Case4 親愛なる女王陛下 - 第05話
首都警察本部に、<術式>に関して詳しい者はいない。だが、それにも理由がある。
この現代、市井に術者というのはほとんどいないのだ。であるから、市内で起こった事件にも<術式>が絡んでいるものはほとんどなく、今まではそれでも問題はなかった。
かつて、<術式>は王侯貴族によって用いられていた。貴族がそのまま術を学ぶ場合もあったが、多くは、術者を貴族が雇う形を取った。術者は、科学が発達していなかった昔は強力な力を持っていた上、数が少ないから、貴族はこぞって術者を探して庇護し、結果、ほとんどの術者は上流階級に囲い込まれていたのである。
そして、術者は己の蓄積した知識が流出するのを恐れる。よって、信頼出来る子や弟子にしか技術を伝えず、結果、市井に<術式>についての知識が漏れることはほとんどなかった。
二百年前、革命によって、名目上封建制が崩れた。貴族の保護を失い、没落した術者の一門は多いが、資料が散逸しても、市井に術者はほとんど生まれなかった。
なぜなら、術や式について書いてある本というのは、他者へ技術が漏れるのを恐れ、ほとんどが暗号で書かれていたのだ。それを解読してみようという人間もいたが、本を一冊解読したところで、<術式>が使えるようになるわけでもない。
よって、現代の術者というのは、没落を免れた貴族たちが雇っている場合がほとんどである。それも実用面での目的はなく、慣習と古きものの保護といった側面が強い。とは言え、その数は昔と比べれば雲泥の差だ。
「…………」
目の前で黙考しているラウディを眺め、アバーラインはそんなことを考えていた。
ラウディのような在野の術者というのは、極めて珍しい。元々の数も少ないし、庶民は<術式>を嫌うから、そのことを滅多なことでは口外しないからだ。アバーラインがラウディと知り合ったのは大したきっかけでもなかったが、珍しい知り合いを持ったとは思う。
ラウディがあまり話そうとしないため、今まで突っ込んで聞いたことはなかったが。かねてより、一つ疑問に思っていたことがある。
(……こやつはどこで、術を学んだのだ?)
アバーラインは<術式>について詳しくはないが、本式、簡易式、天然という三種類がある、ということくらいは、ラウディに聞いている。そして、ラウディが用いる簡易式が、少ない術者の中でも更に使う者が少ない、ということも。
ラウディは名前からして庶民の出だ。この男と術を教えた者に、どこに接点があったのか。
「……まあ確かに、爆発を起こす術ってのはあるんだけどな」
考え込んでいたラウディが口を開いた。アバーラインは慌てて顔を上げる。
「要するに、瞬間的に空気を膨張させれば良いんだろ。なら、そうややこしいことをしないでも出来る。だが、今まで爆発の術なんぞを使おうとした馬鹿はいない」
ラウディは言った。アバーラインとアンダーソンが、揃って怪訝な顔をする。
「どういうことだ?」
アバーラインが尋ねた。
「自分の目の前で爆薬に火を付ける馬鹿が、自殺志願者以外にいるか?」
ラウディは肩をすくめた。
「本式でも簡易式でも、術を使うためには魔法陣が要る。これが原則だ。そして、術者は、術を起動するときには絶対に魔法陣に触れていなければならないんだよ。
魔法陣に点火するための口火を切るのは、要するに、術者の意志だ。だが、離れた場所でマッチに火を付けても、それを導火線に点火しないんじゃ何もならないだろ。
意志とは身体に宿るものにして両方で一、というのが<術式>の理論の大前提だ。だから、足でも指でもそれは構わないんだが、身体が魔法陣に触れた上で意識の中で『口火』を切らなければ、術ってのは絶対に起動しない」
二人の刑事は、黙ってラウディの説明を聞いている。
「でもって。術によって発現した現象……まあ、これは火を噴くでも何でも構わないんだが……は、回路から生じる。これも大前提だ。まあ、遠隔地に現象を生じさせるってのも出来なくはないんだが、それはただ単に回路から設定した発現地点まで、現象を起こさないまま<力>を移動させる、ってな式を組み込んであるだけで、正確に言えば遠隔地に発生させている訳じゃないな。このやり方で伸ばせる距離も、せいぜいが数十メトル程度だし。距離を伸ばすほど精度が落ちるからな」
「ああ、つまりだ」
頭が痛いとでも言うように、こめかみを押さえながら、アバーラインが口を開いた。
「基本的に、術で起こす爆発というのは、魔法陣の上で起きる。そして、術者は必ず魔法陣の側にいる。……と、こういうことか?」
アバーラインの言葉に、ラウディは頷いた。
「ならばそうと言え。専門用語を並べられても、こちらにはさっぱり分からん」
アバーラインはぶつぶつと言っている。アンダーソンがそれに苦笑したようだった。
「こっちはお望み通りに説明しただけだっての」
