黒き河を往け

Case6 いつか時が流れても - 第04話

 人の死というのは悲劇でありまた逃れられぬ運命だが、時としてそれは何にも勝る娯楽となる。
 古代において、貴族たちは闘技場で奴隷たち、また奴隷と猛獣を戦わせて楽しんだ。命と命のやりとりをまったく関係のない場所から俯瞰するのは確かに例えようもない興奮があるだろう。それは上流階級たちに限った話ではなく、今でもちょっと路地裏にある酒場《パブ》にでも行けば闘犬や闘鶏に興じる男たちを見ることができる。
 だがやはり一番興奮するのは人の死であろう。それを叶えるものがまだこの時代には存在していた。
「…………」
 人通りもまばらな道をシルーズは眺め、その先にあるものを見て背中を震わせた。
 絞首台である。綱などは死刑執行の直前に準備するため今あるのは土台くらいなものだが、囚人を何人も縊り殺してきたという目で見ればただの土台も途端に禍々しいものに映る。
 シルーズは思わず横に目を逸らす。そこには煉瓦の壁が続いていた。
 ラムズゲイド監獄。それがこの高い外壁を持つ建物、そして絞首台の名称である。
 この監獄はケインズで起きた事件の罪人たちを収監する施設である。監獄の外壁の隣は広場になっていて絞首台はそこに面している。
 最近は芝居小屋など“洗練された”楽しみも増えてきたが、前時代の“野蛮な”庶民の楽しみも依然として存在する。そしてその最たるものが囚人の公開処刑であった。
 今日は行われてはいないが、たまの月曜日の朝、囚人の処刑がここで行われる。それは庶民たちの大きな行事の一つであった。
 その日には広場には身動きが取れないほど人間が溢れる。人口百万強のケインズにおいて一万人以上の市民が詰めかけると言うから、その規模の程が知れるだろう。
 シルーズは処刑を見に行ったことはないが、馬鹿馬鹿しくなるようなほどの騒ぎなのだという。牧師が後ろで聖書を読み上げる中、執行人が囚人の首に綱を付け足下の板を開く。群衆が囃し立てる中で新聞売りが『囚人の最期の言葉』なるものを書いた号外を売り歩くが、それは前日に刷られたものだというから、内容などあってないようなものである。
「…………」
 死刑の執行人は下手にやるので有名だった。一概に絞首刑といっても、このやり方は必ずしもすぐに死ねるわけではない。すぐに死ねるか数分間もがき苦しむかの差は微妙なもので、執行人は結び目の位置などでその調整を行うのだという。最期にして最悪の数分間を、大衆は静まりかえって凝視するのだ。
「ねえ……」
 シルーズは思わず横を歩くラウディの裾を掴んだ。別にお上品ぶりたいわけではないが、あまり居心地の良い場所ではない。できるなら早めに立ち去りたい。
 だがラウディは、そんなシルーズの様子に気づいた様子もない。鋭い目つきでひたすら周囲を見つめている。
 ここ三日ほどラウディはずっとこの様子だった。闇雲にケインズ中を歩き回りあちこちを睨み付けている。行き先はまちまちで規則性はなく、ラウディが何か考えて捜索先を選んでいるとは思えない。事務所に一人でいるのは危険、また捜索の人手になるかもしれないということでシルーズもずっと同行している。
 そう、探しているのだ。――マリエル・チャリオットという女を。
 先日アバーラインから聞いた、チェンバレンに関わりがあったらしい女。そして、ラウディの妻の名でもある。
 ラウディが口にした『アンカーティス』というのは、マリエルという女の旧姓らしい。三年前に姿を消したのは明らかに彼女の意思であったから、ラウディは彼女が旧姓を名乗っていると思いそちらを尋ねたらしかったが、アバーラインの情報が正しいなら彼女は未だ夫の姓を名乗っていることになる。
 その意図もチェンバレンとの関わりも、まったく分からない。だがラウディは、かつての妻の名を聞いた途端、猛然と動きだした。百万を超える市民の中からたった一人を捜そうとして必死になっている。
 行方不明とは言え妻らしき人物の名が出てきたなら、必死に探そうとするその心情は分からなくもない。だがラウディは他の人間とは違う要素を持っている。“探し屋”の名と<追跡>の振り子。ラウディの能力を考えればこの行動は奇異としか映らない。
「ねえ……術とか使わないの?」
 この三日間シルーズは何度この疑問を口にしたか知れない。何せ目の前の男は名前だけでも分かれば街区程度には位置を絞り込む能力がある。ましてや妻であれば誰よりも彼女について知っているだろう。それならば、ケインズかその近郊にいるならかなり正確に居場所を把握できるはずだ。
 だがラウディは一度も振り子を手にしない。その代わりに足で歩き回っている。
「…………」
 ラウディに話しかけるのを諦め、シルーズは周囲に視線をやった。なるべく絞首台を見ないようにしつつ辺りを見回してみる。こんな場所に来る女などいるのか疑問だったが、探せと言われれば探すしかない。大雑把な外見の特徴は聞いているし――以前、こっそりと写真を見たこともある。
 だがそれらしき人物は見あたらない。そもそもほとんど人はいなかったが。
「……ここにはいないみたいだけど」
「ああ……」
 ようやくラウディは反応した。大きく息を吐くと、監獄に背を向けて歩きだす。それでも周囲に目をやることは忘れなかったが。
「次はどこに行くの?」
 聞いてもラウディは答えない。おそらく本人も分かってはいないだろう。
 ただ勘を頼りに歩き回るだけだ。<追跡>によって高められていないままの。
「…………」
 シルーズは暗澹たる気分でラウディに続いた。


