01.舞踏会
楽曲の波に、色とりどりのドレスが揺れる。
きらびやかな衣装の数々に身を包み、着飾った男女はステップを踏み、あるいは談笑し、贅を凝らした料理や酒を口に運んでいる。
年に一度、王城で開催される舞踏会。名目はどうあれ、実際には貴族たちが己の権勢を競い、あるいは無数の折衝の場となっている。
人々の輪から少し離れた場所で様子を眺め、ジェラルド・コルフォースは密かにため息をついた。役職を賜り、王城に登城するようになって数年経つし、舞踏会に足を踏み入れたのも初めてでもないのだが……どうにも、この雰囲気は慣れない。
「まったく、よくもここまで壮大な税金の無駄遣いが出来るものだ……」
毒々しいまでに鮮やかな色合いのドレスをちらりと眺め、毒づく。彼自身も豪奢な衣装を身につけているが、極力色合いは抑えたものだ。これほど金のかかった服を着ることは性に合わないのだが、舞踏会とあっては仕方がない。
「これも職務の一部だと言われたらそれまでなのだが、な」
嘆息する。宰相の地位にある父もこの場の何処かにはいるはずだが、この大広間にあっては、ジェラルドのいる場所からは見えない。
「お疲れのようですわね、お兄様?」
ふと、後ろから声が掛けられる。面倒くさげに振り向くと、彼と同様に着飾った少女がいた。ジェラルドのすぐ下の妹、マリアテーゼだ。今年で十七歳になる……ジェラルドより二歳年下なのだ……ため、まだ妻のいないジェラルドのパートナーとして舞踏会に出席している。
「性に合わん」
気疲れしていたこともあって、ジェラルドは無愛想に答えた。
「それでは将来が危ぶまれますわよ? 宰相候補のお兄様?」
にこにこと愛想良く笑い、殊更に嫌味な口調で言ってくる。それをジェラルドは憮然とした顔で睨み付けた。
「ほら、そこのお嬢様なんかさっきからずっとこちらを見ておられますわよ? それなのにお兄様ったら気づきもしないで、お可哀想に。一曲踊って差し上げたら?」
確かに、自分に向けられる視線の数々には気付いていた。……と言うより、それが嫌で抜け出したのだ。何が悲しくて自分から戻らなくてはならないのか。
マリアテーゼが言っていた少女……おそらく、年頃も彼女と一緒だろう……の姿を、ちらりと視界の隅に捉える。けばけばしい色合いのドレスを着たその少女は――確か、最近落ち目の貴族の娘だ。
「私のことなど一々構わず、お前こそ行って来い。何をやっている」
妹を睨み付けながらジェラルドは言う。
「やだ。面倒くさいし、うざったいったらありゃしない。何が楽しくてこんな場所で踊り狂わなきゃならないのよ。大体がさ、変な美辞麗句浴びせられて、吹き出さないようにするだけでも一苦労なんだからね? わたしはともかく、兄貴は仕事みたいなもんでしょうが」
がらっと本来の口調に戻って、マリアテーゼは言った。じとーっと目を細め、冷ややかな顔つきで兄を見据える。
「ほら、これも将来有望株筆頭の仕事みたいなもんよ。仕事よ、仕事。行ってきなさい」
マリアテーゼはぺんぺんと気安く兄の肩を叩く。ジェラルドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「単に面白がっているだけだろう、お前」
ぼそりと呟く。マリアテーゼは、当然とでも言ったようににやにやと笑った。
「当たり前じゃない。普段無愛想の権化みたいな兄貴が、引きつり笑い振り撒いてる場面なんて滅多に見られるもんじゃないし」
「それが嫌だから、こうやって引っ込んでいるのだろうが!」
まさかこの場で怒鳴り散らすわけにもいかないので、小声でジェラルドは喚いた。
自分に向けられる幾つもの視線の正体。それは、ジェラルドもよく知っていた。
エルゼシア帝国でも有数の名門であるコルフォース家の長男で、母は元は帝国の王女。宰相の息子で、彼自身も父に勝るとも劣らぬ能力の持ち主とあらば……将来は保証されたも同然なのだ。しかも、まだ十九歳の青年で独身。
何とかして自分の娘を嫁がせたい。そうして縁続きになっておけば、自分の権力も確実に増す……居並ぶ貴族の面々が、そう考えないわけがない。お陰で、年頃の娘を持つ貴族からはやたらと声を掛けられるし、同年代の少女たちはしきりに自分に視線を向け、注意を引こうとする。目立つことが好きではないジェラルドには、居心地が悪いのも当然だ。
はっきり言って、この場でのジェラルドの扱いは『目玉商品』である。競り落とそうとする貴族たちはともかく、商品本人にはたまったものではない。しかし、声を掛けてくる連中を邪険に扱うわけにもいかず、マリアテーゼの言うとおり、引きつり笑いを振りまく羽目になっていたのだ。
「さっさと帰って仕事をしたい……」
ぼそりと本音を呟く。これなら、書類の山と格闘していた方がずっと気楽だ。それをマリアテーゼは横目で眺め、呆れ返ったようにため息をついた。
「まったくねー、この姿をラウラとダレットにも見せてあげたいわ。腹抱えて笑うわね、特にラウラ」
