Case3 二つの妄執 - 第06話
アバーラインは、からんからん、と小さな鐘を鳴らし、扉を開けた。
最近はなぜだか、ここに来ることが多い。こちらも、おそらく向こうも歓迎などしていないのに、いったいどうしたことだと、遅まきながらアバーラインは心の中で愚痴った。
「……あれ? アバーライン警部」
ぱたぱたと応対に出たシルーズが、目を丸くした。
「まだ書類残ってたの? それとも、前の報酬を持ってきてくれたの?」
目を輝かせ、赤毛の少女が言ってくる。それを邪険に払いのけ、アバーラインは嘆息しつつ口を開いた。
「ラウディはいるか?」
単刀直入に尋ねる。
「ん、いるわよ。今日も昼間っから昼寝してるけど」
「……あの男は、相変わらずか」
揃って二人でため息をついた。
「ともかく、用があるなら呼んでくるわ。いつも通り、応接室で待っててくれる?」
シルーズがぱたぱたと駆け出すのに頷き、アバーラインは付け加えた。
「こちらは職務で来ているのだ。あまりに遅いようなら職務執行妨害で逮捕する、と言っておいてくれ」
「分かった」
苦笑しながらシルーズが頷いた。
「んー……相変わらず警部もお忙しそうで」
入ってきたラウディは、目をこすりながらまずそう言った。
ラウディは、相変わらず髪が撥ねた格好だ。今まで惰眠をむさぼっていたというのは本当らしい。
「貴様がたるんどるだけだ」
アバーラインは苦虫を噛み潰したような顔で答える。対するアバーラインはと言えば、きちんと髪をなでつけ、髭を剃り、折り目の付いたスーツを着ているのだが、いかにもならず者の実力者といったその風貌にはあまり似合っていない。本人にそう言ったらさぞ憤慨するであろうが。
「最近よく会うな。そんなに犯罪捜査部は暇なのか」
「馬鹿を言え、毎日捜査に追われている。今も何とか暇を作ってここに来たのだ」
皮肉げに言ったラウディに、顔をしかめてアバーラインは答えた。
「……それで、今日は何のご用で?」
嫌味混じりにラウディが切り出す。
「ここに先日、エリック・マクレインという男が依頼に来ただろう?」
いきなりそう言ったアバーラインに、ラウディが眉を跳ね上げた。
「……まあな。よく知ってるな」
「まあ、今はそれが本題ではない。何との依頼だった?」
「……一応、こっちにも依頼人との守秘義務ってのがあるんだが」
一応言ってみたラウディは、アバーラインにぎろりと睨まれた。
「今日は貴様のごたくはいい。さっさと質問に答えろ」
アバーラインは見るからに苛立っている。おお怖いとばかりに肩をすくめ、ラウディは答えた。
「だいたいあんたの予想してる通りだろうよ。十年前のマクレイン事件で、ドイル・ホバートが犯人だという証拠を見つけること。やっこさん、ドイル以外が犯人だってな可能性はまったく頭になかったからな。
……こっちがそう言っても聞く耳を持ちやしない。ったく、警察への愚痴もさんざん聞かされたぞ」
「それはこちらも聞いた」
アバーラインがため息をつく。
「エリック・マクレインは本部にまで押しかけてきたからな。相手をするこちらの身にもなれというのだ」
そう言うアバーラインの口調にも、多分に愚痴めいたものが混じっていた。本人は気づいていないようだったが。
「しかし、その容疑者のドイルは先日殺害された。それについて、依頼人は何と言っていた?」
アバーラインの訪れた目的はこれだ。恨み骨髄の相手が死んだことを知っても、エリックはなおも『犯人』を捕らえる気らしかった。マクレイン事件との関連も含めて捜査を進める以上、エリックの動向は注意を払う必要がある。
「またさんざん愚痴を聞かされたよ」
ラウディはうんざりした口調で言った。
「あれはもう、何を言っても駄目だ。目に見えるもの全部を恨んで久しい。あの様子だと、たとえドイルが犯人だと証明されたところで、救われはしないだろうな。そう思っているのは本人だけだ」
