HOME > 小説

夢の続き

 この世に、王子と結ばれる少女の物語は多い。
 灰かぶり姫、白雪姫、親指姫。彼女たちはいずれも美しい容姿と心を持ち、試練の末に王子と結ばれ、幸せな生涯を送ったという。
 ただ、彼らのその後を知る者は誰もいないのだ。物語はいつも〝二人は末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし〟と結ばれ、結婚した二人がどのように過ごしたのか、それを書く者はいない。若い者に与えられた試練の時間は短く、その後の人生のほうがよほど長いのにも関わらず。それはある意味で不条理なことである。
 私はそうした夢物語の続きを知る、数少ない人間のひとりだ。

 ──銃声。
 何かが破裂するような音が、した。瞬間、視界が真っ赤に染まり、自分がどこにいるのかもわからなくなった。空が消え、座っていたシートの感触が消え、愛する者の気配もわからなくなった。
 一瞬だけ聞こえた絹を裂くような音は、悲鳴だろうか。うるさい。この私の前でそのような騒がしい真似をすることは許さない。ああ、いったい何があったのか、私に報告する者はいないのか。
 私。──そう、私は。

 私、ゾフィー・ホテクは、ベーメン(ボヘミア)の伝統ある伯爵家の娘として生まれた。
 私は姉妹とともに両親に愛されて成長した。成長した私は貴族の子女としての慣例に従い、より家格の高い家に留まり女官として礼儀作法を学ぶこととなった。
 私の奉仕先となったのはオーストリア領内、テシェン公の住まうプレスブルク城だった。この城の主はフリードリヒ大公であり、彼はかつてナポレオンに初めて勝利した名将軍カール大公の孫、そのカール大公はかのマリア・テレジアの孫、つまりはハプスブルク家の成員だ。
 そのような場所であるから、私がお仕えしたテシェン公の大公女の他にも、高貴な方々をお見かけする機会は多かった。大公女が殿方とお出かけすればそれに随伴したし、舞踏会にお出になる際もともに向かった。
 私と彼が出会ったのも、そんな舞踏会でのことだった。

「すまない、フリードリヒ大公の令嬢はどちらにいらっしゃるだろうか」
 私が彼に投げかけられた最初の言葉は、そんなそっけないものだったと記憶している。
 それは仕方がないことだ。貴族の娘といえど、私の立場は一介の女官でしかなかったのだから。こちらに、と私は慇懃に答え、大公女のもとに彼を案内していった。
 軍隊式の正装をしていることや噂話に聞いていた容貌から、彼が何者であるのかすぐに私は知った。ただ、彼は私が何者であるのかなど知りようがなかっただろう。だから二人で廊下を歩く道すがら、彼が親しげに私に話しかけてきたことには少々驚いた。
「どうだい、このプラハの夜は」
 彼のいかにも生真面目そうな、口さがない者からすれば陰気な容貌に、そうした軽い言葉はあまり似つかわしくなかった。無礼なことながら、私は軽く吹き出してしまったものだ。すると彼は怒るどころかたちまちしどろもどろになって、
「今日は楽しく過ごすための夜だ。だから、君も楽しんでいればいいと思ったのだよ」
 身振り手振りまで加えてさらに話しかけてきた。
「でしたら、じゅうぶん楽しんでおりますわ。大公」
 そこで私は彼を振り返り、にっこりと微笑んで見せた。
「それは、私の言動があまりに愉快なものだからかい」
「あら、そこまでは申し上げておりませんわ。大公」
 自分が何者か知られていることに、彼は驚かなかった。予想できたことだからだろう。私たちはしばし見つめ合い、やがて互いに大きく笑った。
 話はそこで途切れ、私たちは大公女がいらっしゃる部屋の前に到着した。これから二人でひとときの語らいを楽しむのだろうと、さて私はそこに控えるべきか席を外すべきかと考えたところで、彼はさらに話しかけてきた。
「君は大広間で踊ることはしないのかい?」
「私はあくまで大公女さまのお付きであって、招待状はいただいておりませんもの。あの華やかな場所に足を踏み入れる資格はありません」
 ベーメンの栄誉ある貴族といえど、このオーストリアにおいてその家格はたいして高くない。このオーストリア帝国はハプスブルク家が統治する土地であり、このハプスブルク家こそは長らく世界の秩序を守ってきた家である。諸外国の王族も多く出入りするこの国にあっては、チェコ人の貴族などたいした扱いはしてもらえない。
「だが、今日は楽しむべき夜だと言っただろう。君もその楽しみを味わうべきだ。どうだい、私がと一緒にあの大広間に行こう。私と一曲、踊ってくれないだろうか」
 言って手を差し出した彼を、私はまじまじと見つめてしまった。
「さきほど申し上げたとおりです。私は……」
「君のことはよく知っているんだ。ゾフィー・ホテク伯爵令嬢」
 彼はどこか名残惜しげに私に手を伸ばすが、許しもなしに女の身体に触れることはしなかった。ゆっくりと手が引っ込められる。
「なぜ、私の名前を……」
「前からずっと、君のことを見ていたんだ。ゾフィー」
 彼のその瞳に熱がこもっていることに、ようやく私は気付いた。
「なぜ……」
「以前の舞踏会ではじめて君を見た。それから何回か、ずっと君の姿を追っていた。ようやく話すことができて、私は小躍りしたいような気分になっているんだよ」
 なぜ、私はこんな廊下で口説かれているのだろう。しかも、彼に。さしもの私も混乱して、あまり脈略のないことを喋ってしまった。
「なぜです。だって私はシシィ……いえ、エリーザベト皇妃のようなお美しい女性ではありません。やたらと背が高いですし痩せ気味ですし、大広間にはもっとお美しい公女さまがたが」
「だが、君には彼女たちにもないものがある。そのきらきらと光る瞳だ。その知性的に輝く瞳に、自分を映してみたいと、私は心から願っているのだよ」
 とうとう彼は私の方に両手を置いてきた。それを振り払うこともできず、両目を大きく見開いて彼を見つめるしかなかった。そのときに思ったことはただひとつだった──なぜ、彼が。
 彼の名は、フランツ・フェルディナント大公という。
 彼の父はカール・ルードヴィヒ大公、フランツ・ヨーゼフ皇帝の弟にあたる。つまり彼はれっきとした皇帝の甥なのだ。我が主であるフリードリヒ大公などよりよほど皇帝に近い。
 それだけでも重要事だが、さらに彼の重要性を際だたせる要素があった。
 このオーストリアを統治するフランツ・ヨーゼフ皇帝にはエリーザベト皇妃がおり、二人の間にはルードルフ皇太子がいた。だが数年前、このルードルフ皇太子はマイヤーリンクという場所で男爵令嬢とともに自殺を遂げてしまったのだ。この事件はなるべく内密に処理されたが、それでもこの偉大なる帝国から皇太子が失われたという事実は大きい。
 フランツ・ヨーゼフ皇帝に他に男子はないから、新たな帝位後継者は他の家から探さなければならない。そこで白羽の矢が立ったのが、皇帝の弟の長男であるフランツ・フェルディナント大公だった。
 つまり彼は、いずれこのオーストリア=ハンガリー二重帝国の帝冠を戴くべき人物ということである。その彼が、どうして私に熱っぽく言葉を囁いてくるのだろう。
「……た、大公女さまにお取り次ぎを」
 足元もおぼつかない中、私はなんとか職務を遂行しようとする。だが彼はさらにそれを押し止めた。
「大公の令嬢に用があったわけではないんだ。ただ、君と話してみたかった」
 彼の瞳がまっすぐに自分を見つめてくる。頭がくらくらするのを感じながらもその瞳から目をそらせず、私たちは見つめ合った。
 三十歳も近くなってまだ独身でいるのは、彼のような立場からずれば極めて珍しいことだ。彼のその顔つきは、年経た人間の思慮深さを備えていた。髭はぴんと整えられ、軍隊で鍛えられたとおぼしき背筋にはぴしりと鋼が通っている。
 これが、いずれ皇帝の冠を戴くべき人間。私はなかば感嘆のため息を漏らしながら彼を見つめた。
「……私のような男は嫌いかい? 君は」
 彼はふと破顔した。謹厳実直という言葉が似つかわしいその顔が、子供のような色を帯びる。自信なさげに、照れくさそうに笑いながら、それでも私から目を逸らそうとはしなかった。
 私もふっと笑った。そして、
「──いいえ。大好きです」
「ならば決まりだ。なに、ここの公爵は堅苦しい方ではないから、多少羽目を外したところで大目に見てくれるさ。君も一度、光と音の洪水の中で踊ってみるといい」
 今度は私が彼に手を差し出す。彼はその手を取り、小さく口づけして親愛の情を示した。

