黒き河を往け

Case4 親愛なる女王陛下 - 第01話

 その日のことについて、後世にまで残る手紙がある。
 

「私の人生の中で、その日ほど幸福で、また晴れがましかった日はありません。それは人間の勝利であり、科学の勝利であり、私のアルファードの勝利の日でした」


 こう書き残したのは、時のエーデルランド女王、マーグレット・ウィル・テーディスである。彼女が後にその日のことを回想し、後見人である伯父に送った手紙の一文だ。
 女王マーグレットは、二十年ほど前に弱冠十八歳で即位した。未だ男尊女卑の傾向の強いエーデルランドであるが、専制君主の時代にも女王は数多くおり、また女王の時代は繁栄すると言われていたことから、側近や人々も年若い彼女を盛り立てた。
 彼女の下で実施された政策は多いが、その中でもそれはひときわ目立っていた。他国に先駆けて産業革命を達成したエーデルランドが、『世界の工場』たると世界に知らしめるための祭典。
 万国博覧会である。
 作品を一堂に集めて展示する、という催しは、主に美術品の分野で発展したものだ。芸術分野の先進国である大陸の国々では、美術品の博覧会というのはたびたび行われていたが、それをエーデルランドは、工業の後進国のやることとあまり重要視していなかった。
 それに目を付けたのは、大陸の王族の出である、マーグレットの夫君、アルファードであった。彼は博覧会を工業の分野で実施すること、また、展示品を全世界に求めることを提案したのである。
 当初、その提案はあまり受け入れられなかった。実施しても採算が取れる可能性が低い、と財務省は予算を出すのを渋ったのだが、アルファードは強力に計画を推し進めた。
 万国博覧会とは、エーデルランドがその国力を示す場でなくてはならない。他国の製品と比較してなお耐えうるだけの製品を生み出せるのはエーデルランドしかなく、もって、世界で最初に万博の開催国たりえるのはエーデルランドだけ。アルファードはそう説いたのだ。
 当初、開会式には関係者や王族しか出席できないことになっていたが、建設途中にそれが新聞にさんざんに叩かれ、会期を通しての入場券を持っている人間は出席できることとなった。無論、その入場券を持っているのは富裕階級に限られたわけだが、万博に対する人々の関心の高さを物語った出来事である。
 そして、女王夫妻の宣誓によって、首都ケインズにおける万国博覧会は華々しく幕を開けた。前述の手紙は、その日のことについて書き残したものである。
 世界初の万国博覧会は、財務省の予想を幸運にも外れ、開催当初から大勢の見物客でごった返した。裕福な上流、中流階級のみならず、大量の労働者たちが会場を訪れたのである。これは、曜日によって入場料を分けたことが大きい。安価で入場できる日には労働者がすし詰めになって見物し、高価な日には上流階級が供を連れて優雅に訪れた。
 鉄道の普及に伴い、旅行会社は万博見物のツアーを組んだ。それまで、旅行は富裕階級にしか出来ないものであったのだが、それは『大衆』の旅行の先駆けとなったのである。今まで生まれた村から一歩も出たことのないような農民たちが、団体で初めてケインズに足を踏み入れ、最先端の発明品に目を凝らした。
 それは熱狂的な国民の祭典であった。
 