ラウディが肩をすくめて応じる。そのままラウディとアバーラインが睨み合いを始めるのを、アンダーソンが苦笑しながら場を納めた。
「……つまり、他者があの場で爆発を起こしたとは考えにくい、と」
アンダーソンが言うのを、ラウディは黙って肯定した。
「さっき言った、魔法陣から離れた場所で発現させるって場合も、その座標はあらかじめ設定しておく必要がある。誰かを狙ったとしても、人混みの中で、設定地点をそうそう都合良く踏むわけがないからな」
「ふむ……」
アンダーソンは黙って考え込んでいたが、ややあって、顔を上げて尋ねてきた。
「先程、意識の中で魔法陣の『口火』を切る、と言ったな。それは具体的には、どういう作業なのだ?」
アンダーソンの問いに、ラウディは困った顔で視線を泳がせた。
「術ってのは、世界に満ちあふれている<力>を任意の形に歪ませてやることで、一定の効果を引き出す、ってのが定義なんだが。この<力>ってのは、いわゆる『意志』と親和性が高い。
人間の意志ってのは、普段は排他的に独立しているだろ。他の人間が考えていることなんぞ分かりはしない。だが、その親和性の高さを使って、<力>を意志に取り込み、それを回路に送り込む、いわばポンプのようなことをやるんだよ。
基本的に、練習すれば誰でも出来るようになるとは思うんだが……まあ、ある種の訓練というか、修行は要る。本来の性質とまったく逆のことをやるわけだからな。俺の場合は確か、一年くらいかかった。一種の麻薬を使う場合もあるが、それは一度きりの場合で、恒常的に術を使う人間がやることじゃないな。
具体的に、と言われても、人それぞれだとは思うんだが……俺の場合は本当に、導火線に火を付ける様子を思い浮かべてる。他の術者に会ったことがほとんどないから、何とも言えないが、俺の師匠は頭の中で木槌を叩いてるとか言ってたな。
術の際に呪文……声を出すってのは、この補助のためだ。規格化された言葉を発することで意識を集中してるんだな。ほぼ確実に、術者はそうやって訓練される」
ラウディの説明を、アンダーソンは頷きながら聞いている。アバーラインはと言えば、横で完全に頭を抱えていた。
「何か思い当たるふしでもあったのですか?」
アバーラインがアンダーソンに尋ねるが、アンダーソンはそれには答えず、曖昧に笑って誤魔化した。
「とにかく、こちらでは現場や遺体の検証を続けてみるのが最優先だな。そちらから証拠を拾うのが第一だろう」
息を吐き、アンダーソンが言った。アバーラインが黙って頷く。
「あなたも、何か思い当たることがあったら、こちらに教えていただけないか。正直、こちらには<術式>に詳しい人間はいないのでな、あなたが協力してくれるなら非常に助かる」
率直にアンダーソンは言った。ラウディとしても、こう気負いも何もなしに言われると、頷かざるを得ない。
「それでは。非常に参考になった」
アンダーソンが言い、再び右手を差し出した。
刑事二人を送り出し、ラウディが大きく息を吐くと、シルーズがひょこっと顔を覗かせた。
「……何だったの? 結局。一緒にいた人も、警察の人でしょ?」
さすがにシルーズも、刑事が二人来たとあっては、いつものように乱入といった真似はしなかったが、事件が気になるのは変わらないらしい。いくらか声をひそめて尋ねてくる。
「猟奇な話をさんざん聞かされた」
ラウディはそれだけ言って肩をすくめた。シルーズが不満そうな顔をしたが、それには取り合わず、いつもの暖炉の前の安楽椅子に陣取る。
「術……ね。何でも出来る便利な魔法だったらどれだけ良かったか」
呟く。その呟きは、シルーズには聞こえていないようだった。
「あんた、相変わらず……仕事の依頼とか、そういったことじゃなかったの?」
「犯罪捜査部が、民間人の探偵なんかに仕事を回すわけがないだろ」
振り向きもせず、ラウディは言った。実際、仕事の依頼というわけではない。あわよくば協力させようという程度のものだろう。だからこそ、アンダーソン警視は包み隠さずに詳細を話した。
シルーズは、そんなラウディを呆れ顔で眺めていたが、やがて、ずかずかと窓に近寄ると大きく開け放った。とたん、外の冷たい空気が流れ込む。
「ってお前、人がせっかく温まってたってのに……」
「冬だからってずっと暖炉の前にいたら身体に悪いでしょうが! それに、たまには換気しないとまずいのよ!」
寒気にさらされるのが果たして健康に良いのかラウディには分かりかねたが、この家の中のことに関しては、シルーズのほうが決定権は強い。ラウディに反対という選択肢はなかった。
「へいへい……」
仕方がないので、もう一枚上着を取ってこようと、ラウディは奥の部屋に入ろうとする。と、後ろから、シルーズの素っ頓狂な声が聞こえてきた。
「タクト?」
