黒き河を往け

Case4 親愛なる女王陛下 - 第10話

 閃光の矢が一点めがけて放たれるのを、シルーズは呆然と見つめていた。
 文字通り光の速さであるその術を、見ることは出来ない。だから、シルーズが見つめていたのは、チェンバレンが展開していく魔法陣だった。
 ラウディが、よりにもよってチェンバレンを挑発した。そこまでは理解していたが、なぜ自分たちがこんな目に遭わなくてはならないのか、まったく理解できない。
 ラウディでなくとも魔法陣は赤いのだな、シルーズは思わずそんなことを思った。見る間に幾何学的な図形が展開していき、脈動し、中心に白の光が生じる。
(来る……!)
 シルーズは思わず目をつぶった。
 次の瞬間、がたんと、足元が大きく揺れた。
 今シルーズたちがいるのは、不安定な昇降機の中だ。大きくもない箱なので、足を踏み外せば床に真っ逆さまになってしまう。
「きゃっ……」
 思わず隣のタクトにしがみつく。と、ふわりと浮き上がるような感覚があった。一瞬、箱の外に投げ出されたかと総毛立つ。
 だがそれはすぐに、今度は重力に変わった。足元で金属が引っ掻かれるような大音声が響き、がたがたと大きく箱が揺れる。
「…………!」
 シルーズはぎゅっと身体を硬くしてそれに耐えていた。タクトの腕にしがみつき、目をつぶる。
「…………」
 しばらくして、振動が収まったのを感じ取り、シルーズはおそるおそる目を開けた。タクトにしがみついていたのにようやく気づき、慌てて腕を振りほどく。
「へ?」
 思わず間抜けな声を上げてしまった。視点が……今自分たちがいる位置が、先程よりずっと低いのだ。床に付くほどではないが、人間の頭よりやや高いくらいまで落ちている。
 怪訝な顔をして周囲を見下ろす。と、相変わらずやる気のない顔をしているラウディが目についた。そこからやや離れて、チェンバレンがいる。
「何があったの……?」
 シルーズは呆然と呟いた。ただ何となく見当がつくのは、ラウディが何かしたのだろうということなのだが。
「相変わらず悪運が強いな、お前は」
 ラウディが言って寄越してきた。シルーズも反射的に口が出る。
「寿命が三年くらい縮んだわよ! 淑女《レディ》相手なのよ、もっと穏やかな方法とかそんなもんはなかったのっ?」
 思わず叫ぶ。ラウディがそれにへいへい、と答えるのが聞こえた。
 

「成る程な」
 チェンバレンは苦笑しつつ呟いた。
 チェンバレンが放った矢が子供たちに当たる直前、ラウディも同様に術を起動し、箱をぶら下げている綱を断ち切ったのだ。そのため箱は落下し、光の矢はぎりぎり頭上を通り過ぎた。
 だが、そのままでは箱もろとも子供たちは床に叩き付けられてしまう。そうはならないための仕掛けが、昇降機にはあった。
 落下した時のための安全装置。この展示物における主題である。ラウディはその存在を知っていたが、チェンバレンは知らなかった。
 綱が切られたことにより安全装置が作動し、減速がかかり、叩き付けられる寸前で止まったのだ。あの気のいい開発者の発明は、万博の展示に相応しく、頼りになる代物だった。
「あんたにしてみりゃおもちゃかも知れんが」
 ラウディが口を開いた。チェンバレンに向かい、肩をすくめて言う。
「ま、たまには最新鋭ってのも悪くないな。俺も初めてそう思ったが」
 そう言う口調は大して興味もなさそうではあったが。その言葉に、チェンバレンは大きく笑った。
「はは、確かにな! 成る程、一杯食わされたわけだ」
 その口調は心から楽しそうである。シルーズはぽかんとし、ラウディは胡散臭げにそれを眺めた。
「で、俺たちをどうする?」
 ラウディが静かに尋ねた。先程のあれは、一度きりのはったりだ。同じ真似が通用するはずがない。だが、それを利用して何とか――
 ラウディは必死で算段を立てるが、チェンバレンの笑いがそれを遮った。
「十分だ。お前は、ここで消すには惜しい。だが、ここに留まるのもまた無意味であろうよ」
 チェンバレンは笑った。ラウディに背を向けると、ずっと後ろにいた隻眼の男に、目配せを一つする。
 応えて、男がすっと前に出た。チェンバレンの術に気を取られていたが、この男も銃を持っているはずだ。ラウディがはっとし、術を起動できるように腕を前に出す。
 見れば、いつの間にか、男の左目から眼帯が外れていた。暗がりなので分かりにくいが、右とやや色合いも違うようだ。
