Case5 愚者と賢者の正義 - 第05話
シルーズが尋ねてきた一言に、ラウディは目を丸くした。
「ねえ、うちに歴史の本ってなかったっけ?」
シルーズは、ラウディの部屋に入って来るなり、積み上げられたままの本と格闘し始めた。また崩されてはたまらないと、ラウディは慌てて追い出そうとしたが、シルーズはそれにひるむことなく、更に尋ねてきたのである。
「……はあ?」
パニッツィが事務所を訪れたのが昨日のこと。依頼を引き受けたはいいものの、正直、どこから調べていくかの計画もまだ立ててはいない。ことは慎重に進めねばならず、ラウディも今から新聞や年鑑を漁ろうと思っていたところであった。
「……何じゃそりゃ」
ラウディはそうとしか言うことが出来ない。ラウディが教えた読み書きはそれなりに意欲的に学んでいたが、シルーズは今まで歴史などに興味を持ったことはなかった。何しろ、王や姫君のお伽話をしたところで、「そんなアホな王様嫌」と言ってのけるのがこの少女なのである。
「また何か俺に隠れて変なもん食ったのか?」
シルーズがおかしな言動を取る原因は、ラウディには食べ物しか思いつかないらしい。そう呟いたラウディを、シルーズは思わずはたいた。
「違うわよ! ただちょっと、調べたいことがあっただけ」
シルーズは怒鳴ると、なおも、本の山を漁ろうとする。それを邪険に払いのけ、ラウディは嘆息すると、蔵書に目を落とした。
「歴史ったって、何についてだ。ここ七、八年ならともかく、それより前だとろくに資料もないぞ」
がりがりと頭を掻きながらラウディが言う。シルーズは、昨日聞いた言葉を思い出しながら口を開いた。
「ええと、獅子王とか、七年戦争とか、そのあたり」
「馬鹿か。獅子王が生きていた時代と七年戦争は、三百年くらい離れてるぞ。その間について全部調べてたら、一生かかっても終わらん」
ラウディはさすがに、国史についての知識は一通り頭に入っているらしい。即座に答えてのける。
「えー、えーと、じゃあ」
シルーズは頭を抱えた。何せ、今まで知ろうともしなかったことであるため、どこから手をつけて良いのか分からない。
口を開こうとして、シルーズは一瞬、息を止めた。何か重大なことを告白するときのように、背中に汗がにじむ。
「カティオ宰相……とか」
言うその声は、シルーズは自覚することはなかったが、わずかに震えていた。ラウディがそれに気づいたのかは定かではないが、その言葉に、ようやくラウディは納得した顔をした。
「何か、お前の先祖のことか。何だっていきなりそんなことを言い出したんだ」
ラウディは呆れたような顔をする。汗をにじませていたシルーズははっと我に返り、思わず食って掛かった。
「何、あんた知ってたの? その、あたしの先祖が偉い人だとか何とか」
「そりゃあな。義兄さん……お前の親父には会ってるし、名前を聞けばそのくらいは見当がつく。義兄さんに特に話は聞いてないが」
ラウディとその姉、つまりシルーズの母の旧姓はチャリオットだから、シルーズがカティオの血と姓を受け継いだのは当然、父からである。ラウディも、姉が結婚する時に義兄に引き合わされているので、『シェル・カティオ』の姓を聞いたときはいくらか驚いたものだ。
「じゃあ、何で教えてくれなかったのよ?」
その一言に、ラウディは眉を寄せた。
「言っても、別に意味がないからな。義兄さんも特に気にした様子もなかったし」
ラウディの返答はその一言だった。シルーズはなおも食ってかかる。
「だからって、そのくらい教えてくれても良かったじゃない。世が世なら、お前は貴族のお姫様なんだぞ、とか」
「世が世なら、ね」
シルーズの言葉に、ラウディは苦笑する。その一言はまるで、自分の心の奥底を見透かされているようで、ぎくりとシルーズの心臓が跳ねた。
「……でもさ」
気がつけば、シルーズの脈拍は速くなっていた。それを意識から振り払うように、彼女は話題を変えた。