 その日から、私と彼はやり取りをするようになった。
 まずは手紙のやり取りから始まり、そして互いに周囲の目を盗んで会うように。彼は帝位継承者としての、私には女官としての立場があったが、限度をわきまえれば逢瀬はそこまで難しくはなかった。
 彼はたびたびプレスブルク城にやってきて、フリードリヒ大公やイザベラ妃と親しく話しつつ、何度も私に目配せをくれたものだ。その目端の利くことと言ったら、盗賊さながらだった。
 彼は重い肺病を患い、エジプトのメランで療養していた時期があった。数ヶ月も会えないことを二人とも嘆き、特に彼は医者から厳しく行動を制限されることにも耐えられないようだったが、そんな中でも何通も色鮮やかな絵葉書を送ってきてくれた。
『メランでの夜、私はゾフィーの夢を見た』
 この一言だけで私は心が満たされるのを感じたものだ。
『何百万という挨拶を日ごと、貴方のことを思っているフランツィ(フランツの愛称)がお送りします』
 会えないのはとても寂しいが、こんな言葉が聞けるのなら悪くない、そう思った。もちろん直に会ったなら、もっと熱い言葉をたくさん聞けたのだろうけれど。
 そう、私と彼は互いに愛し合うようになっていた。
 いつしか私は彼のことを必要とするようになっていたし、彼も同様だった。会って言葉を交わすそのたびに、彼なしの人生など考えられないと思うようになっていた。光、道標、言葉はいくらでも思いつくが、まさにそうした存在だった。
 しかしいくら熱烈に愛し合おうと、私たちは自分たちの立場を忘れることはしなかった。
 彼は何よりもまず、このオーストリア=ハンガリー帝国の継承者なのだった。彼は愛におぼれて自らの責務を忘れることはなかったし、私もそれを望まなかった。
 しかし同時に、彼はたぐいまれなる意志の強さと実行力を持った男性だった。彼は私に愛を誓った。ならば、何があろうとその言葉を翻すことはないだろう。あの手紙に記した言葉を同じ強さでもって、いずれ万民の前で私への愛を宣言するに違いなかった。
 ただし、だからといってむやみに突き進むのは愚か者のすることだ。物事にはしかるべき時期というものがある。結婚という結末を望むなら、特に彼の立場からすれば、何より入念な準備が必要だった。
 私と彼は関係を隠したまま、数年の月日を過ごした。

 しかし、秘めたるものはいつか白日のもとに晒されるのが必定であるのかもしれない。
 数年間、彼は鋼のごとき意思の力で、恋人がいるそぶりなどまるで見せなかった。帝位継承者であり大公たちの中でも有数の資産家でもある彼は、縁談が引きも切らなかったが、彼はそのいずれにも興味を示さず、職務に没頭していた。
 ことが露見した理由は、いたって単純なものだった。
 プレスブルク城には私の仕える大公女が数人おり、いずれも結婚適齢期で、母であるイザベラ妃は必死でその相手を探していた。そこにたびたび彼が城を訪れる──私に会うためだが──ものだから、イザベラ妃はてっきり彼が大公女の一人に気があると勘違いしたのだ。
 プレスブルク城で、彼や大公女たちはテニスをして週末を楽しんだ。あるとき彼は、競技のときに外した腕時計を城にそのまま忘れてしまった。
 身分の高い男性は、腕時計の中に意中の女性の写真を入れておくのが通例だ。イザベラ妃は自分の娘の写真がそこにあることを期待して、彼の腕時計の蓋をこっそり開けてしまったのである。はたして、その中にあったのは大公女ではなく私の写真だった。
 その時のイザベラ妃の心境は想像するしかないが、おそらく腰を抜かしたことだろう。妃にとって私は女官の一人でしかなく、自分たちに仕える女官が帝位後継者と恋仲であると知ったなら。
 それでもイザベラ妃は立派なもので、表面上は取り乱すことなく私に接してくれた。だがイザベラ妃が多少の温情をかけてくれようと、身分違いの恋をした私は即刻プレスブルク城から追い払われることとなった。
 彼──フランツ・フェルディナントの恋の噂はたちまちウィーンの宮廷を席巻した。最初は上流階級によくある情事のひとつだと思われたようだが、彼はそのような不行状に手を染める人間ではないと、人々は知らなかったのだろうか。
 噂はフランツ・ヨーゼフ皇帝の耳にも入り、皇帝は彼を呼び出して問いただした。そして彼は私の思ったとおり、躊躇うことなく宣言したのだ。
 ──自分はゾフィー・ホテク伯爵令嬢を心から愛しており、彼女以外の人物を妃とするつもりはない。もしこの結婚が認められないのであれば、自分は終身独身でいるだろう。
 自分は帝冠と愛、その双方を望む、と。

