂しげであった。
「まあ、思い出話はまたいずれ。今は職務中ですから。
 我々としては、最近になって被害者を調べていたというあなたを、常識的に疑わざるを得ない。それを否定するだけの証拠を、あなたはお持ちですか?」
 表情を鋭く戻し、アンダーソンが言った。
「ならば、犯行が行われたと思われる正確な時刻と場所を提示しろ。その時間のアリバイが成立すれば、俺から疑いは外れる」
 あくまで今は部外者であるゴッドリーは、ドイル殺しの詳細を知らないのだ。アンダーソンが頷く。
「ドイル・ホバートが殺害されたと推測されるのは、十八日の午後十時から、十九日の午前二時の間です。遺体が発見されたのは、コーナー通りの半ばほどにある、『紅い花』という酒場の裏。犯行当日、この酒場は休業日だったために人気はありませんでしたが、通りかかった人間の証言と、遺体の状況からこの時間帯に絞り込まれています。……何かご質問は?」
 その言葉に、ゴッドリーは首を横に振る。
「死因は胸を刺されたことによる失血と呼吸困難。胸の半ばあたりを刺され、傷が肺に達していました。……かなり苦しい死に様だったでしょうね」
 一瞬、アンダーソンが顔をしかめた。
「遺体の上着に名前が刺繍されており、それと彼の知人の証言により、被害者を特定しました。被害者は財布を持っておらず、かつ上着が半分脱がされていたことから、殺害後に抜き取られたのではないか、と思われます」
 静かにアンダーソンが続けた。特に概要を記した紙などを読んでいるわけではないのだが、その口調によどみはない。
「殺害場所は確かにその場所か? どこか他の場所で殺されて、運ばれてきたという可能性は?」
「被害者はそれなりに体格の大きい男でしたから、運ぶにはかなりの労力を要したでしょう。遺体が発見された路地は狭くて、そんな大荷物を運ぶのは困難と思われます。遺体に引きずったような跡や、衣服のよれもありませんでしたし」
 アンダーソンの説明に、ゴッドリーは頷いた。
「犯行時刻と場所がそれなら、俺にはアリバイは成立しないな。容疑者のままだ」
 あっさりとゴッドリーは言い、肩をすくめた。
「その時間帯、俺は一人で酒場にいたからな。顔なじみの酒場ならともかく、主人も俺の顔なんざ覚えてないだろう。特に客の誰とも話もしておらんし。
 宿に戻ったのは確か、三点鐘が鳴った頃だと思うが、生憎と、犯行現場から俺が取っている宿までは、歩いても一時間以内で行けるからな。十分に犯人の可能性ありだ」
 他人事のようにゴッドリーは言ってのけた。これにはさすがにアンダーソンも一瞬のけぞる。
「……そうですか」
 だが、それでも静かにアンダーソンは言った。
「ならば、真犯人が特定できるまで、しばらくこちらにいていただくことになりますが、それはお分かりですよね?」
 アンダーソンの言葉に、平然とゴッドリーは頷いた。
「まあ、頑張って俺を尋問してくれ。ここは、お前のお手並み拝見と行こうじゃないか」
 にっとゴッドリーは笑う。それにアンダーソンは嘆息した。
「もしかしたらこの捜査で、マクレイン事件についても真相が分かるかも知れませんが」
 呟くようにアンダーソンが言った。その言葉に、ゴッドリーがわずかに表情を揺らめかせる。
「……もう、十年前のことだ」
「それでも諦めきれないから、あなたはケインズに戻ってきたのでしょう。私も同様ですよ。出来ることなら、あの時の真実を知りたい」
 二人の間に、沈黙が流れる。
「しばらくはこちらにいてください。今、部下に『拘束者用』の部屋を準備させますから」
 言って、アンダーソンが苦笑した。
「あのろくに掃除してない部屋か。畜生、俺がいるうちに掃除当番を二倍に増員しておくんだったな」
 ゴッドリーが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「まあ、念入りに掃除はさせておきますよ。仮にも犯罪捜査部の大先輩をお迎えするんですから」
 皮肉げにアンダーソンが言った。
「あいよ。さっさと終わらせてくれ。こっちはもう歳なんでな、さっさと寝たいんだ」
 肩が凝ったとばかりに、ゴッドリーは腕をぐるぐると回した。
「了解しました、先輩」
 その呼びかけが、何よりも懐かしい。
 最後に穏やかに笑い、アンダーソンは部屋を後にした。
 

 新聞を前に、ラウディは珍しく顔を強ばらせた。
 今日び、殺人事件など大して珍しくもない。先日の切り裂き魔事件のように衝撃的でもなければ、新聞も、数行ほど概要を記して終わりだ。
 その、ずらずらと並んだ殺人事件の一覧の一つ。
「ドイル・ホバートって……もしかしなくても、あれだよな」
 先日エリック・マクレインが依頼していった、マクレイン事件の犯人と目されていた男だ。その男が殺害されたという記事に、ラウディは記事を凝視してしまった。
 被害者についても、簡単な経歴は記されている。一月ほど前に、隣国ローデシアから戻ってきた男。間違いないだろう。
「……どうするよ、おい」
 エリックの依頼は、ドイルを捕らえることを前提としたものだった。だがそれも、容疑者が死亡してしまっては成り立つのかどうか。
 とは言え、ラウディはどうやってエリックの依頼を断ろうかと頭を抱えていたのだった。恨みをぶつける先を失ったエリックは哀れだが、ある意味では幸運かもしれない。
 しかし。
「それで、納得するような男でもなさそうだったがな……」
 重苦しい気分で、ラウディは呟いた。あれは、もはや妄執だ。
 自分を裏切った妻。その妻を殺した犯人。自分の心に沈殿するものが何であるか、エリック本人もはっきりとは分かっていないに違いない。自分で自覚するのは難しい。
 ラウディに、おぼろげながらその輪郭が見えるのは……ある意味、お互いが鏡だからだ。
「…………」
 新聞を戻し、ラウディは顔を伏せる。振り切ったはずの金髪の人影が、また脳裏に揺らめき、そして消えていった。
 ラウディは大きく息を吐く。今は自分のことは関係ない。問題は、エリック・マクレインからの依頼だ。
 エリックが、あの事件の真相を知りたいと言うのならば、まだ有効な依頼かもしれない。だが、ドイルからの証言が得られない以上、それすらも可能かどうか。
 エリックに、依頼の返事をすると言ったのは明日だ。明日、再びエリックはこの事務所にやってくる。
 エリックも、もうドイルが殺されたことは知っているだろう。それを知った彼が何を言い出すか、皆目見当がつかない。
 いや、想像することは出来るのだが、思い当たることが多すぎて絞り込めない。それは結局、思いつかないのとあまり変わらなかったりする。
 しばしラウディは考えた後――
「まあ、何とかなるか」
 また結論を先送りし、新聞を閉じた。

 

 
Copyright©2001-2007 Shu Fujimura All Rights Reserved.