「何をする……」
 言いかけたラウディを遮り、男が叫ぶ。
「かっ!」
 ただ一言、静寂を吹き飛ばし、気合が響き渡った。
(なに……)
 言おうとして、ラウディは愕然と気づいた。身体が動かない。
 意識ははっきりしている。息も出来る。だが、己の手足が石になったかのようだ。立って腕を前に出した姿勢のまま、意志に沿おうとしない。
「な……お、前……」
 動かない、わけではなかった。辛うじて声は出る。だが、唇をわずかに動かすのに、とてつもない気力を要した。足に意識を集中させてみるとわずかながらに震えるが、それだけで、歩くことなど到底出来そうもない。
「後ろから攻撃されるのはさすがにぞっとしないからな。何、しばらくすれば動けるようになる」
 チェンバレンが悠然と言った。
「な……、何だ、これは」
「――<邪眼《イビルアイ》>」
 ラウディの呟きに、男が陰鬱にそれだけを答えた。
 <邪眼>。エーデルランドに伝わる伝承の一つだ。相手を「見る」だけで呪いをかけることが出来る魔物のことである。また、その目をくり抜いたものを嵌めれば同じ効果が得られるとされ、実際、<邪眼>であるとされる宝物も存在するはずである。
 ラウディは、今までそれをただの昔話だとしか思っていなかった。だが、そうとしか思えないような光景だった。
「なっ……」
 呆然とするラウディを残し、チェンバレンはきびすを返すと悠然と去っていく。隻眼……いや、<邪眼>の男がそれに続いた。
 ほどなくして、場には三人だけが残された。
「あ、く、くそっ……」
 チェンバレンの言う通り、しばらくすると徐々に身体が動くようになってきた。重くのしかかる身体を引きずるようにして、シルーズたちを振り向く。昇降機に乗ったまま、愕然とした表情を浮かべていた。まだまったく身体が動かないらしい。
「なん、だって言うんだ……」
 呟くだけでも相当の気力を要する。だが、何か口にせずにはいられなかった。あり得ない。何度も心の中で呟く。
 先程昇降機の綱を切ってしまったので、何か綱でも探してこなければ、シルーズたちを箱から降ろすことが出来ない。先程よりはいくらか動くようになった身体を引きずりつつ、ラウディはどこから調達しようかと歩き出した。
(何とかシルーズたちを降ろしたら……家に帰る)
 それは、当たり前のことではあったのだが。家に帰る、帰れる。ようやくそれに思い至り、危機は去ったのだと、ラウディは大きく大きく息を吐いた。
 

 ラウディはぼんやりと長椅子に座っていた。
 あの夜の対峙から数日。極度の緊張の反動か、まったく動く気になれず、いつも以上にだらりとした日々を過ごしていた。それはシルーズも同様、あるいはラウディ以上で、ラウディをまったく怒鳴ることなく、今も自室でごろごろとしている。
 動く気にもなれないが、何も刺激がないというのも苦痛なもので、ラウディは何となく側にあった新聞を取った。これだけは、シルーズが習慣で朝に買ってきたのだ。
 新聞には、変わらず万博についての特集が組まれている。展示物である昇降機の綱が切られていた事件は、ちょっとした騒ぎになったが、幸いと大きくはならなかった。早々に修理されたようで、今も来客たちを驚かせている。
 あの後。とりあえず家に戻ったラウディたちは、心ゆくまで惰眠をむさぼった。夜遅くの出来事であったこともだが、とにかく疲れていた。肉体的にも、精神的にも。子供たちは尚更だったろう。
 この事務所の所在は、チェンバレンに把握されている。また何か仕掛けてこられるのではないかと思ったのだが、一日経っても、その様子は見られなかった。チェンバレンの言を信じるなら、いきなりラウディたちを殺すべく刺客を送ってくることもないように思われたが。
 結局チェンバレンたちは、タクトが事件の『証人』であることは知ることはなかった。そのため、チェンバレンの目がある探偵事務所に置くよりは、家に帰した方が、まだ知られる可能性が少ないだろうという結論になったのだ。そのため、二日後にタクトはイエド人たちの地区に帰っていった。
 別れる間際に、きっちり互いの住所を教え合っていたのをラウディは見ていたが。これからしばらくは、郵便屋をこの近所で頻繁に見ることになるだろう。
 その、チェンバレンが起こした爆破事件だが。