 フランツ・ヨーゼフ皇帝。
 この人こそ、私と彼が終生戦った相手だった。いや、互いに和解を望みながらも、とうとう歩み寄ることはなかったと言うべきか。
 フランツ・ヨーゼフ皇帝は、フランツ・カール大公とバイエルンのヴィッテルスバッハ家出身のゾフィー大公妃との間に生まれ、十八歳にして帝冠を戴いた。皇妃は母と同じくヴィッテルスバッハ家のエリーザベトで、その美貌を謳われた女性である。
 この人が推し進めたのは、新絶対主義ネオアプゾルーティスムスと言われる皇帝による絶対の統治だった。君主は神によって国家の統治権を委ねられたのだと信じ、受け継いだハプスブルク家の領土たるオーストリア、ハンガリーの統治に全力を注いできた。
 彼のこれまでに至る長い治世は決して平穏なものではなかった。プロイセンの宰相ビスマルクの罠にかかって戦争に敗北し、ハンガリー人との〝妥協アウスグライヒ〟によってオーストリア・ハンガリー二重帝国を成立させ、ドイツとの協調をはかりつつ帝国を維持してきた。
 この皇帝のことを人々は国父と呼んでいる。歴史ある国の重みを一身に担うこの人物は、誰よりも厳格で、確かに父なる存在と呼んでも間違いはない。
 皇帝はその自らの信念と正しさでもって、私たちの前に立ちはだかってきた。
 フランツ・ヨーゼフ皇帝からすれば、帝冠はなによりも神聖なものであり、身分の低いベーメンの伯爵令嬢風情が触れていいものではないのだった。もし私が帝妃となったなら、帝国は危機に瀕するとすら考えたようだ。
 後に皇帝について、彼はこう語った。
「偉大なる皇帝は、変化というものを見たくないのだよ、きっと。世界はこんなにも変わろうとしているのに。世界は揺れ動き、国同士は刻一刻と結びつきを変え、人々の不満はいずれ爆発するだろう。ただ、皇帝はそれを認めようとしない。自分のもと、帝国は永遠に輝き続けると信じているのだ」
 つまり皇帝が望むのは、これまでの栄光あるオーストリア帝国が永遠に存続すること。そのためには今までなかったことはしてはならない。そして、身分の低い家の娘が帝妃となるなど前例がなかった。
 ただし、そう考えるのは皇帝一人だけではなかったのだけれど。ウィーンの宮廷で重視されるのは儀礼、序列、先例。私はそのいずれも持ち合わせなかったため、皇帝と彼の周辺の人々は寄ってたかって私たちに心変わりをするよう要求してきた。
 たとえば、以前に彼の教師をしていたマルシャルという司祭は、国家の事柄は個人の利害より優先されるべきだと説いた。だが彼はあくまで帝冠も恋人も諦めるつもりはなかったので、説得は失敗した。
 次にマルシャルは私のもとにやってきて、私に修道女か修道院長になってはどうかと勧めてきた。そうすれば彼のために天国の至福を祈ることができるからと。
 馬鹿馬鹿しい。私は神を信じる者であると同時にひとりの女だ。心と身体の結びつきを願い、結婚を望んでいるのだ。この世で結ばれるのでなければ、また彼が帝位継承者でなければ意味がない。そう言って追い払ったところ、マルシャルはすごすごと帰って行った。
 とにかく、忍耐力の勝負だった。カール・ルードヴィヒ大公の娘、すなわち彼の妹たちがやってきては、彼に宣言を撤回するよう迫る。私のもとには故郷の家族たちを盾にした脅迫めいた手紙が飛び込む。
 だが、私たちは諦めなかった。あくまで彼の当初の宣言を貫き通すべく、あらゆる努力を重ねた。
 そして──苦しい日々だったが、私たちは不幸ではなかったのだ。二人を別れさせようという画策を打ち払うたびに、私たちは互いの結びつきを強くする。説得に訪れる者たちに投げつける拒絶の言葉は、裏を返せば互いへの愛をなによりも示すものなのだから。
 試練は人を強くするという。そして、堪え忍ぶうちに徐々に風向きは変わり始めた。私たちの決意が頑として揺るがないと知った人々は、今度は皇帝に私たちの結婚を認めるよう誓願し始めた。
 カール・ルードヴィヒ大公の後妻、つまり彼の義母にあたるマリア・テレジアは皇帝に切々と養い子の幸福を願い出たし、その他の宮廷人も同様だった。そしてここに至り、皇帝も徐々に彼らの意見に耳を傾け始めた。
 彼も皇帝に手紙を送り、切実な心情を訴えた。
『伯爵令嬢との結婚は私の人生の全期間にわたって、私がそうでありたいと願い、そうでなくてはならないと考えている存在になるための手段なのです』
 彼のそうあろうとする存在──すなわち、偉大なるフランツ・ヨーゼフ皇帝の跡を継ぎ、このオーストリアを善く統治すること。そのためには私が必要だと、彼は皇帝に言い切った。
 それでもなお、皇帝は私を認めたくなかったに違いない。だがこのときの皇帝に実は選択肢はなかったのだ。
 皇帝の子ルードルフ皇太子は既に亡く、次に近しいのは弟カール・ルードヴィヒ大公だったが、この時点で大公も亡くなっていた。皇帝の他の二人の弟に子供はなく、となればカール・ルードヴィヒ大公の三人の子供しか候補はいない。
 長男は彼ことフランツ・フェルディナント。次男のオットーは明るい性格ではあったが享楽的な人物で、ふしだらな行状も多々あり、市民に人気はあったが皇帝に相応しいとは言いづらい。三男のフェルディナント・カールは芸術家肌の人物で、やはり国を統治する役柄にはほど遠かった──やはりと言うべきか、後に彼は大学教授の娘と結婚し、皇族としての特権も家名も棄てることになるのだけれど。
 私の愛するフランツ・フェルディナントしか、後継者に相応しい人物はいなかったのだ。その彼が私を妻に望み、そうでなければ独身も辞さないとするならば、それを認めざるを得ない。
 とうとう皇帝の思考はそこに至った。
 しかし、皇帝はなおも前例に解決の糸口を探した。長いハプスブルク家の歴史上、身分の低い女性を妻とした例はいくつかあった。
 ならば──