「そのご先祖様って、偉い人だったんでしょ? でも、今の貴族も、昔から偉い人っていっぱいいるじゃない。何だってうちの先祖は没落したわけ?」
昨日、チェンバレンに話を聞いた時からの疑問を尋ねる。だが、その一言に、ラウディは何か含んだ表情をした。
「聞きたいか?」
苦笑を混ぜて尋ねてくる。それに、シルーズは頷いた。
「誰がお前にそんなことを言ったのか知らんが、聞かない方が良いと思うけどな」
ラウディが言って来る。
「そう言われると、余計気になるじゃないの! いいから教えなさいよ、何だってのよ」
シルーズはラウディに詰め寄ると、襟を掴んで揺すった。だらしなく開いていた襟元は、それによって見る影もなくなる。
「まあ、別に大した話じゃないけどな。
カティオ家ってのは、獅子王の子供が確か公爵になってできた家だっだっけかな。だからお前の通り、『シェル』の姓を持ってる。それからずっと地位の高い貴族をやってて、七年戦争の時には、エーデルランドの宰相として大陸にも出兵してた。まあ、結果は惨敗で、かなりの損害を受けて撤退したけどな。お前が聞いたのは、多分、そこらへんの話だろう」
シルーズがチェンバレンから聞いたのは、実際には断片的な単語だけだったのだが、シルーズは頷いておいた。とりあえず、チェンバレンは嘘を言っていたわけではなかったらしい。
「で、その出兵で失敗したのが叩かれて没落したとか?」
シルーズが尋ねる。だが、それにラウディはかぶりを振った。
「いや。確かに失敗したが、それであの宰相は辞任したりはしてない。それから死ぬまで権力を握り続けたはずだ。その息子ってのは印象が薄いんではっきり覚えてないが、まあ、そこそこの地位はあったんじゃないか」
ラウディは眉を寄せ、記憶をたどりながら言う。シルーズは怪訝な顔をした。
「じゃあ、何で? そんな失敗しても平気だったのに」
それは当然の疑問だったが、ラウディはまた苦笑した。
「年代までよく覚えてないが、七年戦争から百年かそこらは経った頃だと思うが、当時のカティオ家の当主の公爵ってのは、えらい変な人物でな。機械……まあ、今みたいな大掛かりなやつじゃなくて、からくり仕掛けの人形みたいなもんだが……をいじるのが好きで、自分が発明した代物を、嬉々として国王に見せに行った」
ラウディの説明に、シルーズはふむふむと頷く。
「その時発明した機械ってのは、バネやそんなものを組み合わせて、自動的に動く人形が、皿を運ぶとかいうものだったらしい。それが何の役に立つのか分からんが、暇人の考えることは分からん。
で、実際に試してみようって話になって、皿を運ばせてみた。そうしたら、その人形が暴走して、国王に突撃した上、載せてあった皿と料理を顔にべしゃっと激突させた」
「…………」
あまりと言えばあまりの内容に、シルーズは黙り込んだ。
「ついでにその騒ぎで蝋燭が倒れて、火事にまでなりかけたらしい。結局小火で済んだらしいが、国王は火傷して、危うく死ぬところだったとまで言ったとか」
「……で」
その続きは何となく想像がついたが、シルーズは先を促すことにした。
「で、当然国王は怒り狂って、カティオ家から一切の地位と領地を取り上げた。まあ、公爵にも悪意はなかったんだろうというか、そんなアホなことで処刑するのも何だってんで、死人は出なかったけどな。
当時の歴史書なんか見ると、結構詳しく書かれてるらしいけどな。宮廷史上、もっとも情けない取り潰しってんで」
言ってラウディは肩をすくめた。
「そ、そんなアホなことでうちの先祖は没落したの……」
シルーズはそれだけを言うのがやっとだった。だが、ラウディはそらっとぼける。
「そうか? 俺はいかにもお前の先祖だと納得できる逸話だと思うが」
そう言ったラウディは、次の瞬間、シルーズにまたもはたかれた。
「悪かったわね!」