 結局ラウディは、アバーラインら警察に、その首謀者を伝えることはしなかった。アバーラインやアンダーソンたちは今も捜査を続けているのだろうが、遠からず、再び凍結命令が出るだろう。
 警察が真実を知ったところで、相手は保守党の第一である。政府をその意で動かせる人間相手に、なす術はない。それに、下手に首謀者の名を知ってしまえば、アバーラインたちの存在も危うくなる。ラウディが今黙認されているのは、何らかの利用価値があると、チェンバレンが思っているからに過ぎない。
(…………)
 結局、今回はあの老人に踊らされただけだった。そんな思いが頭をよぎる。
 再び新聞に目を落とす。万博の記事と並ぶようにして、政界の記事があった。先日から議論されている、第二次選挙法改正案について。有権者の条件を大幅に引き下げ、労働者たちの大半にも投票権を与えるかという議論である。
 その議論の中心にいるのは、政治家チェンバレンである。チェンバレンの保守党は、選挙権の拡大について反対の立場を取っている。
 「世論などというものは、ただの大衆の感傷に過ぎない。大勢を見ることもなく刹那的な結論に流れる連中に、政治を云々する力はない」
 そうチェンバレンは言ってのけたという。名門に生まれた男の、長きに渡る貴族政の体現のような言葉であった。無論、新聞はそれに反論を加えているわけだが。
(……もしかしたら)
 ぼんやりとラウディは思いついたことがあった。
 新聞には、議論における、野党保守党の不利が記されている。言葉からはあの悠然とした老人の姿が浮かぶが、実際には、そう余裕のある状態ではないらしい。その彼が、「女王陛下のため」なりふり構わずに改正案の妨害を考えたら、どうなるだろうか。
 この議論で扱われているのは「大衆」の存在である。この国の大半を占める、慎ましやかに一日を生きる人々。今までその意志を汲まれることはなく、ただ土地にあり、労働力と思われていた人々。
 だが、彼らにも、進歩しようとする意志はあるのだと示された。それが万国博覧会である。滑稽ながらも都会に出、最新鋭に目を凝らす人々の姿は、今までのエーデルランドにはなかったものだった。
 それが証明されることは、チェンバレンにとっては不利だろう。彼に反論する意見に論拠を与えてしまうことになる。だから、まっただ中で何らかの事件を起こし、「こんなことが上手く行くわけがなかった」と結論づけたかった。
「…………」
 今回の件は、チェンバレンに踊らされたと思った。だが実は、チェンバレンも踊らされていたのではないか。
 大衆――多くの名もなき人々に。彼らのもたらすうねりに。
 水晶宮で感じた、何かは分からないが、世界の「変化」。チェンバレンが踊らされたとすれば、それに抵抗し、あるいは乗ることが出来なかったのだろう。だから、周到とは到底言えない、やけっぱちのような事件を起こした。
 とは言え。
「……まあ、もう、俺には仕方のないことだ」
 ラウディは呟く。たとえそれが真実だとしても、もはや何も出来ないし、やる気もない。
 ラウディは新聞を置いた。しばらく、あのことは考えたくない。アバーラインが愚痴を言いに来ないことを祈るのみである。
 と、ぎい、と居間の扉が開き、シルーズが姿を現した。今まで自分のベッドでごろごろしていたはずだが、さすがに間が持たなくなったのか。
「……飯はまだだぞ」
 シルーズを振り返りもせず、とりあえず言ってみる。だが、いつもなら何かしら言い返してくるはずの彼女からは、何の返事もなかった。
「…………?」
 ラウディは怪訝な顔をし、ようやくシルーズを見やった。その姿から、いつもの勝ち気さはいくらか薄れていたが、代わりに思いつめたような真剣な眼差しがあった。
 シルーズは黙ってラウディの前まで来ると、椅子を引いて座る。ラウディを真正面から見、シルーズは口を開いた。
「あんたの術のことだけど」
 シルーズは切り出した。唐突な話題にラウディはやや面食らったが、それを表には出さず、先を促す。
「あんたの使ってる術ってのは、つまり、簡易式よね。身体の中に<力>を通して、一部を魔法陣にする、だっけ」
 シルーズも先日、警部たちに術の説明をする場にいたから、簡単な理屈は知っている。ラウディは頷いた。
「で、この間殺された……『爆弾』にされた人っていうのも、同じことだったわけよね。身体を無理矢理魔法陣にされて。ただ、その身体が適合したかどうかという話で、本質的にはあんたのやってることと変わらない」
