黒き河を往け

Case6 いつか時が流れても - 第07話

「……ほう?」
 ウォルポールはやはり口元を歪めて笑った。だがそれは、先程までの雑談の時とは違い、わずかな動揺を含んでいるとアバーラインには見えた。
「あの男も、先日殺害されたな。警察はそちらの捜査に忙しいと思ったが」
「無論、今本部は大騒ぎしていますが。私の担当事件はこちらですから」
 アバーラインはしれっと言ってのける。ウォルポールは苦笑した。
「で、その犯人が死んだから、その捜査と一緒に後ろ暗いことも暴こうと?」
「何人たりとも、罪を犯したならば裁きを受けねばなりません。それは生きて裁判にかけられるべきで、その前に死亡したことは無念ですが」
 とは言え、チェンバレンが生きていたら到底そのようなことはできなかっただろう。アバーラインやその同僚がアイザックの後を追っていただけだ。今が混乱しているからこそそれに乗じて事実を白日のもとに引きずりだそうとすることができる。そうせざるを得ない現状が何よりアバーラインには無念だった。
「証拠はあるのか?」
「証人はおります。あとは、死者を罪人にしてくれる判事だけです」
「なんとも率直で分かりやすいな」
 おどけた様子でアバーラインは言うのに、ウォルポールが苦笑する。
 この時代まだ判事というのは専門職ではなく、有閑階級の貴族が務める名誉職である。当然汚職や賄賂は横行し、被告原告から渡された賄賂をそれぞれ積み上げて、高かったほうを勝者としたなどという笑えない話もある。有力者の意向を受けることも多いだろう。
「しかし、その殺害を指示したというのは? あの貴族の中の貴族のような男が、街中の人間と関わりがあるとは考えにくいが」
「チェンバレンは、非合法に無頼の人間を組織化してもいたようです。有事の際に、自分の手先として使うためでしょう。被害者もそのうちの一人で、反旗を翻したために殺されたと思われます」
 ウォルポールは無言。チェンバレンのそのことについてウォルポールがまったく知らないはずはないが、たかだか市井の一人の殺人事件のためにそこまで暴こうとするアバーラインには、いささか驚くものがあったらしい。
「なるほど、まったくもって君は面白い。そのために私に手を貸せというのだな」
 ウォルポールの言葉に、アバーラインは頷いた。
「他にも、私がいくつか把握していることはあります。先日の国立博物館での、少年とユーワート議員の殺害事件。万博期間中、大通りで起こった爆破事件――」
 アバーラインはラウディに聞いたことを一気に話す。今度こそウォルポールの表情が変わった。
「君はつまり、全部を白日のもとに晒そうというのか」
 動揺よりもむしろ呆れ返った口調で言ってくる。アバーラインは真正面から答えた。
「私の現在の職務は、アイザック・オールビーの殺害の捜査です。その捜査の際、犯人の過去の罪が明らかになることはあるかもしれませんが」
 しれっとアバーラインは言う。これにはウォルポールも一瞬言葉を失ったようだったが、次の瞬間にまた声を上げて笑う。
「君は馬鹿なのかもっとも賢いのか、分からんな」
「それは褒め言葉と受け取っておきます」
 アバーラインは肩をすくめた。ここまでは確かな手応えを感じている。
 ウォルポールはチェンバレンの長年の宿敵だった男だ。だがそれだけでなく、アバーラインの行動が起こす波紋を承知した上で面白がっている部分がある。アバーラインは自分がとんでもない爆弾をこの屋敷に持ち込んだ気でいたが、それがたいしたことのなかったような気分になっていた。
「…………」
 アバーラインは息を吐く。とりあえず自分の手札はほぼ晒した。
「ドミニオン・イル・アバーライン」
 不意に、ウォルポールがアバーラインの名を呼んだ。アバーラインははっとして背筋を正す。
「君が、そこまでやろうとするのは何のためだ? チェンバレンには、私よりもむしろ君のほうが近い立場だろう。それに行動に移せば、非難もすべて集めることになるぞ。職務に忠実といった話ではないだろう、それは」
 アバーラインを見つめてくるウォルポールの目は何かを試していた。目の前の男が動くか否かが己の次の一言にかかっている。
 だがアバーラインは躊躇わず答えた。
「それが、騎士の末裔たる者の務めだと思うからです」
 すっと口にしたアバーラインに、ウォルポールは一瞬目を見開いた。だがすぐにそれは笑いに変わる。
「……ほう? 騎士と来たか。確かに君の家は騎士物語では知られた名だがな」
 ウォルポールは苦笑したようだった。今でも騎士《イル》の名を与えられる者はいるがそれはある種の勲章というか名誉称号のようなもので、実際に剣を取った者に与えられるものではない。
