黒き河を往け

Case4 親愛なる女王陛下 - 第03話

 シルーズはぼうっと外を眺めていた。
 通りに面した出窓に頬杖を付き、歩く人々に目をやっている。だが、誰の動きを追うわけでもなく、ただ、流れを眺めているだけらしい。
 彼女はここ数日、ずっとそんな様子だった。
「…………」
 それを、ラウディは不気味そうに眺めていた。
 突然姉がやって来て、一人娘を押しつけて新大陸に旅立ってしまったのが一年半ほど前。以来、シルーズと一緒に暮らしているわけだが、口より先に手が出るような性格のこの少女が、何もせずにいる場面など、ラウディは寝ているところしか見たことがなかった。
「お前、何か俺に隠れて変なもん食ってないだろうな」
 思わず呟く。そんなものがあるのだったら、是非とも大量購入したいところだった。
 だが、そんなラウディの呟きが聞こえていないわけがないのだが、シルーズが反応する様子はない。相変わらずぼうっと外を見たままだ。
 ラウディもさすがに驚いた様子でそれを見つめたが、
「ずっとあのままにしておくか」
 シルーズが静かになるのなら願ってもない。無情にも、ラウディはその原因を追及する努力を放棄した。
 今日も今日とて、チャリオット探偵事務所に依頼は来ず、平和そのものだ。人々は万博に沸き立ち、捜し物などする気はないらしい。
 万博開催前、下層階級を大量に入場させることに反対した貴族たちがまず言ったことは、治安の悪化への懸念だった。曰く「文明的でない」連中が大量に押し寄せたら、何が起こるか分からないと。
 だが実際には、繰り出した労働者たちは、驚くほど紳士的に行動した。暴動や喧嘩などは、ほとんど起こっていない。彼らも、万博が『晴れの場』であるという認識でいるのだ。
 そんなわけで、近年珍しいほどにケインズは平和だった。科学の祭典の開催地で暴動が起こってはかなわない、と、警察が厳戒態勢を敷いているせいもあるのだろうが。
「うー……」
 今は初春だが、まだまだ寒さが残る季節だ。暖炉にも火が入っている。暖炉の前の長椅子に陣取り、今日も、ラウディは昼寝をしようと毛布を被った。
 目を閉じたラウディは、シルーズの呟きを耳にした。
「……イエド人が住んでるのってどのあたりだっけ?」
 その呟きに、ラウディは眉をひそめた。
 ケインズは様々な民族が流れ込んできている都市だが、彼ら他民族は完全にエーデルランド人に混じっているわけではなく、特定の地区に固まって生活している場合が多い。同じ民族での共同体を形成しているのだ。
 しかし、その中でも、イエド人の集まる街区は最貧と言っても良いくらいの地区だ。イーストサイドの最深部である。無論治安も悪く、まともな人間なら出入りしようともしない。シルーズのような子供などもってのほかだ。
 シルーズの友人関係についてラウディは完全に把握しているわけではないが、チャリオット探偵事務所の近辺で、イエド人を見かけることはない。何を思ってシルーズがイエド人に興味を持ったのか、ラウディには見当も付かなかった。
「はあ……?」
 思わず昼寝も忘れ、ラウディは目を丸くする。
 イエド人のほとんどが住んでいるのは、クランス街区と呼ばれる地区だ。前述の通り、治安は最悪な場所である。警察すら足を踏み入れるのを躊躇う場所だ。
 だが、それをシルーズに教えるわけにはいかないだろう。理由は分からないが、興味を持ったことに突っ走るこの少女に教えたら、一人ででもクランス街区に行きかねない気がする。一応は彼女を預かっている身として、みすみす人さらいに渡すわけにはいかない。
「…………」
 一瞬の黙考の末、ラウディは黙りこんだが、シルーズは重ねて尋ねることはしなかった。ぼうっと、窓から視線を移そうとはしない。
 その様子に、ラウディはわずかに胸をなで下ろす。とりあえず、突っ走ってでも行く気はないようだ。
 今度こそラウディは目を閉じ、寝に入った。
 