やや沈鬱な表情で、ラウディは言った。――自分にそれを言う権利があるのか。そんな考えが頭をよぎる。
「……それは私も感じたことだ」
アバーラインも、沈んだ声でそれに答えた。
「ともかく、あのエリック・マクレインからの依頼は、十年前の事件の再調査。犯人が死んでいようと構わん、とさ」
「ドイル・ホバート殺しの犯人については?」
「そっちは特に構わんそうだ。マクレイン事件が原因になっている可能性はあるんだが」
エリックが再びこの事務所を訪れたのは昨日だ。ラウディとしては断りたい依頼だったが、エリックも必死である。とうとう説得は失敗し、引き受けざるを得なかったのだ。
アバーラインが訪れるまで寝こけていたのも、昨日の疲労が残っていたせいだ。精神的な疲労というのは、なかなか回復しない。
「それで、現時点までの調査結果は?」
「……俺よりあんたの方がずっと詳しいだろう、そんなものは」
アバーラインに、ラウディは胡散臭げな顔を向けた。
「こっちが依頼を受けたのは昨日なんだよ。ろくに調査なんか始めてないっての」
ラウディが肩をすくめる。
「あんた、その外部に頼る癖は直しておいた方が良いぞ。捜査するのはあんたたちの仕事だろが」
「……誰が貴様に頼りなどしたか」
アバーラインがむっとした顔をした。
「ふむ、まあ、それなら構わん。今日は貴様に忠告しに来てやったのだ。――ドイル・ホバートの周辺には立ち入らぬ方が身のためだ」
すっと視線を細め、アバーラインは言った。
「なに……?」
「ただこう言っても信じにくいであろうから、最低限の情報は教えてやる。……ドイル・ホバートは十二年前、ラヴェット広場の占拠事件で、警官を負傷させた疑いが強い。ざっと当時の様子を調べた限りでも、あの集会のかなり中心にいたようだな。
そして、奴が事件の後に向かったのはローデシアだった。……となれば、見当はつくな?」
ローデシア。ケインズを首都とするこの国、エーデルランドとは海を隔てた隣国である。世界の北に位置する大国だ。
だが、この二国の関係はお世辞にも良いとは言えない。植民地の利権を巡って争ったこともあるし、国境の海峡には常に軍が駐留している。
建前上は議院制を取っているエーデルランドとは対照的に、ローデシアは専制君主制だ。実態はどうあれ、『民主的』をうたうエーデルランドは、ローデシア皇帝にとって厄介な存在に違いない。エーデルランドから持ち込まれる思想は、ローデシアにとって崩壊の楔になりかねないものである。人々は全てにおいて自由である、その理念は皇帝による政治とは相反するからだ。
現在のローデシア皇帝は、農奴といった下層階級の国民に対し、圧政で臨んでいる。弾圧されたローデシア国民には、エーデルランドよりもむしろ極端な思想を持った一群がいた。
無政府主義者。全ての権力への反対を掲げる人々である。
無論、帝政ローデシアにおいて、その思想は許されない。無政府主義の書物は焼き捨てられ、投獄される人間が大勢いる。それでも、活動家たちは地下に潜り、密かに啓蒙を続けている。実際、ローデシアでは『穏健』な人間を含めれば、かなりの無政府主義者がいると言われる。
無政府主義そのものは、人々が私欲を克服し、相互扶助の精神でもって円満な社会を築き上げれば、人々を『管理』する政府など不要、という、ある種の理想論にすぎない。
もっとも性急なる理想家。無政府主義者たちを表したとある言葉である。
だが、理想よりもむしろ現実に存在する権力を憎むあまり、破壊活動などに走ってしまう人間がいることも確かなのである。そして、そういった一部の人間の印象が他の大多数のものを書き換えてしまうのも、よくあることだ。