 彼と私の結婚式は、北ベーメンのライヒシュタットで行われた。
 このような場合の結婚式は花嫁の居住地で行われるのが普通だが、私たちの場合、彼の義母マリア・テレジアの持つ館で行われることとなった。
 皇族の結婚式につきものの仰々しい儀礼などはなく、家族や親しい人々が集まって祝福の言葉を述べるものとなった。いや、家族が集まって、と言えたものかどうか。皇帝はもとより、ハプスブルクの一族はほとんど姿を見せなかったのだから。
 このときの私はもう三十二歳で、若き花嫁と言える歳ではなかった。ただそれでもドレスの長い裾を引き、白いヴェールに純潔を示すミルテとオレンジの花を付けたとき、彼は目を潤ませながら「綺麗だ」と言ってくれた。彼は将軍の正装をしていて、なかなか堂に入った花婿姿だった。
『この指輪がいついかなる時でも、あなたたちの清らかな結婚生活の幸福の証となるように。それが何百万という人々、とりわけあなたたちと親密な人々の切なる願いなのです』
 指輪を交換したとき、司祭は荘厳な口調でそう言ったものだ。
 二人で並んで司祭の前に立ったとき、胸に浮かんだ感情は何だったろうか。とうとう彼と生涯を添い遂げることのできる歓喜、それがもっとも大きかった。長い戦いに勝利したという感慨もあった。そして──未来の皇帝の妻になったという喜び。
 あの偉大なるハプスブルクの頂点に、私は近づいた。もちろん、そうと思って彼を愛したわけではない。だが彼が帝冠と愛を同時に望んだように、私も彼自身と、彼が手にすべきすべてを我がものにしてみせる。
 いずれ私たちは帝冠を戴く。そして新しいオーストリア=ハンガリー帝国を生み出してみせる、と。
 皇帝は結婚式にやってくることはなかったが、個人的な心配りはしてくださった。高価な宝石のあしらわれた髪飾りが下賜され、そして一通の電報がライヒシュタットに届いた。
『ゾフィー・ホテク伯爵令嬢にホーエンベルクという名を与え、公爵夫人の称号を与えるものとする』
 つまり一介のベーメンの伯爵の娘であった私が、公爵夫人としてウィーンの宮廷に出入りできるようになるということだ。それは大きな贈り物であり、女官としての今までの私からすれば大出世に等しかったが、必ずしも私たちの望んでいたことではなかった。
 彼と結婚してもなお、私は大公妃と呼ばれることはなかったのだから。

 ハプスブルク家の歴史上、貴賤結婚はいくつか行われてきた。
 その中でできあがった慣例は、身分の低い女性を妻とした場合、妻と生まれる子供たち、そしてその子孫は、永久に皇族としての特権を放棄するというものだった。
 皇帝は彼と私にもその前例を踏襲することを要求してきたのだった。私には帝位継承者の妃に与えられるべき権利と称号はなく、帝妃とはなれない。いずれ生まれるであろう子供にも相続権はなく、ハプスブルクの名を用いることは許されない。
 葛藤の末、彼はそれを受け入れざるを得なかった。
 結婚式に先立ち、彼は王宮に赴き、皇帝の前で放棄宣言を行った。
『私と伯爵令嬢ゾフィー・ホテクとの結婚は身分違いのものであり、貴賤結婚であること、そしてこれを現在もこれ以後も永久に承認する』
 このように書かれた文書に署名したとき、彼の心情はどのようなものだったか。彼は自らの手で私の栄誉を奪わねばならなかったのだから。激昂しやすい性格の彼がよくこの儀式に耐えたものだと、私はむしろ感心したほどである。
 彼がこの屈辱に耐えきったのは、これさえ乗り切れば私との結婚を妨げるものはないという、未来への希望があったから。そして、冷たい計算のためだったはずだ。
 正式な宣誓であろうと反故にされた例は世にいくらでもある。神の御前に誓った結婚、国同士の盟約。この放棄宣言とてまったく覆らない道理があろうか。
 皇帝の死後──そう、フランツ・ヨーゼフ皇帝が亡くなったなら。そうすれば帝冠は彼のものであり、彼は皇帝としてローマ教皇に宣言解除を要求することができる。
 私が彼にそう言ったのだ。これまで私たちは長い月日を耐えてきた。だから、まだ試練の日々が続いても耐えることができる。だから、今はともに過ごすことのできる喜びを受け入れようと。
 そしてとうとう私たちは想いを成就させた。

 フランツ・ヨーゼフ皇帝は儀礼や規則を重視する人物だった。しかし皇帝はあまりに高齢であり、また長く在位したものだから、逆にそうした〝世俗の〟出来事にはあまり拘泥しなくなっていた。彼の意識はただ帝国の維持に向けられており、さながら帝国のために働き続ける機械のようですらあった。
 しかし、世俗のことについて取り仕切る人間がいなければ宮廷は立ちゆかない。常に皇帝の側にあり、宮廷の儀礼を掌中におさめる人物がウィーンにはいたのだ。
 その名をモンテヌウォーヴォ侯爵といい、侍従長の地位にある。彼の母はフランツ二世の娘マリア・ルイーゼであり、やはりハプスブルク家の血を引いている。彼は宮廷のすべてを把握していて、細部に至るまで、序列を維持することのみに全精力を傾けていた。
 この侍従長が司る宮廷行事は、厳密に行われた。私の立場はあくまで公爵夫人であり、大公や大公妃たちとは同列に扱われない。
祝宴の際はいちばん年下の大公女の後ろを歩まねばならなかったし、歌劇場の皇帝一家用の席に座る資格もなかった。帝位継承者の妃でありながら、私には愛する夫と並び立つ権利すら与えられなかったのだ。
 私のこの屈辱を、モンテヌウォーヴォ侍従長は理解していただろうか。いや、理解した上で一言、こう言っただろう。
「これがしきたりなのです」
 と。だから、彼は無能だったのだ。