 一つ一つ事項を確認しながらシルーズは言う。ラウディは頷くしかない。シルーズの言葉は正解だったが、それ以上に、彼女の言わんとしていることが分からない。
「で、術を使う……その制御って、実はかなり難しいんじゃない? 前にクラレンスさんの家で爆発があったけど、あれも術の失敗よね」
 シルーズは真っ直ぐにラウディを見、問いかけてきた。
 シルーズの言うことは、これも真実である。術の行使には極度の集中が要る。つまり、それだけ精密な制御が必要とされるのだ。術者の訓練に時間がかかるのは、そもそも起動させるのにも時間がかかるが、精密さを要求されるためでもある。
「……そうだな」
 ラウディは答えた。
 その答えに、シルーズは逡巡したようだった。しばらく考え込んでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「なら。あんたも、ちょっとしくじれば、……事件の被害者みたいに、身体が爆発してしまう可能性があるってこと?」
 これがシルーズの懸念であり、問いだった。
 今まで、ラウディは何の気負いもなしに術を使っているように見えたので、その危険性など、考えたこともなかった。だが先日の話を聞いていて、浮かんだ疑惑はじわじわと膨らんでいった。
 そして先日の件。ラウディはかなりの回数、術を使っていた。もしそれが、危険な賭けだったのだとしたら……
 ラウディは黙ったままだ。それはシルーズの不安を一気にかき立てた。ラウディに詰め寄るようにして喚く。
「どうなの! そうじゃないならそう言えば良いでしょう!」
 シルーズの言葉が見当違いなら、すぐにラウディは否定しているだろう。それをしないということは、おそらく、彼女の懸念は真実なのだ。
「まあ、確かに」
 ややあって、ようやくラウディは口を開いた。
「簡易術者の事故ってのは、珍しい話じゃないけどな。身体のどこが魔法陣になるかは人によるから何とも言えないが、足を失って術が使えなくなったなんて話はよくある。もっとも、術者そのものの数が少ないから、相対的な話だが」
 世間話のようにラウディは言った。
「珍しい話じゃないって……」
 さすがにシルーズは愕然とした顔をする。そのまま一気にラウディに詰め寄った。
「人ごとみたいに言うけど、あんただってその簡易術者なんでしょう! あんたにもそれだけ危険性があるってことじゃないの」
 がくがくと揺すりながら言う。それを押しのけることもせず、ラウディは肩をすくめた。
「今まで、人にさんざん術の仕事しろって怒鳴ってたのはどこのどいつだ」
 やる気なく睨みながら言う。シルーズは一瞬言葉に詰まったが、すぐに言い返してくる。
「だって、今までそんなこと知らなかったもの! 知ってたらあたしだって考えたわよ!」
 シルーズは叫ぶ。今まで何も知らなかった、いや知ろうともしなかった自分を、思い切り怒鳴りたい気分だった。
「ま、安心しろ。俺はそう簡単にヘマはやらんから」
 ラウディは気安くぱたぱたと手を振る。だがシルーズはなおも言い募った。
「どうしたらそう断言できるのよ。今後絶対失敗しない可能性なんて、どこにもないじゃないの!」
 今までの『探し屋』としての仕事のように、静かな場所で時間をかけてやるなら、実は危険性はそう高いものではないのかもしれない。だが先日、『敵』と相対しながら何度も簡易式を使うことがあった。
 一瞬が勝負を分ける状況で、起動の速さが要求されれば、どうしても制御がおろそかになってしまう。それは、失敗の確率を桁違いに上げてしまう。
 それを承知した上で、この男は今まで術を使ってきたのだ。
「大体、何であんた、そこまで人ごとみたいなのよ……」
 さすがに怒鳴り疲れたか、シルーズはくたりと椅子に腰を下ろした。
 ラウディが、周囲に気を払わないのはいつものことだ。撥ねた髪とよれたシャツをシルーズはいつも怒鳴っている。それは、要するに無関心からきているのだろうとはシルーズも悟っていた。
 とどのつまり、自分に関心がないのだろう。シルーズはそう思った。だから自分が他人にどう見られていようと気に止めないし、一歩間違えれば死の危険がある技でも平気で行使する。
 だが。たとえ本人が気にしなかろうと、自分は気にするのだ。一応は叔父であり、庇護者であり、放っておくにはあまりにも不安な男なのだから。シルーズは顔を上げた。