 シルーズはじっと新聞を見つめていた。
 新聞に大々的に書かれるのは、無論、開催中の万国博覧会のことである。それには出展された発明品の紹介や、その人出の多さなどが書き連ねられており、どれほど人々の興味がこの祭典に向かっているかを示していた。
「うー」
 シルーズはうなった。この少女は、基本的にお祭り好きだ。何か楽しそうなことがあったら、行ってみなければ気が済まない。そして、今、このケインズで最大の祭典が開かれており、大衆にも広く門戸を開いている。
「うー」
 シルーズは横の椅子を睨んだ。そこには、昼間から新聞を顔に載せて居眠りをしている男がいる。信じがたいことだが、これでも『探し屋』の通称で通る探偵なのであった。
「行ーきーたーいー」
 シルーズは恨みがましく言い、ラウディを睨んだ。だが、起きあがるどころか、載せられた新聞が動く気配すらない。完全に寝ているらしい。
「連ーれーてーけー!」
 シルーズは叫ぶと、がくがくとラウディの肩を揺すった。それでようやく目が覚めたのか、いい加減鬱陶しくなったのか、のろのろと身体を起こす。
「やかましい。少しは寝せろっての……」
 半分落ちかけた瞼のまま、ラウディはがしがしと頭を掻いた。
「少しはって、あんたいつも寝てるじゃないの」
 シルーズは、ラウディをぎろりと睨み付ける。
「そういう台詞は、毎日寝る暇もないほど働いてる奴が言うから納得するのよ。あんたはむしろ、少しは起きなさいよ」
 シルーズはまくし立てる。ラウディはそっぽを向いていた。
「行ーきーたーいー」
 シルーズは再び喚くと、手にしていた新聞をばさばさと振った。シルーズがこう喚くのはここ最近ずっとのことなので、ラウディは何も言わず、面倒くさそうな顔をしただけだ。
「何だってそんな、人がわらわらいるところに行かにゃならん。疲れるだけだろが。第一面倒くさい」
 と言いつつ、再び目を閉じようとしている。シルーズは思わず、近くにあった椅子を振りかぶった。
「良いじゃないの、一回くらい! みんな何回も行ってるのよ、何でうちだけ行かないの!」
 万博には、国中、いや世界中から人々が集まってきている。こと開催地であるケインズ市民は、何回も会場に足を運び、お互いに見たものを語り合っているのであった。近所のパン屋のバレット家も、先日出かけてきたとかで、シルーズはその話を聞かされたばかりだ。
「よそはよそ、うちはうちだ」
 子供と喧嘩になった親が絶対に持ち出す台詞を口にし、ラウディは反論する。いい加減、毎日シルーズと怒鳴り合うのも疲れてきていた。応戦しつつも、頭の中では妥協案を探している。
 毎回妥協してしまうから、この小娘がわがままになるのかもしれないが。そんな考えが頭に浮かぶが、目先の平穏には代え難い。
「分かったよ……一回だけ行きゃ良いんだろ、行けば」
 ラウディは言い、がりがりと頭を掻いた。シルーズがぱっと顔を輝かせる。
「ほんとっ? 本当に連れてってくれるの? となると、ええと、何を着てこう……」
 シルーズは飛び上がらんばかりの勢いで言い、ぱたぱたと奥の自分の部屋に駆けていった。衣装箱をあさるつもりなのだろう。
「そんなん適当で良いだろうが……」
 言いかけたラウディは、シルーズに、これ以上はないというほどの表情で睨まれた。
「言っておくけど、その格好じゃ許さないからね! 出かけるんだから、ちゃんとした格好をしなさいよ、ちゃんとした格好をっ!」
 そう叫ぶと、シルーズはばたん! と扉を閉め、自分の部屋にこもる。今はもう夕方だから、出かけるとしても明日以降になるだろうが、一晩かけてでも服を選びそうな気配だ。
「はあ……」
 それを眺め、ただその勢いにラウディはため息をついた。
 