 世は万博開催に沸き立っていたが、政治においても、一つの転機が訪れようとしていた。
 前述した通り、この国は議会制度を取っているが、その選挙権は一定以上の税金を納めた者にしか与えられず、実質、上流・中流階級のみのものとなっている。首都ケインズに限っても、その七割以上を占める労働者たちは、政治に関わる権利を持たない。
 元は上流階級しか持たなかったのが、第一次選挙法改正により、中流階級にまで拡げられたのが十五年ほど前。その際、共闘した労働者たちは、中流階級に裏切られる形となった。その結果起こったのが、ラヴェット広場集会事件などの、労働者たちによる運動だ。
 現在は、労働者たちの運動は下火となっているが、それが再びわき起こる可能性は非常に高い。それは、もはや時代の要請だ。為政者たちとて、『大衆』の存在を無視することは出来なくなってきている。女王マーグレットをして、議会改革をとすべしと言わしめた。
 そして提出されたのが、第二次選挙法改正法案であった。
 この改正法案も、納税額による制限はあり、完全なる普通選挙実現というわけではない。だが、税額が大幅に引き下げられており、都市労働者の大多数はその範疇に入る。声なき大衆に『声』を与えようとしている点において、画期的と言って良い法案だった。
 これを議会に提出したのは、自由党である。
 少々、政党について述べる。
 エーデルランドの議会は、二つの大きな政党によって政治が運営されている。一つが自由党、もう一つが保守党だ。議員はほぼ全員がどちらかに所属しているが、後年ほどにこの二つに溝があったわけではなく、議員たちの自覚も曖昧である。
 保守党は、その前身は、約二百年前の革命期、王権の保護の立場を取った議員たちの集まりである。その後もこの集団は、王室などの伝統的制度に肯定的な立場を取り、二十年前までの五十年間、政権を握り続けた。
 だが、産業革命の進行により、中流階級の中にも選挙権を持つ者が出るようになり、また労働者たちの存在が広く知らしめられると、二十年前、政敵に敗北を喫した。また、第一次選挙法改正により、知的労働者をも有権者とする、新しい政治状況に直面することとなった。
 苦境に立たされた保守党は、社会の変化による歪みの是正を救済する宣言を出し、勢いを盛り返す。この頃から、この集団は保守党と呼ばれるようになった。
 対し自由党は、王権の保護を訴えた保守党に対し、国王の即位に反対した集団である。
 彼らが力を得たのは、中流階級の台頭によってである。産業資本家たちの支持を得ながら力を伸ばしていく。そして二十年前、政権を奪うことに成功した。第一次選挙法改正も手伝って、ますます力を伸ばし、保守党と肩を並べる二大政党となる。保守党と同様、この頃から自由党と呼ばれるようになった。
 エーデルランドでは典型的な議会政治が行われており、この二つ、保守党と自由党が交互に政権を担当している。現在、政権を担当しているのは自由党だ。
 この二つの党の政策の差は、その方向性に見ることが出来る。保守党は対外政策に力を注ぎ、海外の植民地の獲得などに熱心だ。対し、自由党は内政が主で、この党のもとで工業は大いに発展した。
 この二つの党には、それぞれ党を指導する、中心人物たる議員がいる。
 保守党が、マークウィス・シェル・チェンバレン。
 自由党が、ジェームズ・ウォルポール。
 この二人のもとで、それぞれの党はその性格を強くし、発展した。現在、政権担当である自由党内閣において、ウォルポールは蔵相だが、中心人物であることには変わりない。
 資本家たちの支持を受けて発展した自由党は、労働者たちの声がもはや無視できないものであることを、よく悟っていた。改正選挙法案の提出も、その流れによるものである。
 大衆は愚かであり、政治を云々することなど出来ない。彼らに選挙権を与えるなど、危険きわまりない……それが、保守的な立場を取る人間たちの共通認識である。だが、それを否定する要素の一つとなったのが、現在開催中の、万国博覧会であった。
 万博の場において、押し寄せた労働者たちは、警備にあたる警察が拍子抜けするほど、行儀良く行動し、最新鋭の機械に目をこらした。彼らは自らが決して非文明的でも野蛮でもないことを、身をもって証明したのである。
 当然ながら、改正法案は提出されるなり、大論争を巻き起こしている。だが、その恩恵を受けるべき労働者たちが、万博に沸き立っているところが、皮肉と言えば皮肉であった。
 万国博覧会と選挙法改正法案、今、エーデルランドは二つの波にのまれていた。
 

