Case4 親愛なる女王陛下 - 第04話
「……これは酷いな」
現場にかり出されたアバーラインは、思わずそう呟いた。
アバーラインとて、刑事として勤めて短くはない。それなりに修羅場もくぐってきていると自負している。だが、その彼でも、そう呟きたくなるような惨状だった。
事件の分類としては、爆発事件だ。だが、それが起きたのが人混みの真ん中であったことが問題だった。爆発の規模がさほど大きくなかったのは救いだが、それでも死傷者は出ている。
街灯や壁のあちこちに血がこびりつき、手当を受けている人間の悲鳴が未だ聞こえている。いくら場数を踏もうとも、この声だけは慣れることが出来ない。
アバーラインはさすがに顔色は変えなかったが、まだ若い刑事の中には、気持ち悪そうにしている者もいる。自分も配属されたばかりの頃はそうだった、と思い出しながら、アバーラインは刑事の肩を軽く叩いて隅に行くよう指示し、自分は爆発の中心部に足を踏み入れた。
中心部は血と肉片が飛び散り、真っ赤に染まっている。強烈な鉄の臭いがただよい、鼻が麻痺しそうなほどだ。
これは現実なのだ。そう自分に言い聞かせなければ、意識が、その現状を理解することを拒否しそうな光景だった。
「……ふむ」
人混みの中で爆弾が破裂した。爆発時、この場は動くのも難しいほどに人でごった返しており、たとえば爆弾を投げ込んですぐにその場を離れる、などという芸当は難しかったと思われる。爆発位置と周囲の建物との位置関係からして、上の階から投げ落としたとも考えにくい。
となれば、爆破犯は爆弾をこの場に持ち込み、破裂させた、というのが一番理屈にかなった考え方なのだが――
「……そんな馬鹿なことがあるか」
アバーラインは呟く。そんな真似をすれば、爆発の中心に自分がいることになる。何を思って爆破事件など起こしたかは知らないが、それはただの自殺だ。
アバーラインは、今まで爆破事件の現場に立ち会ったことはない。だが、犯罪捜査部の所属として、一通りの知識は仕入れてある。この場には、一番重要なはずのものが見あたらない。
アバーラインは、砕けた壁の煉瓦と格闘している鑑識の一人に歩み寄り、肩を叩いた。
「何でしょう?」
中年の鑑識員は、一瞬肩を震わせてから振り返る。よほど驚いたらしい。
「爆発物らしきものは見つかったか?」
アバーラインが問うと、鑑識員は困った顔をして首を横に振った。
この事件の、最大の疑問点がこれだった。あたりには血の臭いはただよっているものの、当然あるはずの、火薬臭さがまったくないのだ。血の臭いがあまりにも強烈で、鼻が麻痺している、というのも考えられなくはなかったが、爆弾の破片も見つからないというのはおかしい。
事件の調査となると、まずは目撃者捜しからだが、爆発の近くにいた人間は大多数が負傷していて、未だ手当を受けている。彼らから話を聞けるのは当分先だろう。となれば、今やるべきは現場検証なのだが、あるのは血と飛び散った肉片ばかりで、手がかりになりそうなものはあまりない。
「…………」
凄惨でありながら、不可解な事件だ。何より気に食わないのが、この事件が、万博の期間中、それも会場のすぐ近くで起きたということである。
この場所が人でごった返していたのは、万博会場に向かう、また帰る人々で溢れていたからだ。もし彼らを狙ったのならば、完全な無差別殺人である。
(ふざけた真似を!)