「すごい、すごい!」
 会場が見えてからというもの、シルーズはそればかりを繰り返している。
 翌日。精一杯おめかししたシルーズと、渋々ながら服にアイロンをかけたラウディは、万博の会場にいた。万年金欠のチャリオット探偵事務所の住人として、無論のこと大衆向けの入場料金の日を選んだから、会場は人で溢れかえっている。田舎から出てきたらしい集団が、不安げにうろうろと歩く姿は、ついぞケインズでは見られなかったものだ。
 万博は無論、各国から集められた品物を展示する場である。だが、その最大の『出し物』は、会場建築そのものであった。
「……何とも珍妙なもんを作ったもんだな」
 ラウディも、展示会場《パビリオン》を眺め、そんな感想を呟いた。
 会場となる建物は、大きさの違う三つの箱を段に重ね、その中央にアーチを付けたような形をしている。何より目立つのは、その壁面だ。
 壁、天井、全面がガラス張りなのである。
 このパビリオンは、水晶宮と呼ばれている。建設途中に新聞がそう呼んだのが広まり、ほとんど正式名称のようになったのだ。透明な壁面が陽光を照り返すこの建物は確かに、水晶の宮殿と呼ぶに相応しい、幻想的な趣さえあった。
 後年の博覧会は、出展国がそれぞれ自国の文化を象徴するパビリオンを建設する形を取るが、この第一回の博覧会は、全ての展示物を一つの会場に集めている。膨大な展示物とそれを眺める大衆を内に納めるのが、この水晶宮である。
 この水晶宮を設計したのは、建築家ではなく、一人の庭師であった。
 当初、パビリオンにはエーデルランドの伝統的な建築である、煉瓦造りの建物が造られる予定だった。が、『新時代』の到来を告げるべき万博の会場としては古くいかめしい、また堅牢すぎて会期終了後に取り壊すのが困難、という意見が上がったのだ。反対意見は世論を席巻し、会場建築が困難となれば万博開催も危うい、と思われたときに現れたのが、この庭師であった。
 この庭師は以前にも、内部が明るく、かつ経費の安いガラス張りの温室を作り、世間をあっと言わせたことがあった。彼は、得意の温室の大型版を、パビリオンの案として持ち込んだのだ。
 世界に宣伝されるべき万博の会場は、それ自体が最も重要な展示物でなくてはならない、という考えが主催者たちにあった。建築の常識から外れたその案に、無論反対意見はあったが、世論が好意的に水晶宮の案を受け入れたことにより、とうとう決定された。かくして、プレハブ方式による建設が行われ、わずか六ヶ月という工期で、水晶宮が現れることとなったのである。
 材料となる大量のガラスと鉄を短期間に供給できたのは、工業大国であるエーデルランドのみであったろう。まさに、主催者の思惑は実現したのであった。後に、この庭師は騎士《ナイト》の称号を与えられることとなる。
 それはさておき。
 もっとも安いこの日の入場料は、大体食事一回分といったところだ。生活の苦しい労働者でも、出せない金額ではない。この金額設定が盛況に担った役割は大きいが、ラウディとシルーズも入場料を支払い、一人は胸を膨らませ、もう一人はあさってを見つめながら足を踏み入れた。
「ほえー……」
 シルーズが何やら間の抜けた感嘆の声を上げる。
 ガラスの中から見上げる空は、いつもにも増して遠い気がした。それが、自分たちがいるのが『建物』の中なのだと教えてくれる。
 三層に重なった建物の中心には、三本の大木が植わっている。建物の中に木があるという光景はどこか異様で、確かに、話にしか聞いたことのない『温室』といった風情である。
 優美なガラスと緑がありながら、博覧会として展示されているのは、ほとんどが無骨な鉄の工業製品であるのもまた、異様な光景である。日用品などではなく、工業用の機械が多い。近年実用化が進んでいる、蒸気機関を用いた製品が多いのが特徴的であった。
 無論、シルーズに機械のことなど分かるわけもない。だが、見たこともない機械が力強く動いているのを見るのは、それだけでわくわくする。
「うわー……」
 人ごみにもまれながら立ち止まり、展示品に目を奪われる。かと思えば、
「ねえ、じゃあ次こっち!」
 と駆け出す。疲れなど知らぬかのように走り回るシルーズに、ラウディはただ振り回されていた。
 シルーズに引きずられて歩き回りつつ、ラウディはどちらかと言えば訪れている人間たちを眺めていた。
 入場料の安い日であるから、周囲にいるのは労働者が大半だろう。皆、着慣れぬ一張羅を着ているのが象徴的である。女性の装いはクリノリンと呼ばれる、輪状の骨で膨らませたスカートが流行の兆しを見せているが、歩いている女性は皆それを着て、『淑女』らしく澄ましていた。
 万博は祭典だが、同時に勉学の場でもある。人々は正装し、機械に目をこらしていた。
 それは、ある意味では素晴らしく、ある意味では滑稽であった。