 結婚後、私たちはベルヴェデーレ宮で生活していた。対して皇帝はシェーンブルン宮殿を好んでおり、毎日のように顔を合わせる間柄というわけではない。彼はこのベルヴェデーレ宮を拠点として帝位継承者としての職務をこなしていた。
 あるとき、ある国の外交使節が彼に謁見を求めてきた。
 公開行事ではないので、謁見室で私と彼、大使が向き合って座る形での簡素な会合だ。彼は渡された書類に目を通しつつ、その明晰な頭脳をはたらかせて的確に質問をしていく。
「なるほど、貴国の立場はよくわかった。──ゾフィー、君はどう思う?」
「その案は我が国の国益を損ねるものではありません。ですが、このオーストリアの力を利用したいというのであれば、もうひとつ条件を付けることが必要です」
 私も帝位継承者の妃としてそれに同席していた。女といえど彼らから意見を求められることはあり、私はそのために日頃から世界情勢についての勉強は欠かしていなかった。
「我が国、ですか。公爵夫人はまるでオーストリア帝国を自分のもののように申される」
「大使、その発言は無礼だ。我が妻、ひいてはこの私への侮辱だと見なすがよろしいか」
「失礼いたしました。──公爵夫人」
 彼が憤激もあからさまに睨み付けると、大使は唇を小さくつり上げて笑い、肩をすくめた。彼が顔を真っ赤にして、思わず拳を握ったのが私の位置からだと見える。
 私はそっとその拳に自分の手を重ねた。彼が私のほうを向いたので、小さく首を横に振る。
 なぜ止めるのだ、彼は唇を小さく動かしてそう問いかけてきた。他ならぬ君が貶められたのだろうにと。
 この大使が言わんとしたことはよくわかる。一介の公爵夫人──の地位──にしかない私が、国政のことに口を出すなと言いたいわけだ。だが、私は彼の妻だ。帝位継承者がただひとり伴侶として選んだ女なのだ。その私がこの場にいることに何の問題がある。
 ただこの大使自身はしょうもない男だが、大使の祖国はいささか大きい。ここで大使を完全に怒らせた場合、後々面倒なことになる恐れがある。それにここで彼を不遠慮に激昂させれば、彼自身の評判を貶めることにもなりかねない。
 そっと手を握るうち、彼もなんとか気を取り直したようだ。小さく首を振り、ふたたび協議を再開する。
 その涼やかな横顔こそが私の意識を冷ましてくれた。私とて、こうもあからさまに侮辱されて平気でいられるわけがない。このような小者、いずれ彼が皇帝となったなら真っ先に追放してやる。だが今は耐えるべき時期なのだ、そう何度か念じる。
 そう──いずれ彼こそが皇帝となった、その時には。
 その後は私はたいして口を挟まず、謁見は終了した。すべての案件が解決したというわけではないが、それは後日、または官僚たちによって処理がなされるだろう。
 まずは外交使節が立ち上がり、作法にのっとって一礼し退室した。それを思わず睨み付けてしまったところ、またもあの嫌らしい笑みを返され、かっと頭に血が上ったのを自覚する。
 次に彼が書類をまとめて立ち上がり、私の頬に小さくキスをしてから室外に。足音が遠のくのを聞き、それから私も扉を開けて室外に出たところで、
「──な」
 愕然とした。
 扉の側には、誰もいなかったのだ。長い廊下には誰の影もなく、ただ、他の部屋に誰かがいるであろう気配だけがただよっている。
 先程まで、この扉の側には近衛兵がいたはずだ。皇族や外交使節が協議していた部屋を守る者がいないことなどあり得ない。先程この部屋を出て行った彼は何も言っていなかったようだから、となれば考えられるのは。
「近衛兵! 近衛兵はどこです!」
 思わず叫ぶ。三度ほど大声で呼ばわったところ、ようやく廊下の奥の詰め所から数人の近衛兵が出てきた。そしてその向こうから、彼が大慌てで駆け寄ってきたのが見えた。
「どうした、何があったんだ!」
 私に何かあったのかと思ったのだろう、彼は私の肩に手を置いて小さく揺さぶってきた。その顔はもう真っ青になっている。
「私が退室しようとしたところ、近衛兵がいませんでした。これは重大な職務の放棄です」
 彼に訴える。と、とたんに彼は今度は顔を真っ赤にして、その場に控えていた近衛兵たちを振り向いた。だが、この宮殿の主を怒らせたにもかかわらず、近衛兵たちはたいして表情を変えていない。
「どういうことだ。お前たちは私の妻を守るという職務を放棄した。もし申し開きできるというのであれば、今すぐ説明しろ」
「おそれながら、殿下」
 彼に対して口を開いたのは、近衛隊の長である中年の男だった。
「わたくしどもの職務は皇族の方々をお守りすることにございます。公爵夫人は皇族にあらず、したがって我々がその身を盾にしてお守りするする使命はございません。ですから、わたくしどもは使節の方がたと殿下をお守りしたのち、詰め所に戻りました」
 その答えに、彼はもはや言葉を失い、だらりと両腕を下げた。私も似たようなもので、頭がぼんやりとしていくのが自覚できる。私たちを見つめる近衛隊長の髭面に、ふと他の誰かの顔が重なった。
「……皇帝陛下か。お前たちにそのように命じたのは」
「さようでございます」
 近衛兵たちは慇懃に一礼した。その作法の完璧さが、余計に私たちの神経を逆なでする。
「……もういい。戻れ」
 彼が小さく手を振ると、近衛兵たちはふたたび一礼して立ち去っていった。それを呆然と見送り、私たちは廊下に立ち尽くす。
「……皇帝陛下にお会いしたら、この件について抗議しておく。この私の妻が、近衛兵にも守られないということがあってたまるか」
 彼はぶつぶつと小さく呟いている。もう、私にもそれを止める気力はなかった。この抗議によって彼と皇帝の関係がますます悪化しようが、知ったことか。
 公爵夫人は皇族にあらず──その言葉が脳裏にがんがんと響いた。そう、そのように彼は皇帝の面前で放棄宣言を行った。だから、それと皇帝の命に従った近衛兵たちを罰することはできない。もし感情のままに行動してよいのなら、この手で八つ裂きにしてやりたいところだけれど。
 いずれ彼が皇帝になったなら、そう思えばたいていのことはやり過ごせるつもりでいた。だが、それはいつのことなのだろう。遠い未来を今ばかりは思い描くことができなかった。
 すっかり気落ちして肩を落とした彼とふたり、供の者もなくとぼとぼと自室に戻る道のりは、ひどく惨めなものだった。