手近にあった本をラウディに振り下ろしつつ、シルーズは喚く。それを避けつつ、ラウディは苦笑した。
「まあ、俺の覚えてるのはこのくらいだ。後はまあ、その先祖ってのはどこかをふらふらしてて、お前みたいなのが何の因果か末裔として生まれたと」
どうりで、父が何も言わないわけである。いくら栄光を誇った家であろうと、末路がそれでは、自慢する気にもならないだろう。
「…………」
何だかやけに気が抜けて、シルーズはぺたりと床に座り込んだ。その頭をラウディがぽんと叩く。
「お前が何を期待していたのかは知らんが、ま、歴史なんてそんなもんだ。
……ところで、俺も仕事があるんでな。用が済んだならとっとと出てけ」
言うなり、ラウディはシルーズの首根っこを掴み、部屋から追い出そうとする。珍しく、シルーズはラウディに引っ張られるままに外に出た。
「何だって、人が珍しく仕事しようと思ったら、こう邪魔ばっかり入るんだかな」
ラウディはぼやいた。とは言え、思わず口から漏れる呟きではなく、嫌味たらしく目の前の相手に聞かせる類のものである。
その聞かされた相手、アバーラインは、むすっとした顔で応接室のソファに腰掛けた。
「で、何の用だ? 生憎と今は依頼が入ってるんで、警察からの厄介事は引き受けられないぞ」
ラウディは先手を打って言っておく。万博の一件、チェンバレンと相対することになった直接の原因は、警察と度を超えて関わってしまったことだった。相談を持ち込んだアバーラインたちを恨むわけではないが、しばらく距離を置いた方が良いのは確かだろう。
「…………」
ラウディから皮肉を言われても、アバーラインは黙ったままだ。だがその表情には、はっきりと苛立ちが表れていた。
シルーズがいきなり先祖について尋ねてきたのが午前のこと、そしてアバーラインが突然事務所を訪れたのが午後。何用かと尋ねても答えず、アバーラインはどすどすと事務所に足を踏み入れてきた。顔馴染みなので追い返すことはしないが、迷惑がるより先に怪訝さが先立つ。勇み足になることも多いが、基本的に、アバーラインは目的のない行動は取らない質だ。
「……何だっていうんだ、一体」
思わずラウディは尋ねた。眉をひそめ、目の前の知人を見やる。
ラウディの顔に気づいたのか、アバーラインは大きく息を吐いた。そして口を開く。
「先日の件がまた凍結になったのは、貴様も知っているだろう」
アバーラインが言った。ラウディは頷く。
先日、万博会場の近くで起こった爆破事件。それにラウディも関わることになったわけだが、チェンバレンにより、事件の捜査は凍結させられている。以前に起こったドイル・ホバートの殺害の凍結の際は、さほど新聞で取り上げられることもなかったが、今回はそもそもが大きく取りざたされた事件であったため、新聞にも記載があり、ラウディもそのことは知っている。
もっとも、新聞に載らずとも、見当は付いたであろうが。おそらくラウディは、この件については、新聞よりは情報を持っている。
「まあな」
だが、知り得たその多くを、ラウディは警察には話していない。アバーラインを前に、ラウディはそう相槌を打つに留めた。
「まったく、何がどうなっているのだか。ドイル・ホバート事件に、万博の爆破事件。そして、国立博物館での変死事件」
アバーラインが呟いた。彼には似合わず、短く整えた髪をがりがりと掻く。その苦悩の風情は、ラウディは今までアバーラインに見たことはなかった。
「警察も大変だな。その、博物館の事件ってのも、おかしな風になりそうなのか」
ラウディは何も知らぬ風を装って聞く。依頼がパニッツィからあったことも、警察には伏せておいた方が良い。
「おかしいも何もあるものか。今この情勢での、議員と秘書の変死だ。横槍が入らない方がおかしい」
言い、アバーラインは大きくため息をついた。