シルーズが口にしたのが人の名前だと言うことに、ラウディは振り向いてから気付いた。シルーズは窓から外を見、誰かと向かい合っている。
窓の外にいるのは、シルーズと同い年くらいと思われる少年だった。年の割に精悍さを感じさせる顔立ちだったが、その表情がどこか暗いのに、ラウディも気付いた。
「……誰だ? そいつ」
尋ねるラウディには耳も貸さず、シルーズは突然現れた少年に目を丸くしている。少年……タクトは、シルーズを見て、大きく息を吐いたようだった。
「良かった……やっと見つけた」
言うと、窓の枠に腕を乗せ、体重を乗せる。見るからに疲れているようだ。
「いきなりどうしたのよ? というか、あんた、何でここが分かったの?」
「お前が言ってただろ、『探し屋』って。あちこちの人間に聞きまくって、ようやく突き止めた」
「まあ、そりゃ言ったけど……何でそんな真似したのよ? それに第一、妙に疲れてない?」
子供二人は、窓越しに語り合い始める。それは微笑ましい光景かも知れなかったが、完全に置いていかれて寒風に吹かれているラウディは、あまり楽しくなかった。
「お前の知り合いか?」
後ろからシルーズに近寄り、頭をわしわしと掴みながら問う。
「あ、うん」
シルーズは、ようやくラウディの存在を思い出したとでも言った顔で答えた。タクトはようやくラウディに気付いたらしく、はっとして顔を上げる。
「あんたが『探し屋』か?」
おそるおそる尋ねるのに、ラウディは面倒くさげな顔で頷いた。
「良かった……あんたを探してたんだ」
ほっとした顔でタクトが言うのに、ラウディとシルーズは揃って顔を見合わせた。
とりあえず、外にずっと置いておくのも何なので、タクトを部屋の中に入れ、ついでに窓も閉め、三人は向かい合った。
「とりあえず、どういう知り合いなんだ、お前たち?」
タクトは、この事務所の近辺で見かける顔ではない。何より、黒い髪と浅黒い肌という外見は、彼がイーストサイドの最奥部に住む人間だということを如実に示していた。
(……そういや)
シルーズがいきなりイエド人がどうのと言い出したのを、ラウディは思い出した。それももしかしたら、この少年についてのことだったのかもしれない。
「いや、この前偶然会ったのよ。それでちょっと話して、それだけだったんだけど……」
「まあな。いきなり殴りかかられたりしたけどな」
「あんたがしょうもないこと言うからでしょう!」
またもラウディを置いてけぼりにし、シルーズとタクトは言い合いを始める。それを、ラウディはうんざりした顔でシルーズの頭を掌で押し、遮った。
「ともかくだ。俺はまだ、その坊主の名前すら聞いてないんだが」
シルーズとタクトは、揃って、あ、という顔をした。
「タクトだ。タクト・ダグラス」
聞いてみれば、イエド人に多い名前だった。古くにエーデルランドに渡ってきたイエド人は、混血が進んで見た目も名もエーデルランド人と変わらない場合が多いが、この少年は古典的とも言える姿だ。近年ケインズに移民してきたのかもしれない。
「それで? 俺を捜していたとか言ったな。シルーズ、お前、俺のことを何て言ったんだ?」
「何って……ただ、『探し屋』って言っただけよ。それからまさか探してくるとは、あたしだって思わなかったわ」
確かに、『探し屋』などと呼ばれている人間は、このケインズでもラウディくらいのものだろうが、その知名度などないに等しい。よく、この単語一つで事務所を探し当てたものだ。
「ああもう、そこらじゅう走り回ったさ。俺こそ『探し屋』と呼んで欲しいね」
タクトは言って鼻を鳴らした。
「で、そこまでして俺を見つけて、何の用があるんだ? そこの小娘に惚れて嫁に欲しいと言うんだったら、今すぐに持って行ってくれ」
「安心してくれ、そんな食い扶持ばかりかかりそうな女はこっちもお断りだ」
やりとりの後、男二人は顔を見合わせ、にっと笑った。
「ちょっと、どういう意味よ!」
シルーズが食ってかかる。それを、二人はこともなげにやり過ごした。
「この間起こった、ホーント通りの爆発事件は知ってるだろ?」
タクトの言葉に、シルーズは頷き、ラウディはわずかに目を見開いた。そう問われるのは、今日二度目だ。
「その現場に行って、その、死体を見たんだけどな。何だかもう凄い様子だったが、その、死んでた男らしい奴を……俺は少し前にも見たんだよ」
最後は声をひそめるようにして、タクトは言った。
「あの事件は、男が一人死んでるはずだが。その男をか?」
ラウディの問いに、タクトは頷いた。
「被害者と知り合いだったのか、それとも、たまたま通りすがっただけか? それに、それだけの話で何でわざわざ俺なんぞを探す?」
いくらか冷ややかにラウディが問う。
タクトはそれに答え、ぼそりぼそりと、今までの出来事を語り出す。
ラウディの表情が硬くなるのに、さほどの時間は要さなかった。