 苦難の多い結婚生活ではあったが、その中でも私たち夫婦は三人の子供に恵まれた。
 ウィーンの宮廷の冷たさ、身分のある人間以外を認めようともしない空気にほとほと嫌気の差していた私は、子供たちが温かな家庭生活を送れるよう心を砕いた。大公家の子供たちは幼くして親から離され、養育係によって育てられるものだが、私たちはできるだけ自ら子供の世話をするよう心がけた。
 庶民の家庭と同じように三度の食事は家族で食卓を囲んだし、子供たちが幼いときは私が自ら子を抱いてベッドに運んだ。その健やかな寝顔を見るにつけ、大公妃たちはこの愛らしい存在からどうして離れられるのかと思ったものだ。
 そして、両親の愛も知らず育てばあのような冷たい人間ができあがるのだろう、とも。私たちの子はそうではなく、暖かいまなざしを持ち人々を導いていける人間であればいい。
 夜になれば私たち一家は暖炉のそばに集まり、彼が子供たちに本を読んでやった。子供たちが父親にまとわりついてはしゃぐのを眺めながら、私は明かりを頼りに編み物や縫い物をする。街から流れてくる噂話、思い出話、他愛のない話に花を咲かせる。そうして過ごす穏やかな時間が、私たちは好きだった。
 なにしろ私たちには敵が多かった。ウィーンの宮廷、彼の抱えるあまたの政治問題、神聖なる皇帝に逆らったものだから教会からの風当たりも強かった。多くのものと戦わなければならない私たちにとって、この小さな空間で過ごす時間はなによりも幸福なものであり、守らなければならないものだった。
 そして私たち一家はベルヴェデーレで温かな時間を過ごすのと同時に、旅行に出ることも多かった。彼は外遊する際にはかならず私と子供たちを連れて行ったものだ。子供たちに多くを学ばせるためであるのと同時に、私たち家族は長く離れるなどあり得ないことなのだった。
 そして皇帝もまた、ベルヴェデーレでのこの家族の宴に訪れることがたびたびあったのだ。
 皇帝は頑として私たちの結婚に反対し続けたし、公式な場では私に謁見すら許したことはない。そのことに対する恨みは大きい。しかし私人として見るなら皇帝は尊敬すべき人物なのだと、私は少しずつ知っていった。
 皇帝は私に心配りをしてくれたし、子供と話す様は穏やかな老人としか見えないことがあった。それを見て、私もまたこの老人の深い孤独を知ることとなった。
 息子であるルードルフ皇太子が情死したのは先述したとおりだが、皇妃エリーザベトもまた、私たちの結婚の数年前にスイスのジュネーブで暗殺されている。もともとこの皇妃は皇族の責務をなかば放棄し、一年のほとんどをウィーンから離れて過ごしていたのだが、それでも愛する妻の死は皇帝に深い傷を与えたようだった。
 それがまた皇帝を頑なにしたのかもしれない。世界の変化を認めず、永遠に輝くオーストリア、そればかりを求めたように。だから私たちは人間としては相容れながらも、公式な場では決して認め合うことができない。
 それはたぶん、冷たいウィーンの宮廷がもたらした悲劇のひとつだった。

 皇帝と帝位継承者の対立は、かならずしも妃の処遇についてというだけではなかった。
 もともと彼は帝位継承者に指名されたときから、世界情勢について見聞を広め自らの政治思想を明確に打ち出していた。それは皇帝の考えと一致するものではなく、二人は政治的な面についても反目し合うこととなった。
 皇帝がシェーンブルン宮殿で日々の執務を行うのに対し、彼はベルヴェデーレ宮に自らを支持する者たちを集めていたため、政治対立はさながらシェーンブルン対ベルヴェデーレという様相を呈していた。
 この二人が特に意見を戦わせたのは、ハンガリーとスラブ人の扱いにかかわる問題だった。
 皇帝は一八六七年、ハンガリーとの〝妥協アウスグライヒ〟を成立させている。これによって成立したオーストリア・ハンガリー二重帝国とは、フランツ・ヨーゼフがオーストリア皇帝とハンガリー王の冠を一身に戴きながらも、ウィーンとブダペスト(ハンガリーの首都)に別々の議会と首相を設置し、相互に協力するというものだった。
 ただしハンガリー人はオーストリアにとって必ずしも誠実な相手とはいえず、自らの利益のためとあらば足並みを乱すことに何ら良心の呵責を感じなかったのだけれど。少なくともオーストリアがハンガリーを厚遇していることは確かだった。
 この二重帝国は多くの民族が暮らす土地だ。ドイツ系のオーストリア人、ハンガリーのマジャール人、チェコ人──私はチェコの家系である──、クロアチア人、など。人々は他民族と深い関わりを持ちながら、しかし民族間の軋轢は大きく、代々の為政者はその扱いに頭を悩ませてきた。
 彼はその中で、スラブ系、特にセルビア人に対しての政策を推し進めようとしていた。ハンガリーに与えたのと同様の権利をセルビア人にも与え、二重帝国から三重帝国としようという考えだ。
 民族問題に対し、皇帝の考えは〝一致団結してウィーリブズ・ウーニテイス〟というものだった。きな臭い国際情勢に対抗するためには、ハプスブルクの支配のもとに団結して当たるしかない、ということだ。
 対し、彼の考えは三重帝国の考えをさらに推し進め、各民族に平等に自治権を与えた上で、それを支配王家への忠誠によって統合しようというものだった。皆が皇帝への忠誠を誓い、財政、外交、軍事については中央で合同して、取扱い民族による差別をしない。
 ただし彼のこの構想は、ハンガリーの領土からセルビア人たちの居住地域を切り離すことを意味する。当然ながらハンガリーは猛反発してきたし、ハンガリー王として領土変更をしないという宣誓に縛られている皇帝には実現し得ない政策だった。
 だが、彼にはその制約がない。いずれ帝冠を戴いたなら、彼はすぐにでもこの政策を進めるつもりでいただろう。そして私との結婚と同様、どんな困難にも立ち向かうつもりでいたに違いなかった。