 歴史を辿る限り、エーデルランドは階級社会である。王侯貴族、農民、それぞれはまったく違う世界に生きていたと言って良い。それは今でも変わらず、以前ある政治家は、はっきりと『二つの国民』と表現した。
 だが、この会場においては、女王陛下が来ようと人払いがなされることはない。さすがに警備の人間はいるが、基本的に、同じ場所からものを見ている。それこそ、この国で今まであり得なかったことであった。
 少しずつ、変わろうとしているのだ。それが何なのかまでは、ラウディははっきりとは分からなかったが。
「ねえねえ、次はあれ行きたい!」
 またシルーズが腕を引っ張った。いい加減嫌になりながら、ラウディがシルーズの指した方向を見ると、そこには、ひときわ大きい展示物があった。
 遠目にもはっきりと見える。それは、二本の大きい柱を固定し、その間に板を渡した代物であった。
「……何だ? あれ」
 シルーズに引きずられて近寄りつつ、ラウディも思わずそんな呟きを漏らす。
 近寄ってみると、それはもっと複雑な機構だった。前と上の面を取り払った箱が、柱の間で『浮いて』いる。よく見れば、箱には太い綱が付いており、ぶら下がっているような状態なのだ。
 『昇降機《エレベーター》』。展示の前には、そう記されていた。
「あー……なるほど」
 ラウディが呟く。
 箱に綱を括り付け、その綱を滑車で引っ張り、あるいは緩めることで箱を昇降させる。この仕組みは目新しいものではなく、相当昔に考案されていた。実際、小規模なものは工場などで使われている。が、その箱に人間が入ることは今までなかった。
 もし綱が切れれば、一気に箱は落下してしまうからだ。高い位置に箱があった場合、中にいた人間に逃げる術はなく、あえなく墜落死である。それを恐れ、今まで昇降機は荷物の運搬にしか使われなかった。
 だが、説明書きによると、展示されている昇降機には安全装置が取り付けられてるらしい。万が一綱が切れても、箱――この展示では、箱の中を見せるため、前と上を省いた構造になっているわけだが――は地面に叩き付けられることなく、途中で停止するのだという。つまり、この展示の主題は安全装置なわけだ。
 見れば、展開した箱には人間が乗っており、ゆっくりと上に昇っている。乗っている人間は声高らかに何やら語っており、それから察するに、彼が安全装置の発明者であるらしかった。発明者自ら、装置の安全性を実演しているということなのだろう。
「へー……」
 シルーズは、人間を乗せた箱が昇降するのに目を奪われていた。好奇心の赴くまま、小柄を生かして人の間をすり抜け、機械に近寄っていく。
 最前列にたどり着いたシルーズの前で、ちょうど、箱が地面に着いた。乗っていた発明者らしき男は、目を丸くしているシルーズににっこりと笑いかける。
「こいつに興味があるかい?」
 紳士然とした、穏やかな声音だった。シルーズは一瞬目を丸くし、それからこくこくと頷く。
「乗ってみる気はあるかい? 大人は無理だが、お嬢ちゃんは小さいから、乗っても安全値以下のはずだ」
 要するに、体重の軽いシルーズなら、男と一緒に乗っても大丈夫ということだろう。一瞬考えてそれを悟った後、シルーズは目を輝かせる。
「乗ります、乗ります!」
 飛び上がらんばかりの勢いで言うシルーズに、集まっていた他の人間たちは一斉にそちらを見、男はにっこりと笑った。
「じゃあ、おいで。そこは段差だから気をつけて」
 男は優しくシルーズを先導する。おっかなびっくり、シルーズは板に足を載せた。
 機械が唸る音がし、綱が引っ張られた。吊り下げられた箱がゆっくりと上に動き出す。
「うわっ!」
 箱は左右にもわずかに揺れ、足下は不安定だった。シルーズは慌てて男にしがみつく。
 ややあって、シルーズはおそるおそる下を見た。
 会場の人々の頭がはっきりと見えた。彼らの頭より、自分の足の位置の方がずっと高い。遠くにいる人々が歩いているのまではっきりと見える。
「うわー……」
 初めて見る俯瞰の光景に、シルーズは目を丸くした。ケインズにも高い塔はあるが、シルーズはそこに入ったことはない。
「楽しいかい?」
 男が話しかけてきた。男のスーツの端をしっかり握ったまま、シルーズは頷く。
 高所からは、会場の様子が一望できた。ガラスの壁、木やあちこちに置かれた植物や彫刻、動き続ける黒い機械、歩き回る人々の群れ。
 それは、今まで見たことのない景色であり……もしかしたらこれが『新時代』なのかもしれない、とシルーズは漠然と思った。
 上昇しきった箱は、今度は下降していく。この景色を見られるのももう少しと、シルーズは必死に目をこらした。
 

 その頃、下に取り残されたラウディはと言えば。
「……これで墜落してくれたら、明日から食い扶持が減るんだがな」
 そんなことを呟きつつ、わずかにその顔は羨ましそうであった。

 

 
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