 アバーラインの目の前には、門とそこから屋敷に続く小径があった。
 何しろ国を動かす重要人物の一人の屋敷である。相応の規模であろうと思って訪れたのだが、実際にあるのは意外にもこぢんまりとした――あくまで貴族としての感覚だが――邸宅だった。かつての栄光はないものの歴史あるアバーライン家を見慣れた彼から見ると、どうにも貧相に映る。
「ふむ……」
 悠長に驚いている暇はない。誰かを見つけて声をかけようと中を覗いてみると、たまたま執事らしき男が庭にいた。執事はじきにアバーラインに気づき近づいてくる。
「当家にいかなるご用でしょう?」
 執事の老年の男は、唐突に現れたアバーラインに不審を隠そうともせずに言った。
「こちらのご当主は、今いらっしゃるだろうか?」
 ここで威圧感を感じたら負けだ。そう自分に言い聞かせつつアバーラインは居丈高に言った。こういう時は自分の強面と貴族としての躾をありがたく思う。
「確かに、今主人はこちらにおりますが」
 執事は顔をしかめつつ言う。
「いかなるご用件でこちらにいらっしゃいましたか? それに何より、あなた様は何とおっしゃるのでしょうか」
 服装は丁寧に整えてきたものの、今のアバーラインは供の一人もなくいきなり門前に現れた男に過ぎない。執事がじろじろと見てくるのは仕方ないが、いささか不快感を覚える。
「ドミニオン・イル・アバーライン。ランカッスルに所領を持つ、アバーライン家の当主の第三子にあたる者だ」
 アバーラインは敢えて自分の出自を名乗った。警部の身分を名乗るよりは今はこの方が都合が良い。
「は……」
 アバーラインがそこらのごろつきでないとは分かったものの、それを証明するものもない。執事は困った顔で黙り込むが、万が一ここで嘘と決めつけて追い返しでもしたら後々厄介なこととなるのも分かっている。
 執事はもう一度アバーラインを見た。派手さはないが着ている上下は上質のものだし、高帽子《トップハット》、手にした杖も品のいいものだ。実態がどうあれそれなりの地位の人間であることは確かだ――執事はそう判断した。
「分かりました。それでご用件は?」
「こちらの主人にお尋ねしたいことがある。急なものだったので、こうやって直接訪れた。事前に連絡をしなかった非礼は詫びよう」
 アバーラインは用件については言わなかった。馬鹿正直にここで口にしたらこの場で追い返される。何とか主人にまで行き着かなくてはならない。だから事前に何も言わず押しかけたのだ。
「…………」
 またも執事は黙り込む。手紙や来客を見て主人に不利益か否かを判断するのも執事の仕事だ。その眼力が執事の力量を決める。
 しばしの黙考の結果――
「分かりました……こちらに」
 執事は言い、静かに門を開けた。そしてアバーラインを先導して歩いていく。
(何とかここまでは、か)
 アバーラインは密かに息を吐く。とは言えこれからが本番だ。
 歩きつつこっそりと屋敷の中を観察してみる。外見の通り質素ではないがさほど華美ではなかった。まあ、これは仕方のないことかも知れない。
 ここの主人の父は裸一貫から身を起こして成功した商人であったらしい。その財力を持って主人は現在の地位を為したわけだが、つまり代々続く貴族の家系ではない。最近は美術品を買いあさる成金も多いが、その類ではないならこんなものだろう。
 何せ女王陛下が爵位を贈ろうという話があった時にすら、「自分は偉大なる平民でありたい」と言って固辞したほどの男なのである。普段の生活もまた然りだ。
「こちらです」
 主人が一つの扉の前で止まった。先に使用人の少年が執事の言伝を持って走っていったから、主もアバーラインの来訪は知っているはずだ。こんこんと執事が扉を叩くと、「入れ」という短い返事が返ってくる。
(……さて)
 思わず身体が震える。この扉の向こうにいる人物を考えれば、そうもなろうというものだ。チェンバレンと相対したラウディもこんなものだったのかと思わず知人の顔が頭をよぎるが、それは何とも皮肉な考えだった。
 ジェームズ・ウォルポール。
 自由党の代表格にして現在の蔵相。選挙法改正法案の首謀者にしてチェンバレンの最大の好敵手こそが、アバーラインが訪れた相手なのだから。
 きい、と軽い音を立て、扉が開いた。