 タクトは、一日の労働を終え、帰路についていた。
 この時代、まだ義務教育制度などはなく、貧しい家庭では子供でも働くのが当然である。ダグラス家もその例に漏れず、また彼は父親を亡くしており、働かなければ食べていけなかった。
 路上で売り子をする労働者は非常に多いが――ケインズでは、ほぼ全域で物を売り歩く労働者を見ることが出来る――、民族や出身地域によって売るものの傾向が違う。イエド人は、ニシンのパイといった軽食を売っていることが多く、タクトも、知り合いのイエド人に頼んで、屋台に雇ってもらっている。
 先日潜り込んだ万博会場の近辺に、今日は見物返りの客をあてこんで出向き、まずまずの売り上げだった。一週間分の賃金を受け取り、ほくほく顔でタクトは走っていた。
 今日は何を食べようか。売り上げの分、少し賃金をはずんでもらったから、たまには少し贅沢をしてみようか。そんなことを考えながら、タクトは家路を急いでいた。
 タクトが走っているのは、まともな市民なら近寄ろうともしない地区だが、そこに住む人間にも、それなりの仁義と仲間意識がある。理由もなしに、顔見知りに暴力を働いたりと言うことはない。そんなことをしたら、後に仲間たちから制裁がくるのを皆知っている。
 タクトは、イエド人たちの中では知られた顔だ。子供とはいえ、そのタクトにちょっかいを出そうとする人間はいない。馴染みの場所であることもあって、タクトは平然と裏道を走っていた。
「ん……?」
 ふとタクトは、馴染んだ風景に違和感を感じ、足を止めた。
 道の向こうに、見知らぬ人間がいる。下町の人間というのはよそ者に対して警戒心が強く、タクトも思わず陰に隠れ、様子をうかがった。
 向こうにいるのは、男が三人。年齢のほどは、遠くてよく分からないが、うち二人はがっちりした体格をし、背筋を伸ばしていることから、タクトは若い男を思い浮かべた。残りの一人は、中肉中背の、特徴もない姿の男だ。
 大柄な二人が、中背の一人と向き合っている。中背の男は背を壁に押しつけるようにしており、何やら、二人が一人を恫喝しているようにも見える。
 大柄な二人がこの街区の住人なら、よそ者が紛れ込んで身ぐるみ剥がれているようにも見えただろう。だが、中背の男は、その風体と言い、この下町にまったく違和感がなかった。
 一つの街に長く住んでいると、何となく、その街の人間とよそ者を見分けることが出来るようになる。それが、身体に染みついた気配というものかもしれない、とタクトは思っていた。だが、その『気配』が、大柄な二人にはない。直感的に悟る。あの二人こそ、この下町の『異物』だ。
 警戒心のこもった目で、もう一度二人を影から睨む。そうして、別の違和感の正体に気付いた。その服装が、妙に小綺麗なのだ。上等なのかどうかまでは、タクトには分かりかねたが、少なくとも、ケインズでも最貧と言われる街区に相応しいものではない。
「何なんだ、あいつら……」
 聞こえぬように呟く。よそから何者かがやってきて、ここの住人に何をしようとしているのか。思わず駆け出しそうになるのを、必死でこらえた。
 ――近づいたらまずい。そう、心のどこかが告げている。
 中背の男が、何を言おうとしたのか、口を開いた。それを、大柄なうちの一人が口を押さえ、声を出させないようにする。すかさず、もう一人が腹に拳を叩き込むと、中背の男はあっさりとくずおれた。
「な……」
 タクトは唖然とする。
 そこに、後ろでかたん、という音が聞こえた。
「……っ!」
 自分が、ここでこっそり様子をうかがっているのがばれたのか。あそこにいる二人の他にも仲間がいたのか。一瞬にして頭が真っ白になる。
 悲鳴を上げなかったのは、自分でも上出来だったと思う。叫びを辛うじて飲み込み、タクトは振り返った。
「にゃー……」
 間の抜けた鳴き声が響く。
 タクトは思わずへたり込んだ。目の前で、一匹の野良猫が「どうしたの?」と言わんばかりに、ぱたぱたと尻尾を振っている。
「お前か……」
 脱力しながらタクトは呟いた。この猫にも見覚えがある。ここらに居着いている野良猫だ。
「三日くらい寿命が縮んだぞ、今のは」
 何しろ、間が悪かった。これが本当にあの男たちの仲間だったら、今頃自分はどうなっていただろう。
「っと」
 猫に気を取られてしまったが、あのよそ者たちだ。一体何をしに、こんなところにやってきたのか。慌てて、タクトは再び通りの向こうに目をやる。
 だが。
「……あ?」
 三人の男の姿は、忽然と消えていた。あとには通りかかる者も誰もおらず、ただ遠くから誰かの声が聞こえてくるだけだ。さっきまでの光景が幻であったかのように、平穏な街の風景が戻ってきていた。
「気のせい……じゃないよな」
 タクトは呟く。あの男たちの正体は知れないが、中背の男は、明らかに気を失わせられていた。となれば、穏やかな話ではあるまい。
 とは言え、もうどこにも男たちの姿が見えない以上、タクトにそれを追求する術はない。すぐに追えば見つかるかもしれないが、見つけても、子供の自分にはどうしろというのか。
 それでも、タクトはしばらく立ちつくしたまま考え込んでいたが。
「……しゃあないか」
 気にはなるが、もう、自分には関係のないことと思った方が良いだろう。
 それでも周囲に気を配りながら、タクトは再び帰路についた。
 

 タクトが、ケインズで起きた爆発事件のことを聞いたのは、それから二日後のことだった。

 

 
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