昨年起こった切り裂き魔事件ですら、犯人には目的があった。それはあまりにも理不尽であったが、とりあえず、理解できぬものではない。だが、今回はそうでないとすれば。
殺すために人を殺す。そう考える人間がいるかもしれないということ自体に、アバーラインは吐き気がした。
事件の報を受け、犯罪捜査部は何人かの刑事を現場に派遣したが、その責任者は警部のアバーラインだ。ため息をつくと、アバーラインは顔を上げ、部下の刑事たちに指示を出した。
突如起こった爆発事件により、あたりは騒然となったが、早速、それを聞きつけた野次馬も集まってきた。この時代、凶悪な事件も庶民にかかれば一種の娯楽となってしまう。
その野次馬の中に、タクトの姿もあった。基本的に、面白そうなことがあれば行かなければ気が済まないような性格だ。このあたりは、どこぞの赤毛の少女とよく似ているのであった。
タクトは十歳にしては大柄だが、それでも大人たちの間をすり抜けることは出来る。ちょこちょこと走り、警官たちが封鎖している最前列まで来ると、ひょこっと覗き込んだ。
「うわっぷ……」
大の大人ですら目をそらしたくなるような惨状だ。タクトも、強烈な血の臭いに思わず口元を覆った。それでも目をそらさないあたりは、立派な野次馬根性と言えたかも知れない。
タクトのちょうど目の前で、担架が運ばれようとしていた。ぴくりとも動かないところを見ると、遺体なのかもしれない。恐怖と好奇心の両方が混じった目を凝らす。
だが実際には、それはヒトと呼べるようなものではなかった。腕や足、ばらばらの部品の集まりに過ぎない。一度見れば、当分夢に見そうな凄まじさだ。
タクトは思わず、この場に来たことを後悔した。だが、その目をそらすことが出来ない。
何か引っかかる。あのばらばらの遺体……
担架を運んでいる男たちが、方向を変えたとき、今まで隠れていた部分が見えた。それをのぞき込み、タクトは目を見開いた。
そこには、胸のあたりが大きく抉れた遺体があった。いや、手や足は吹き飛んでいるから、身体の胸から上の部分だけが乗っているに過ぎない。それはある意味、現実味に欠けた光景であった。が。
その遺体の男の顔。自らの血で真っ赤に染まり、虚ろな顔をしたその顔は、どこかで見たことがなかったか。
(……あ!)
タクトの脳裏に、数日前の光景がちらつく。二人の男と一人の男。
実際には、あの光景は遠目に見ただけだったから、顔がはっきり判別できたわけではない。だが似ている。あの、気を失わせられていた中背の男と。
遺体がばらばらになってしまっているくらいだから、当然、服もぼろぼろになっている。だが、辛うじて張り付いている布きれは、おぼろげながら、あの日のものと似ている気がした。
「…………」
ざわり、と背筋が寒くなった。自分はもしかしたら、とんでもないものを見てしまったのではないか。
無論、気のせい、という可能性が圧倒的に高いことくらいは理解している。だが、嫌な予感というのは消えないものだ。振り切ってもまとわりついてくる。
気が付けば、タクトは顔を真っ青にして立ちつくしていた。それに気付いた隣の男が、こんな凄惨な場を見たせいだろう、と苦笑し、道路の隅に連れて行ってくれた。
ぺたんと地面に座り込み、考え込む。自分は、果たしてどうしたらいいのだろうか。
母親には頼れない。タクトの母はあまり身体が丈夫ではなく、かつ劣悪な生活環境は、著しく彼女の生命力を削っていた。そこにこんな不安を持ち込んだら、倒れてしまうに決まっている。
ならば伯父か。タクトの伯父というのはイエド人たちの間では実力者で、タクト一家もこの伯父を頼りにしてケインズに移民してきたのだ。けれどこの伯父も、この爆発事件に対してどれだけの力があるかというと、方向性が違う気がする。
なら……
(……くそっ)
今ほど、自分が子供なのだと実感したことはない。結局、誰に頼ろうかと考えている自分がいる。
誰でも良いから助けてくれ。誰か――
(『探し屋』)
ふと、そんな単語が頭に浮かぶ。誰の言葉だったか思い出せない。だが今は、その単語がただ一つの光明である気がした。
タクトは立ち上がる。そのまま、現場から逃げるように駆け出していった。
扉を開け、シルーズは目を丸くした。
「最近よく来るわね」
彼女の目の前に、ずん、と佇むのはアバーラインだ。シルーズとアバーラインでは体格がかなり違うため、目の前に岩でも置かれたかのような錯覚がある。
だが、それだけなら大して珍しいことではない。
シルーズはアバーラインの後ろに視線をやり、物言いたげにアバーラインを見上げた。
そこにはもう一人、中年の男がいた。アバーラインほどではないが体格は大きい。だが、存在感を主張するアバーラインと違って、穏やかにその場に馴染んでいた。下町にいても、ウェストサイドの高級住宅街にいても、違和感がなさそうだ。
(…………?)