 彼は帝位継承者として、諸外国からの招待を受けることが多かった。将来の皇帝として人々にその存在を知らしめる必要があったし、皇帝はもはや高齢で長旅に耐えられる身体ではないため、オーストリアの代理人としての立場もある。
 また彼が旅に出ることが多かった理由のひとつは私であったかもしれない。ウィーンの宮廷が私を冷遇することは変わらなかったため、彼は私が妃として扱われない行事はたびたび欠席することがあった。
 対し、諸外国では私は大公妃としての厚遇を受けることができた。公式な訪問でなければ大公夫妻として行動することができたし、ブルガリアでは将来の帝妃として歓迎された。彼は私以上にこれを喜んでくれたものだ。
 だから彼がボスニアに行くことを決めた理由も、そのことが大きかっただろう。未来の皇帝夫妻として人々の前に立つべく、彼はふたたび旅することにした。
 それはボスニアでのオーストリア軍の軍事演習の後、首都であるサラエヴォを公式訪問するというものだった。
 彼がこう決めた後、各所から警告が発せられた。ボスニアの情勢はきわめて不安定で、そこに帝位継承者が出かけていくのは危険すぎると。
 彼の理想は、一部の急進主義者たちにとってはきわめて危険なものだったのだ。彼が皇帝となりハプスブルクの元での諸民族連合を実現させたなら、完全なる独立を求める輩にはその大義名分がなくなるからだ。
 いや、そこまで情勢を理解している人間は少ないかもしれない。急進主義者とはいえ大半はただ支配の象徴としてハプスブルク家を憎んでいるだけで、確固たる政治理念などなかっただろう。
 だがここに皇帝から、サラエヴォでは公式に私を伴って良いという許可が出た。心ない人々に貶められることなく、公の場で私を妻として披露することができる、それがなにより彼を沸き立たせたようだ。こうなれば、彼の決意を止めることは私にもできなかった。
 ただ彼も万が一の時のための対策は講じておくことにした。
 旅立ちの直前、彼は甥──弟オットーの子カール、その妃であるブルボン=パルマ家出身のツィタをベルヴェデーレに呼び寄せ、もし自分が死んだ場合に処理するようにと、重要な書類のありかを言い含めた。
 その時から彼には何か予感があったのかもしれない。私にもそうした感情がなかったといえば嘘になる。しかし、もはや外遊を取りやめることは不可能だった。
 そして私と彼はサラエヴォに向かった。運命の歯車が大きく回ったことを、まだ知らずに。

 まずは私たちは別々の道のりを辿った。
 彼が軍事演習の査察のためボスニアに滞在している間、私は保養のためバート・イリドゥチェという地に出かけた。そして彼と合流し、旅の最後の目的地であるサラエヴォに向かった。
 帝位継承者とその妃──そう、妃だ──を街に迎える準備はすでに整っていて、六台の窓の開いた乗用車が並んでいた。私たちはボスニア総督とともにそのうちの一台に乗り込み、歓迎式典の行われる市庁舎に向かうこととなった。
 市庁舎までの道には、数千の群衆が集まっている。その中を車は進んだ。
 彼は珍しくサービス精神を発揮して、群衆に気分よく手を振っている。それを横目にしながら私も感慨深いものを覚えていた。私はずっと公式行事からは排斥され、妃として振る舞うことは許されなかった。しかし今、私は大公妃としてこの場にいる。とうとう皇帝がそれを認めたのだ。
 それは飛び上がるほど嬉しいことのはずだった。この日のために私は屈辱に耐えてきたのだから。いや、まだ彼は帝冠を戴いてはいないが、そのとき彼の隣に私が立つための偉大なる一歩だ。
 だが、私の心をちくちくと不安が刺すのだ。ボスニアの世情が不安定なのはわかっているはずなのに、それにしては、私たちを警護する人間が少なくはないか──と。
 しかしそれを押し殺し、私も民衆に手を振った。人々の喜びの表情を見るうち、不安は歓喜に押し流されていった。長かったこれまでの道のりを思い、ふとじわりと目尻に涙が浮かぶ。
 そうこうするうち、車は川縁の道を走り始めた。
「……え?」
 ふと、私は目を瞬かせた。熱狂して手を振る群衆の中に、きらりと光るものが見えた気がした。居並ぶひとりの男が思いきり何かを振りかぶり、私に向かって投げつける……!
「っ!」
 次の瞬間、私は首に重い衝撃を感じた。男が投げつけた何かが首に当たったのだ。いったい何を、あの金属の塊は、まさか──
 どん、と大気が破裂しサラエヴォの街を震わせた。
 すぐ後ろにいた車が爆発したのだと、数秒遅れて悟った。炎こそ上がっていないが黒塗りの車は大きくひしゃげている。そして、そこに乗っていた軍人たちが苦痛に表情を歪めているのがはっきりと見えた。
「……爆弾」
「おい、すぐに怪我人の手当だ! 医者を手配しろ、それより彼らは無事か、急げ!」
 真っ先に立ち上がったのは彼だった。座席から立ち上がろうとするが、車は今なお走っている。今にも車から飛び降りそうな彼を、同情していたボスニア総督が慌てて押し止めた。
「で、殿下。ここは危険でございます。殿下たちはここに留まってはなりません。……おい、車を止めるな!」
「しかし、あの車に乗っていた者は怪我を……!」
「今すぐに医者を手配いたします。それになにより、お二人を傷つけようとした犯人はすぐに捕らえてみせます。ですから、どうか」
 ボスニア総督は彼にすがりつかんばかりの勢いでまくし立てた。そうするうちに彼もいくばくかの冷静さを取り戻し、また座席に腰を下ろす。きつく握られたその拳に、私はそっと自分の手を重ねた。
「車はこのまま市庁舎に向かうのだな」
「さようでございます。そこがもっとも警備が手厚いですので」
 ボスニア総督は慇懃に答え、それから早口で運転手に指示を出している。
 それを見つつ、私はいまさら震えを感じていた。あの爆弾は私にまず命中し、転がったところで爆発したわけだ。ほんのわずか時間がずれていれば、爆発していたのは私たちの車だった。
 それは王権を与えられた宗家への神の加護か、ただの偶然か。いずれにせよ私たちは不安に打ち勝った。となれば、私たちにはこの地でやるべきことをなすだけだ。
 心にはまだ不安と恐怖があったが、それを必死でなだめるうち、車は市庁舎に到着した。歓迎式典はこのまま行われるということで、私たちは息をつく暇もなくふたたび群衆の中に向かった。
 彼は一見何事もなかったかのように振る舞い、ボスニアの要人に鷹揚に微笑みかけていた。ただ一言だけ、
「なんという街だ、ここは」
 と呟いたときだけ、憤懣やるかたないといった表情であったけれど。
 歓迎式典後は博物館の改装のための記念式典に参加する予定だった。しかし、彼はこれに異を唱えた。
「先程の襲撃で怪我をした者がいるだろう。その見舞いに行く」
 と言ったのである。サラエヴォ市側はたいそう驚いたようだったが、私からすれば当然の行動であった。軍人たちはいわば私たちの身代わりに負傷したのであって、それをないがしろにするような真似は人としてあってはならないことだ。
 幸いと博物館の予定は取り消すことができたため、私たちはふたたび車に乗り込み、軍人たちの収容された病院に向かった。
 車はしばらく先程の道のりを逆行した。なんでも病院は郊外にあるため、この川縁付近を通らざるを得ないのだとか。先程の爆発の音を思い出し、私は一瞬だけ身体を震わせた。
 と、同乗していたボスニア総督が運転手と早口で口論を始めた。
「何があったのです?」
「申し訳ありません、この者は博物館に向かうものだと勘違いしていたようで、そちらに向かってしまいました。今すぐに病院に向かいますので、どうか、ご容赦を」
 総督はやたらと私に頭を下げながら説明した。確かにこれは明らかなサラエヴォ市側の不手際である。ただ今の私たちは彼らに任せるよりほかないから、ひとつ頷き、一刻も早く病院に向かうよう指示した。
 車はいちど止まり、後退して道を変えようとしている。なるほど道を間違えるというのは面倒なものだと、私は小さくため息をついた。
 これは公式な祝賀パレードとは違った私的な行動なので、先程のように衆目にさらされることはないものの、私たちが政府要人であることはわかるらしく通りかかった街の人間はちらちらとした視線を向けてくる。オーストリアの大公夫妻だと叫ぶ者もいた。さて、今は式典中ではないので手を振ったものだろうか。
 と、誰かの視線を感じた。強く突き刺すような、──殺意。
 私が反射的に顔を上げた瞬間、