「言っておくけど」
 シルーズはきっとラウディを睨みつけた。
「今後、そう簡単に術を使うことも、失敗することも承知しないわよ。あんた一人ならともかく、あたしがいるんだからね。子供を路頭に迷わせるんじゃないわよ」
 シルーズは言い切った。「自身」がどうでもいいなら、他の何かを山車にするしかあるまい。自分がその役に相応しいかは疑問ではあったが。
 ラウディは答えない。だが、肩をすくめたようだった。
 消極的な肯定、といったところか。そんなもので今後どうなるのか、はなはだ疑問ではあったのだが。
(……今後)
 あえて考えないようにしていたことに意識を巡らせてしまい、シルーズは身体を震わせた。
 先日はチェンバレンは去ったが、このまま何も起こらないなどと思うのは、楽観的に過ぎるだろう。理由は分からないが、チェンバレンはラウディに目をつけている。また何かしら接触してくることは大いに考えられた。
 そしてそうなったとして、ラウディに「術を使うな」などと言うのは無謀に過ぎるのも分かっている。チェンバレンを相手に、何の対抗手段も持たずにいられるわけがない。だが、むざむざ危険性の高い賭けをさせるわけにもいかない。
 それに、あの<邪眼>の男。見ただけで相手の動きを封じる術など、聞いたこともない。
「あのじいさんも、<邪眼>の男も、平気で術を使ってたし……」
 あれだけの術を使ってくるのに、術なしで対抗する術などあるのだろうか。思わず呟いたシルーズに、ラウディはわずかに身体を起こし、言った。
「あのチェンバレンのほうは、まぎれもなく術だが……<邪眼>は違うぞ。あれは<術式>じゃない」
 ラウディが言うのに、シルーズは目を見開いた。そのまままくし立てる。
「だって、見られただけでいきなり動けなくなったのよ、あたしたち? あれが術じゃなくて何なの……」
 <邪眼>はあくまで伝説の話である。あの現象に何らかのからくりを求めるなら、そうとしか考えられなかった。
「何度も言うが、術ってのはそう都合のいいもんじゃない。あの時に魔法陣がなかったのは、お前だって見てるだろう」
 確かに、術の発動時には必ずあるはずの光の幾何学模様……魔法陣は、あの<邪眼>には見られなかった。チェンバレンが術を使った時にははっきりとそれがあったから、シルーズにもその差が分かる。
「魔法陣がない。そもそも、あんな形で人間に干渉する術なんてのは、現時点では存在しない」
 ラウディは言い切る。人間の生理機能に干渉する術は、長らく研究されてきた分野の一つだが、それが成果を上げたという話はない。術という小手先で操るには、人間の身体というのは複雑に過ぎるのだ。だが。
「じゃあ、何だったってのよ? あれは」
 次のシルーズの問いに、ラウディは答えられなかった。
「そんなもん、俺が聞きたいっての」
 ラウディはがりがりと頭を掻く。ぶつぶつと呟くのが、シルーズの耳にも届いた。
「術じゃない。術じゃないはずなんだが……」
 呟き、疑問を口にしてみても、答えてくれる存在はいない。あれは何なのか。
 気が付けば、二人とも黙り込んでいた。それぞれの思考に没頭する。
(どうしたらいいの)
 シルーズは心の中で呟く。だが、答えが見つかるわけもない。
 行使が危険な術、得体の知れない現象。何より腹立たしいのは、当の本人はまったくそんな深刻さが見られないということである。ラウディなりに考えてはいるのかもしれないが。
「あー、もう、やめやめ!」
 シルーズが叫んだ。そのまま立ち上がる。
「今ここでうじうじと考えたってしょうがないわ。大体、何であんたのごたごたにあたしが巻き込まれなきゃならないのよ。そこであたしばっかり考え込んで、馬鹿みたいだし。
 だから、とりあえず何か食べて、それからにしましょう。てなわけで、とっとと夕飯を調達してくる!」
 ラウディにびっと指を向け、シルーズは叫んだ。悩むのに疲れたのか、開き直ったのか。
「なるようになるでしょ。もう!」
 シルーズの叫びに、ラウディは苦笑した。確かにこのほうが、この娘には相応しい。
「へいへい」
 ラウディは言うと、居候の命令に従うべく、長椅子から立ち上がった。

 

 
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