危険な雰囲気はないが、いまいち正体が掴みにくい人物だ。じろじろと男を眺めるシルーズに、男が苦笑して近寄る。
「ここの探偵は在宅かな?」
男は、紳士然とした口調で尋ねた。
「あ、はい」
思わず、シルーズも背筋を伸ばして答えてしまう。
「また昼間から寝こけているのではないだろうな」
アバーラインがしかめ面で尋ねてくる。それを、シルーズは肩をすくめて肯定した。
「ラウディに用があるなら叩き起こしてくるわ。いつも通り、応接室にいて」
シルーズはアバーラインに告げると、ぱたぱたと奧に駆け込んでいった。
「最近よく会うな」
シルーズに叩き起こされ、応接間に入ってきたラウディは、まずそう言った。
アバーラインはそれには答えない。だが、そのむすっとした表情が、「こちらも会いたくて来ているわけではない」と無言の主張をしていた。
ラウディも、アバーラインの隣の人物に気付き、怪訝な顔をする。じろりとアバーラインを見、何か言いたげな顔をした。
アバーラインが口を開こうとするのを、男が遮った。
「突然の来訪で失礼した。首都警察本部の、ジャック・アンダーソンだ」
アンダーソンはそう名乗ると、立ち上がり、ラウディに右手を差し出した。
「どうも」
ラウディも思わず手を差し出し、握手をする。このような丁寧な挨拶をする人間など、ついぞ出会っていなかったので、面食らった顔をしてしまった。
ラウディも、会ったのは今が初めてだが、アンダーソンの名は知っている。切り裂き魔事件に際し、アバーラインから聞いた名だ。
「初めまして、……アンダーソン警部」
「先日警視に昇進された」
ラウディの言葉を、アバーラインが遮った。
「それはおめでたいことで」
どうでも良さそうな口調でラウディが言うのに、アバーラインは顔をしかめるが、当のアンダーソンは大して気にもしていない様子で、再び腰を下ろした。
「まあ、今は関係のないことだ」
それだけを言う。かみつきそうな表情のアバーラインを軽く手で制した。
ラウディも、二人と向き合う形で腰を下ろした。いつも、この部屋で話すときの配置だ。
「それで、警視と警部が揃って何の用があっていらっしゃったので?」
顔馴染みのアバーラインだけならともかく、アンダーソンもいるので、ラウディはまるでやる気のない敬語を使っている。それがかえってアバーラインの気分を損ねているのだが。
「先日起きた、ホーント通りの爆破事件は知っているな?」
ラウディは頷いた。万博会場の間近で起きた事件だ。お祭りに沸き立っている大衆にとって、冷や水どころか氷塊をぶつけられたようなもので、連日新聞は大騒ぎしていた。
「その件なのだが、どうにも不可解な点が多い。それで……まあ、部外者とは言え、貴様は過去にも事件に首を突っ込んだことが多いから、参考意見……いや、違うな……」
何やらアバーラインはぶつぶつと言っている。要領を得ないというか、どう言って良いものか分からないらしい。
「あなたは<術式>について詳しいと聞いたので、そのことについて、意見を聞かせて頂きたいと思ってな」
アバーラインを遮り、アンダーソンが言った。アバーラインが何かを言いかけ、そして止める。
ラウディは何となく、アバーラインが口ごもった理由が分かった。部外者の自分に、協力を請う、ということを言うのが嫌だったのだろう。何を今更という感もあるが、それはアバーラインに限ったことではなく、国家組織の人間なら誰しもが持っているものだろう。
そういった感情は、アンダーソンにはないらしい。少なくとも、実利のためなら多少の意地など切り捨てるだけの割り切りがある。ラウディは、心の中でこの警視への評価をわずかに上方修正しておいた。
「ふうん……だが何で、いきなりそんな<術式>が云々なんて話になったんだ?」