 アバーラインは跡継ぎではなかったし、たとえ今が剣の時代だったとしてもすぐに騎士とはなれない立場だ。それでも自分にはかつて幾多の戦場を駆けた男の血が受け継がれている――そう信じている。
 真っ正面から自分を見てくるアバーラインに、ウォルポールはわずかに目を細めたようだった。ウォルポールからすればアバーラインなどまだ子供にしか過ぎないだろう。愚直な子供。だがそれは愛すべきものでもある。
「剣と女王陛下の名にかけて、罪人を裁くというのか」
「はい」
 アバーラインははっきりと答えた。
「何者とも知れないたった一人のために?」
 ウォルポールの問いにアバーラインは顔を上げた。
「かつての騎士が戦場を駆けたのは、己の領地とそこに住む人々を守るためです。それを保証するからこそ我々は王に忠誠を捧げた。我々のために民草がいるのではない、人々のために我々がいるのです。人々に平穏な生活を保証するからこそ我々には存在価値がある」
 その言葉は理想ではあったが決して現実でなかったことは、歴史が証明している。領民をないがしろにし犠牲にした領主など枚挙に暇がないし、戦争となれば犠牲となるのは結局名もなき人々だ。他の領地での略奪も日常茶飯事だった。
 アバーラインとてそれは承知しているだろう。それでもなお彼はこの言葉を口にした。
「我々が真に剣を捧げるべきは、今日を精一杯生きる人々です。騎士が守るのはこの国であり、国とはそこに生きる人々ですから。
 神の名において、人間はすべて平等です。ですから人は等しく祝福されなくてはならず、等しく裁かれなくてはならない。大切な者を失った嘆きもまた等しい」
 アンダーソンに諭された言葉を最後に付け加える。
 アバーラインは言葉を切りウォルポールを見据えた。
「私は、女王陛下の騎士であることを止めても、人々の騎士であることを止めるわけにはいきません」
 “現代の騎士”の宣誓の一言。それは荘厳な寺院でなされたものではなかったが、同じだけの重みはあった。この国を左右する人間の一人であるウォルポールは目を細くしてその一言を聞いていた。
 笑みを奥に沈めウォルポールは鋭い目でアバーラインを見据える。アバーラインはそれから逃げなかった。己の名において自分は正しい、そう信じている。
「なるほど――君の誓いを信じよう、アバーライン卿」
「ありがとうございます」
 アバーラインはほっと息を吐きわずかに笑みを浮かべた。
 家の跡継ぎではないため騎士の地位も領地も受け継がない彼は“卿”と呼称される立場にはない。敢えてそう呼んだのはウォルポールの最大の賛辞だったのだろう。父や祖父の呼称でもあったわけだが、自分がそう呼ばれると何とも照れくさいものだ。
 “現代の騎士”。知己や同僚が呼ぶこの二つ名を、アバーラインはあまり好きではなかった。自分の堅苦しさや古くささを揶揄されているようにしか聞こえなかったのだ。だが今ならそれを誇りに思える。
「ところで、君はなぜこの話を私のところに持ってきた? 他にも助力を請える人間はいたはずだが」
 ウォルポールが尋ねてくる。アバーラインは一瞬考え込んだ。最大の理由としては、チェンバレンに匹敵もしくはそれ以上の影響力を持っていたのがウォルポールだったからだが、ウォルポールが求めているのはそんな答えではあるまい。
「閣下であれば、市民一人の命を無下にはしないであろうと思いましたから」
 少し考えた後アバーラインは答えた。
「ほう。なぜそう思った?」
「かの選挙法改正を中心となって為そうとしているのは閣下ですから。一人の市民とて、まぎれもなくこの国の政治に関わる権利があると、決して虫けらのように殺されていい存在ではないと、そう思われていると信じましたので」
 アバーラインの答えにウォルポールは苦笑したようだった。
「私には君のようなご大層な理想はない」
 言ってウォルポールは小さく息を吐く。
「私は基本的に小心者だからな。なるべくなら血は流したくないし、騒動も起こしたくないだけだ。人々の平穏な生活が一番というのなら、その点では、君と私は一致しているかもしれないが」
 ウォルポールは軽く机を指で弾いた。
「ただ、このままではこの国はいずれ乱れる。大陸の隣国のように国王も王妃も革命家も片っ端から断頭台にかけ、己の欲望のみの人間が跋扈する国になってしまう、そう思ったのだ。ならば、緩やかに変革し、人々の望みを吸収していった方が良い」
 大陸の隣国ではかつてもっと急激な政変があった。大勢の人間が断頭台に消え、共和制に移行したが長くは続かずまた皇帝を奉じている。時のエーデルランド政府もそれが波及しないように神経質になったものだった。
「今回の選挙法法案にしても、ここまで急激な改革は、本来なら私の望むところではなかったのだがな。だが、私以外の人間がそう決めた。ならばそれが必然なのだろう。だが、血が流れて欲しくはなかった」