無政府の思想を当然容認するわけにはいかない政府は、とかく無政府主義者の『反社会性』を喧伝する。自然、人々は無政府主義者に冷たい視線を向けるようになり、政府は世論の力でもって、目障りな思想家たちを投獄することが出来る。
無政府主義そのものは大陸で生まれた思想だが、隣接するエーデルランドにも流れ込んできている。ローデシアから亡命してきた無政府主義者も、ケインズには多い。
人々が無政府主義の思想を取り入れれば、当然エーデルランド政府は、『反社会性』の題目を輸入する。無政府主義の取り締まりに頭を抱えるのは、ローデシア政府だけではないのだった。
どこの国でも、人々の完全なる平等などあり得ない。一部の上流は豊かな生活を謳歌し、貧しい大多数は己の出自を呪うことになる。そして、国の大多数は貧しい人々だ。
「……つまり、政治運動に以前関わっていたドイルは、ローデシアで無政府主義やなんかを学んで帰ってきた、と」
議会政治への参加を求めた労働者運動と無政府主義は、決して同一ではない。だが、現状の政治を打破しようとする人間ならば、共鳴するところもあったのだろう。かつて政治運動に挫折したドイルが、より理想主義に傾倒しても不思議でない。いわば大陸で最新の学説を学んできたわけである。
「考えてみたら、マクレイン事件の余波から逃げるためだけだったら、わざわざローデシアに行く必要はないもんな」
ラウディが呟いた。
エーデルランドは島国で、大陸とは海峡を挟んでいる。人種や言葉、文化など、大陸にも共通の土壌を持つ国は多い。しかし、ローデシアは大陸にあるとは言え、やや異なった系統の人々が建国した国であり、エーデルランド人にとってはあまり馴染みのない国である。
「大体、そう推測されている。あの連中に関わったら、命がいくつあっても足りん。自重することだ」
アバーラインは諭すように言う。
「公僕らしいご意見をどうも」
それに、ラウディは肩をすくめて答えた。
国家組織の一員であるアバーラインにとって、無政府主義者への認識とは、『危険な連中』に尽きるのだろう。基本的に組織の人間とは保守的なものであり、しかもアバーラインは、国家権力の実行者でもあるのだ。
だが市井の人間であり、かついつもひねくれたものの見方をするラウディとしては、そんなアバーラインにこそ、冷めた目を向ける。
ラウディとアバーラインの付き合いは短くはない。気が合っているとも思わないが、それなりに親しい仲ではあったはずだ。……それでも、どうしても相容れないと思う部分はある。
二人は沈黙する。お互いの思想を『説得』しようというような考えはラウディにはないし、アバーラインには以前あったが、諦めて久しい。
「……まあ、それで、だ」
大きく息を吐き、アバーラインが続けた。
「貴様の命だ、貴様の好きに使って構わんが、この時期にこれ以上事件を増やすような真似はしてくれるなよ。ただでさえ我々は人手不足なのだ」
アバーラインの言葉に、ラウディは苦笑で応じた。理解は出来ずとも、この言葉が聞けるだけで十分だと思う。
「了解」
結局、ラウディはそれだけ答えた。
「それで、これからどうやって捜査をするのだ?」
アバーラインの問いに、ラウディはあさってを向いてため息をついた。
「どうしたもんかね」
そう言うラウディに、今度はアバーラインが呆れ返った顔をする。
「……考えておらんかったのか」
「何しろ、依頼人が犯人と決めつけている人間は死んでるからな。
というか、あくまであの事件の再調査なら、ドイルに必要以上にこだわる必要はないんだよな、俺は。あくまで殺されたのはイーシャ・マクレインなんだから。……まず、被害者から当たってみるさ。捜査本部がドイルの宿に部外者を入れてくれるとでも言うなら話は別だが」
当然ながら、ドイルが宿泊していた宿は部外者立ち入り禁止の措置が取られている。まだ、ドイルの動向や遺品の調査が終わっていないためだ。