 ──銃声。

 何かが破裂するような音が、した。瞬間、視界が真っ赤に染まり、自分がどこにいるのかもわからなくなった。空が消え、座っていたシートの感触が消え、愛する者の気配もわからなくなった。
 一瞬だけ聞こえた絹を裂くような音は、悲鳴だろうか。うるさい。この私の前でそのような騒がしい真似をすることは許さない。ああ、いったい何があったのか、私に報告する者はいないのか。
 私。──そう、私は、今はゾフィー・フォン・ホーエンブルクだ。ベーメンの栄光ある貴族の娘として生まれ、オーストリア=ハンガリー二重帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナントの妻であり、公式行事のためにサラエヴォにやってきた。
「ゾフィー、ゾフィー!」
 声がした。暗がりの中でも違えることのない、愛する夫の声。耳元で聞こえる声は低く、甘く、切迫したものを含んでいる。
「ゾフィー、死んではいけない。私たちの子供のために生きなくては!」
 死ぬ。何を言っているの、あなた。そう囁いて彼の頬に手を当てようとしたが、私はもう手を伸ばすという仕草を忘れてしまった。私の身体は今どうなっているのか、わからない。意識は赤黒い暗闇をただようばかりで、どんどん思考はおぼろげになっていく。
 私は夢物語を、そしてその続きを生きた。一介の貴族の娘から大公妃となった、その現実を。それは決して平坦な道のりではなかったけれど、愛する夫とともに過ごした時間は幸せなものだった。
 そして私と彼はいずれ帝冠を戴き、オーストリア帝国の頂点に立つのだ。そして世界の先頭に立ち、皇帝がとうとう為し得なかったことを、この国を変えるのだ。私たちの子と、臣民のために。
 だから、死ぬわけにはいかないのだ。ああ、でも、
 もしかしたら、これが死というものなのだろうか。
 今も傍らにある、彼の気配だけが温かかった──

          *****

 セルビア人の青年ガブリロ・プリンツィプによって、一九一四年六月二八日、オーストリアの皇太子夫妻は暗殺された。
 夫妻の遺体はオーストリアに運ばれ、アルトシュテッテンという地の墓所に埋葬されることとなった。
 ハプスブルク家の一族はウィーンのカプツィーナー霊廟に埋葬されるのが通例だが、フランツ・フェルディナントは妻ゾフィーとともに埋葬されないであろうことを予見し、生前に自らの墓地を選び、遺言をしたためていたのである。
 フランツ・フェルディナントの遺体は帝位継承者としての敬意を払われず、ゾフィーは死してなお女官としての扱いしか受けなかった。生前の大公夫妻は市民にあまり人気はなかったものの、二人が死をともにしたことに人々は心動かされ、人々の反感は故人の地位を貶めたハプスブルク家に、そしてセルビアに向かった。
 犯人であるプリンツィプとともに逮捕された者は、銃がセルビア軍将校らが所属する秘密結社から支給されたことを自白した。
 オーストリア=ハンガリー帝国政府はセルビア政府に対し受け入れがたい要求を含んだ最後通牒を突きつけ、無条件で受諾しなければ宣戦布告することを宣言した。
 セルビアは二ヶ条を除いてこの要求を受諾したのだが、結局オーストリアは一九一四年七月二八日、セルビアに宣戦布告し、これが引き金となって第一次世界大戦が勃発した。
 この戦争によって世界情勢は大きく変わった。そしてハプスブルク家の統治もまた、終焉を迎えたのである。

目次に戻る

Copyright 2001-2014 Miyako FUJIHARU All Rights Reserved.
Powered by WordPress / Original Design: Template World