 ウォルポールはどこか遠くを見つめた。国立博物館の件では、まさにそのために二人が死亡している。
「あのチェンバレンは、まさに君が言うところの女王陛下のための騎士だったな」
 ふと、ウォルポールがそんなことを口にした。
「あれは王のために民草があると信じていた。王のためだから自分が正しいとな。君からすれば滑稽でしかないだろう」
 ウォルポールは苦笑するが、アバーラインは応えて笑うことはできなかった。
「国のもっとも正しいあり方とは、国王を絶対的に奉ずることなのだ。その王が決して間違わず、躊躇わず、死なないのならば。……どう思う?」
 ウォルポールが問いかけてきた。その顔を伺うとどこかいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「……馬鹿馬鹿しい、と思います」
 アバーラインは素直にそう答えた。国王とて人間だ。そんな完璧な人間は存在しないし――人である以上いつかは衰えて死ぬ。だがウォルポールは爆笑した。
「ははは! 時代も変わったな。他ならぬ騎士がそのようなことを言うのだから」
 心底楽しそうにウォルポールは言った。国王や高貴な女性を絶対のものとして忠誠を誓った時代もかつてはあった。そのことを言っているのだろう。
「しかし、そうすることが必要だったのです」
 アバーラインはいくらか憮然として言った。その時代が今より悪かったのではなく、もっとも適したやり方を選んできただけのことだ。その言葉にウォルポールは笑った。
「そうだな。だが、今もそうだとは思わないだろう」
 アバーラインは躊躇いながら頷いた。
「今は、国の舵取りをできる人間が大勢いる。一般庶民も、そうしたいと叫んでいる。ただそうなるには時間が必要だっただけだ。人々の意識の変化に教育……変わるべきところはまだいくらでもあるがな」
 ウォルポールに政治家としての顔が見えた気がした。
「つまりあのチェンバレンは、過去を崇高なものと見過ぎたのだ。かつて正しかったことが、今も正しいとは限らん。聖書のように、過去から未来まで一本繋がったものだと思っていたようだ。それは理想ではあるかもしれんが、人の住む世界のことではないな」
 ウォルポールがふと苦笑したようだった。
「我々は変わらねばならぬ。それは時を生きる我々への祝福であり、呪いだ。この瞬間が永遠であれという望みはかなわないのだから。あの男が捕われたものがあるならばそれは時間という呪いだろうよ」
 ウォルポールは大きく息を吐く。アバーラインは黙って話を聞いていた。
「だが過去と同様に、今もまた正しいとは限らん」
 ウォルポールが肩をすくめた。
「今のこの国の姿も、遙か未来の住人たちが見たら、嘲笑するのかもしれん。その時代には、その時代に合ったやり方があるのだろう。ただ私たちは、自分たちが最善だと思うことを一つずつやっていくしかない。
 今のやり方は、一人で決めるよりは大勢で決めた方が良いだろうとそれだけの話だ。間違えない保証はどこにもない……むしろ王の決定を絶対と信じられた分、過去の方が幸せだったかもしれんな」 その結果をも自分たちは見ることが許されない。ただ未来がより幸せなものであれと願うしかない。
「まあ、これもまた机上の空論だがな。結局のところ、我々はまた広場で暴動を起こされては困るという程度の話なのかもしれん」
 ウォルポールが肩をすくめた。アバーラインは思わず脱力するが、それが真実なのかもしれなかった。かつての暴動……ラヴェット広場騒動に絡んだ事件も以前あった。
「……と、長話をしすぎたな」
 ウォルポールが言って息を吐く。アバーラインも少し疲労を感じた。
「君の要望は分かった。無論、非公式なものではあるし、この件でますます混乱させるわけにはいかないから、難しいが……努力はしてみよう」
「ありがとうございます」
 アバーラインは深々と頭を下げた。この男に会いに来て良かった。
「きっと、人は収まるところに収まる。安心したまえ」
 そう言ってウォルポールが浮かべた笑みは、誰しもを安堵させるに足りるものだった。
「……あと、もう一つお願いがあります」
 アバーラインは口を開いた。言うべきかどうか迷っていたのだが、目の前の男には人の本音を引きだす力でもあるかのようだ。
「それは、首都警察本部としてか、それとも君個人のものか?」
「私個人としてのものです。これに関して、警察はまったく関係ないと思ってください」
 アバーラインが言葉を切る。ウォルポールは興味深そうに次の言葉を待った。
「これは、まったくの我が侭なのですが――」
 そうして、アバーラインは二つめの願いを口にした。

 

 
Copyright©2001-2007 Shu Fujimura All Rights Reserved.