 ラウディは行き詰まっていた。
 闇雲にケインズの街を歩き回って数日。“妻”の性格を思いだしつつ、思い当たる場所を片っ端から巡りついでにそうでない場所も巡ってみたが、未だその足跡を見つけることすらできない。それも当然で、百万人以上の中からたった一人を数日で見つけるなど本来は絵空事のようなものだ。
(…………)
 ほんのわずかの例外もあることはあったが。だが自分がその例外だという自信は、三年前に打ち砕かれた。
(どうする……どうする)
 とはいえ猶予はない。アバーラインからもたらされた情報だと言うことは警察も彼女を追っているであろうし、他にもマリエルを追う可能性のある存在はある。
 言うまでもなくチェンバレンの残党である。最近になってチェンバレンが彼女を探させたその意図は分からないが、残党が彼女も関わりがあると見なす可能性はある。いかんせん情報不足なので推測の域は出ないが。
「……そうか」
 ふと無意識にラウディは呟いていた。
 チェンバレンの残党がマリエルを探すとは限らない。だが試してみる価値はある。チェンバレンの関係者のうちある程度見知っていて<追跡>をかけられそうな存在といえば、<邪眼>である。
 <邪眼>の居場所を探ればその近くにマリエルはいる可能性はないだろうか。チェンバレンの近くにいた<邪眼>なら、彼女についても何かしら情報を持っているはずである。
 もっともそれはマリエルに危険が近づいているということでもあり、あまり望ましい展開ではなかったが。ともあれやってみなければ分からない。
 ケインズの地図を広げ賢者石の振り子を引っ張り出す。一瞬、この振り子をひどく久々に見た気がした。常に身には付けていたのだが。
「って、あれ?」
 横にいたシルーズが驚いた顔をした。ここ数日ラウディがまったく<追跡>を使おうとしないのを見ていたせいだろう。今は説明している暇も惜しいので、シルーズに向き直るのは後にする。
「我が望むは真実・我が描くは法陣・我が生み出すは道標」
 唱え、脳裏に<邪眼>の姿を浮かべる。眼帯。色合いの違う瞳。黒ずくめの容姿。
「――――!」
 ゆらり、と振り子が動いた。思わず目を見開くシルーズの前でゆっくりとその動きが収束していく。
 振り子は地図のほぼ中央を示していた。つまりケインズのほぼ中心部、テリスト川のちょうど真上である。
 シルーズが慌てて地図に印を付けると、ラウディは術を解除した。そして地図を覗き込む。
「……これなら」
 ラウディが唇の端だけつり上げて笑った。
 振り子が示した範囲は狭くはない。だがそれは川を含んでいる上に、もう一つ捜索の範囲外としていい場所があった。
 テリスト川の川縁には中央塔と呼ばれる建物がある。それなりに大きい建物だが、現在は一般市民は立ち入ることができない。<邪眼>がそこに入り込むとは考えにくいから、川と同様に対象外となり、実際に歩いて捜索しなくてはならない面積はぐっと減る。
 無論、<邪眼>が彼女に繋がらない可能性もある。だがわずかな可能性にでも今はすがりたい。
 上着を羽織るなり事務所から飛びだすラウディを、シルーズが慌てて追った。