「しかし、十年前の事件か。……そんなもん、証拠があっても消えてそうなもんだが」
あさってを向いたままで、ラウディがぼやいた。だが、それに付き合ってやる気はアバーラインにもない。
「エリック・マクレインに、暴走するなとは伝えておいてくれ。あの男こそ、何をやるか分からんからな」
アバーラインが言う。エリックは印象は気弱そうな男だったが、その情は深く、悪く言えば思いこみが激しいところがある。
「それは同感だな」
ラウディも皮肉げに笑った。
「ま、せいぜい気をつけて調査してみるさ」
話は、そこで打ち切りになった。
本部の建物に戻ったアバーラインは、鑑識課の人間とばったり出くわすことになった。
「お疲れ様です」
鑑識課の若い担当官は、アバーラインに頭を下げる。それに軽く頷いて、ドイルの遺品の調査の進行具合を尋ねた。
「は、それほど数も多くありませんでしたが、やはり、犯人に結びつく手がかりになりそうな物はなさそうです。身元を示すものすら、上着の刺繍しかありませんでしたから……」
担当官は律儀に答えかけ、それからはっとした顔をした。
「……と、それどころじゃなかった。今、アンダーソン主任を呼びに行こうと思っていたんですが、アバーライン警部は、マクレイン事件の方も担当されてましたよね?」
その問いに、アバーラインは頷く。
「何か、そちらの方の証拠でも見つかったのか?」
尋ねるアバーラインも興奮を隠せない。つい先程、ラウディと話をしてきたばかりである。
「……証拠、と言いますか」
担当官は言いにくそうに首をひねった。
「ともかく、見ていただいた方が早いと思います。私は主任を呼んできますので、先に鑑識室に行っていてください」
そう言い、担当官はぱたぱたと廊下を駆けていった。それにアバーラインはしばし呆然とし、それから言われたままに鑑識課の部屋に向かう。
部屋に入り、しばらく待っていると、先程の担当官がアンダーソンを連れて戻ってきた。アバーラインはアンダーソンに軽く頭を下げ、それから二人で顔を見合わせる。
「これなんですが」
言いつつ担当官が差し出したのは、手紙であった。
「被害者が宿泊していた宿から発見されたのですが、筆跡等から、被害者が書いたと思って間違いないと思います。投函するつもりだったようですが、まだ封はされていませんでした」
アンダーソンが手紙を受け取る。手袋をはめ、破損しないように注意しながら、手紙を取り出して開いた。
アバーラインは、アンダーソンが置いた封筒を覗き込む。癖のある字で書かれたその手紙の宛先は、新聞社であった。
「――これは」
そう呟くアンダーソンの口調は、はっきりと分かるほど震えていた。これほどまでに動揺した上司の姿は、アバーラインの記憶にはない。
アンダーソンは文面に目を通すと、怪訝な顔をしている部下に手渡す。アバーラインも、遅れて手紙に目を通した。
文章は長かった。だが、それを食い入るように読む。周囲の人間たちのことも捜査のことも、どうでも良くなっていた。
最後のドイルの署名まで読み終わり、ようやく手紙から目を離す。息が苦しいような錯覚に捕らわれ、思わず荒く息を吸い込んだ。
「……警部」
アバーラインが、上司の顔を伺う。仮面のように表情を凍り付かせていたアンダーソンは、ようやく我に返った。
「あ……ああ、ご苦労だった」
まず、アンダーソンは若い担当官をねぎらった。担当官が軽く礼をする。
「この件については、早いうちに正式に他の担当者にも説明する。それまでは伏せておいてくれ」
アンダーソンの指示に、アバーラインは頷いた。アンダーソンが手を振り、アバーラインと担当官に部屋から出て行くように指示する。
一人きりになると、もう一度アンダーソンは手紙を手に取った。それは、一人の男の追憶だ。
「……先輩」
かつてその男の真実を追った刑事は、感慨を込め、それだけを呟いた。