「自由党側は犯人探しに血眼になっているし、保守党は仲間割れだの何だのと相手を批判している。総監や部長もどちらからもかなり言われているようだが、やり過ごすので精一杯だろう」
「まあ、そうだろうな」
アバーラインの愚痴に、ラウディは頷く。こういった状況を予測したから、パニッツィは民間人のラウディに依頼してきたのだろう。その推測は正しかったわけだ。
「……で、結局、何しに来たんだ、あんた」
ラウディは再び尋ねる。知っていることを誤摩化すというのは、これでなかなか骨が折れる。ラウディは話題をすり替えることにした。
「愚痴を言いに来た。悪いか」
アバーラインは言い、ようやく顔を上げた。その顔から苦悩の色は消えてはいないが、どこか吹っ切れた感がある……もっと言うなら、目が据わっている。
「あんたの口からそういう言葉を聞くことになるとは思わなかったな」
これは本音からラウディは言った。呆れたように肩をすくめる。
「何とでも言え。同僚たちと話しても気が滅入るだけだし、さりとてこの話が出来る人間はあまりおらんのだ」
完全に開き直った様子でアバーラインは言った。確かに、捜査の凍結が云々といった、内情を話せる部外者というのはあまりいないだろう。ついでに言えば、アバーラインは未だ妻帯していない。
「まあ、その愚痴聞き相手に選んでいただいたのは光栄なんだが。こっちにも色々仕事とか都合とかいうものがあるんだが」
ラウディは言ってみる。ここでアバーラインから情報を引き出してみるのも手なのだが、それは何となく気が引けた。何より、今の自分の状況を考えると、警察と必要以上に関わるのはよろしくない。
「どうせ半日くらい潰れたところでどうにもならんだろう」
アバーラインはにべもない。酒でも飲むかのごとく、目の前に置かれた紅茶を一気に流し込んだ。少し崩れた格好をして酒場《パブ》にでもいれば、まったく違和感がなさそうだ。
「…………」
ここまでアバーラインが焦燥しているのを、ラウディは見たことがない。そのくらい、警察もまた混乱しているのだろう。
「もしこの事件が本当に、議会に絡んでいるとするなら、当然保守党に疑いの目がいく。それも、議会での審議すら拒否しようとした急進派あたりだが」
ラウディに聞かせるためか、ただの呟きなのか、アバーラインが口を開く。
「さりとて、そちらの動きを捜査することすらままならん。我々を無能と罵る癖に、まったく協力しようとはせん」
「ま、本当に保守党が云々ならそうなるだろうな」
ラウディは言ってみる。このくらいなら、今は誰でも言っている話だ。
「己が潔癖だと言うのなら、それを示してみせろというのだ。あの連中とて、自分たちに疑いの目が言っていることは知っているだろうが」
アバーラインが苦々しく言う。それにラウディは苦笑した。
「誰もが痛い腹は探られたくないんだろうさ」
政治家が、後ろ暗いことの一つや二つもやっていないわけもないだろう。この時期それが明るみになることは死活問題だのはずだ。
アバーラインもそのくらいは分かっているのだろう、ラウディの言葉には表情をより険しくしただけだった。空になったカップを忌々しげに眺めてから置く。
「……もう一杯取って来るか?」
ラウディは言ってみた。お茶出し係のシルーズは、今は自室に引っ込んでいる。
アバーラインが何も言わないので、ラウディは勝手に立ち上がる。扉を開けようとしたラウディの背中に、アバーラインの声がかかった。
「貴様も、今は依頼があると言っていたな。それはどんな内容なのだ」
アバーラインからすれば、それは世間話のつもりだったのだろう。だが、ラウディはぎくりとして動きを止めた。
「まあ、大したことでもないんだけどな。針を一本探してこいとさ」
ラウディは振り返らぬまま言う。そのまま紅茶を取って来るべく、応接室を後にした。
主人が出ていった扉を、アバーラインは黙って見つめている。だがその目は、鋭く細められていた。