術は、このご時世、滅多にお目にかかれるものではない。以前の麻薬密売事件などは、術が用いられていたが、あの事件がむしろ例外だったのだ。そのため、犯罪捜査部も、<術式>の可能性を疑って捜査することなどまずない。
「言っただろう。不可解な点が多い、と。それで、可能性の一つとして調べてみる、ということだ」
アバーラインの言葉に、ラウディは頷いておいた。そのためにわざわざ警視が民間人のところまで出てくるほど、捜査は行き詰まっているということか。
「まず、事件の概略について説明してくれ」
アンダーソンが指示を出すと、アバーラインは頷いて、鞄から書類を取り出した。
「場所はホーント通りの中ほど……ヴィクトリア広場から続く道とぶつかる辺りだな。万博に出かけた人間がごった返しているまっただ中で爆発が起こった。
死者は一人、重軽傷者が合わせて十八人。爆発の規模がさほど大きくなかったので、負傷者は爆発の至近距離にいた人間だ。……とまあ、ここまでは普通の爆発事件なのだが」
アバーラインは言葉を切り、眉をしかめた。ヴィクトリア広場というのは、現在、水晶宮が建てられている広場の名だ。
「死亡したのは、まだ身元は判明していないが、三十代から五十代と思われる男だ。……手足はもげ、胴体も胸部と下肢が千切れてしまっていた。腹部は完全に吹き飛んで、跡形も残っていなかった」
「……聞くからにえぐい話だな」
ラウディもさすがに顔をしかめる。巻き込まれた人間もさることながら、その惨状を見てしまった通りすがりの人間も、気の毒なことだ。
「負傷者のほうなのだが。重傷なのは七人、いくらか軽傷なのが十一人。いずれも命に別状はなかった。その怪我のほとんどは火傷で、間近にいた者の中には、破片が食い込んだ者もいたが、数はさほど多くはなかった」
爆薬というのは、基本的に、火薬を熱して多量の熱とガスを発生させ、瞬間的に空気を爆発的に膨張させ、その爆風でもって周囲のものを吹き飛ばすものをこう呼ぶ。
よって、主に爆発の被害というのは、熱によるものと爆風によるものに分かれる。後者は更に、爆風そのものによって破壊される一次的なものと、爆風によって吹き飛んだものが更にぶつかって破壊作用をもたらす、二次的なものに分けることが出来る。戦場で使われる爆弾は、火薬の他に、吹き飛ばして周囲を殺傷するための尖った金属などが入れられていることが多い。
「この火傷というのは、死亡した男の血液や体組織が周囲の人間に飛び散って起こったものだ。相当に熱されていたらしいな。また、男の骨片が吹き飛び、食い込んで負傷した人間も数名いる」
改めて事件の現場を想像し、ラウディは顔をしかめた。シルーズを追い払っておいて良かったと思う。こんな話を聞いたら、さしもの彼女でも、数日肉は食べられなかっただろう。
「それから。……現場から、爆発物らしきものは一切見つかっていない」
呟くように言い、アバーラインは説明を終えた。
ここまで言われれば、ラウディも事件の不可解さに気付く。ラウディは大きく息を吐いた。
「何というか。鍋が爆発したみたいな事件だな」
具の大量に入った鍋を強火にかけておくと、熱が中でうまく循環せず、中身が破裂したかのように吹き飛ぶことがある。ラウディはその理屈までは知らなかったが、何とはなしに、ケインズでも冬には時々起こる事件を思い出した。
「……なるほど、それで<術式>ね」
ラウディは呟いた。<術式>に原因を求めた捜査本部も、やけっぱちではあったのだろうが、あながち間違ってはいない気がする。
「それで、何か思い当たる事柄などはあるか?」
アンダーソンが尋ねてくる。ラウディはそれには答えず、黙って自らの記憶を探った。