 中央塔と呼ばれる建物が最初に建築されたのは五百年以上前のことである。それから改修・増築が繰り返されてきたが、ここ五十年ほどは手も入らぬまま見捨てられている。
 この建物はかつては監獄として使われていた。とは言え先日訪れたラムズゲイド監獄のような一般市民の囚人ではなく、政治闘争に敗れた王族など地位の高い者に対して使用された牢である。かつて何人もの王族貴族がここで苦難の生活を送り、ある者は断頭台に消えまたある者は復権して栄光を誇った。エーデルランドのあまたの歴史の舞台となったと言って良いだろう。
 ここに幽閉されたのは存在そのものが政治的意味を持つような人間ばかりだったから、その警備も厳重を極めた。その最たるものがこの塔の建築で、テリスト川に隣接して建てられており川から船を使うしか出入りする方法がないのである。
 建物の周囲は頑丈な外壁で囲まれ、通用門の一つもない。これなら水門を封鎖するだけで完璧な密閉空間とすることができる。これにより中央塔は利用価値の高い牢となったのだ。
 だがそれも昔の話だ。議会政治が確立してからもしばらくは政敵を牢に送り込むような風潮はあったが、現在はそれも廃れている。一応国が保有する施設であるので、警備の人間はいるもののほとんど放置に近い。観光場所として再利用しようという意見もあったが、前述の出入りの難しさが災いして立ち消えとなった。
「…………」
 朽ちかけた歴史の塔。その様は間近で見るとあまりぞっとしなかった。
 思わず塔を見つめたシルーズだが慌ててラウディの後を追う。ラウディは側の塔にもシルーズにも注意が向かないようで、ひたすら周囲に視線をやっている。
 この近くにいる可能性のあるのがあの<邪眼>だと思うと思わず尻込みしたくなるが、シルーズも周囲を見回してみる。とは言えシルーズが覚えているのはあくまでかの男の服装であって、もし違う格好をされたらまったく分からないであろうが。
「ん……?」
 ふと視界の隅に動くものを捕らえて、シルーズはそちらに視線を向けた。
 向こうから人が走ってくるのだ。遠いのでよく分からないが服装からすると女だ。茶色の地味な服を着て今にも転びそうな勢いでこちらに駆けてくる。
「なに……」
 思わず呟くシルーズの前で、女は向きを変え、別の道に入っていった。そして、その次に姿を現したのは――
「…………っ!」
 隣のラウディが息をのむのが分かった。
 黒ずくめの服も左目を覆う眼帯も以前の通りだった。現れた<邪眼>は、やや離れた場所にいたラウディたちには気づかなかったのか、先程の女と同じ道に走っていく。
 そこで二人ははっと気づいた。あの<邪眼>が追っている女ということは。
 ラウディが猛然と駆けだすのをシルーズが慌てて追う。ラウディは二人が入っていった道に駆け込み、大声で叫んだ。
「待て!」
 その大音声に追跡劇を繰り広げていた二人は足を止めた。<邪眼>はラウディの顔を見てわずかに表情を変え、その先にいる女も目を丸くしてラウディを見やる。ここでシルーズはようやくまともに女の顔を見た。
 金髪の女。その顔立ちは確かにアバーラインが言っていたとおり美女で――以前に見た一枚の写真と同じものだった。

 

 
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