妹と弟の名前を呟く。毎日のようにジェラルドに叱り飛ばされている二人である。
「悪かったな……」
マリアテーゼを睨み付け、視線を逸らす。自分と同じく、端に下がっている人間達を何とはなしに見回してみる。
「ん……?」
ふと、一点に目が止まった。
「……マリアテーゼ」
マリアテーゼを小突き、ジェラルドは一点を指さして囁いた。
「あそこの女性。誰だか分かるか?」
ジェラルドの示した先には、一人の女性がいた。遠いので顔立ちはよく分からないが、まだ若いようだ。壁に背を預けるようにして、うつむき加減で立ち尽くしている。
彼女の着ているドレスが、ジェラルドの目を引いた。最新流行に身を包む他の女性達とは対照的に、その型がまずかなり古い。どう見ても一世代前のものだ。色合いも地味だが、ジェラルドのように華美さを抑えてあるわけではなく、何となく色あせているように見えた。
本人もそのことにいたたまれないのか、端でうつむいている。何とはなしに泣いているように見えた。だが。
伸ばした淡い金髪が、こぼれてきらきらと光を反射している。立ち尽くすその姿は、古ぼけたドレスを着ているにも関わらず、遠目からでも清楚な美しさが見て取れた。
「あの人? ……何、兄貴惚れたの?」
「違う! ただ少し気になっただけだ!」
妹にまた小声で怒鳴り散らす。マリアテーゼは首を傾げて考え込んだが、すぐに思い出したらしく、口を開いた。
「確か……ラティン家の人だったかな。エリファーナ・ラティンって言ったと思う」
「ラティン伯爵の? ……しかし、確か当主は亡くなったと思ったが……」
ラティン家というのは、コルフォース家ほどではないにしろ、名の通った家である。だが、前代の当主が性質の悪い商人に捕まったらしく、落ち目もいいところだったはずだ。多額の借金を残した挙げ句に、つい最近、当主の伯爵は亡くなったはずだったが……
「そこの一人娘。亡くなる直前に爵位を継いでるから、正確にはエリファーナ・ラティン女伯爵」
元々、無類の頭の良さを誇るマリアテーゼである。すらすらと説明してくれた。
帝国では、男の後継ぎがいない場合に限り、女性の爵位の相続を認めている。婿養子を取ることは許されるが、その際も爵位を持つのは女性である。爵位というのは専属的にある家系に与えられる称号であり、譲渡は認められない。
仮にも伯爵とあらば、この舞踏会を欠席するわけにはいくまい。しかし、新しいドレスを調達するほどの金は家にはなく、結果、古ぼけたドレスで立ち尽くすことになったらしい。
「…………」
ジェラルドはまた嘆息する。事情はどうあれ、この舞踏会での仕打ちは彼女の様子を見ている限り、酷いもののように思えた。彼女の古ぼけたドレスを見て、何人もが密かに嘲笑しているのが見て取れる。
(着飾っていれば偉いというものでもあるまいに)
心の中で呟く。そうしてまた彼女を遠目で眺め……顔をしかめた。
エリファーナから少し離れたところに、ほぼ同年代に見える少女が三人ばかり固まって、彼女をちらちらと見ている。嘲るような笑みを浮かべ、何か話しているようだ。そのうちの一人が、側にあったグラスを手に取った。
グラスには飲み物が注がれている。それを引っ掛けようとでもしているのかもしれない。
「……何処にでもああいった手合いはいるのだな」
ジェラルドは呟くと、大股で歩き出した。別にエリファーナ・ラティンとは何の関係もないが、見過ごすのは気分が悪い。両者の間に割って入って、さりげなく誰かと話をしているだけでも十分のはずだ。
「あ、ちょっと、兄貴?」
後ろからマリアテーゼの声が聞こえてくるが、これは無視する。
小走りに少女たちに近づく。その雰囲気に、ジェラルドは眉をひそめる。力の弱い者を罵り、陥れようとするこの雰囲気は……貴族たちによる政治、ジェラルドが身を置いている場も、箱入りに育てられているはずの姫君たちも変わりない。
政治の場に常に身を置いているジェラルドは……幸か不幸か、こういった雰囲気には特に敏感だった。
エリファーナの方も気付いてはいるようだったが、そこを離れるという発想はないらしい。諦めきっているのか、更に難癖を付けられるのを恐れているのか。
きらびやかなドレスを着た少女の一人が、手にしたグラスを軽く振る。中に注がれていた金色の液体が、その飛沫を撒き散らした。
ちょうどそこに、ジェラルドが割り込んだ。飲み物はエリファーナではなく、ジェラルドに引っ掛かる。こぼれたのは大した量でもなかったが、金色の雫が数滴、栗色の髪からしたたり落ちた。
「――――!」
一瞬にして、その場の空気が凍り付く。
エリファーナはいきなり現れた青年に目を丸くし、口元に手を当てている。ジェラルドの顔……『宰相様の跡取り息子』のことは少女たちも知っていたらしく、特に飲み物を引っ掛けた少女などは、滑稽なまでに引きつった顔でジェラルドを見上げていた。
全員がそれぞれの表情で硬直している中、ジェラルドはぼんやりと佇んでいた。振り返って非難の言葉を浴びせようともしないジェラルドに、少女たちもやがて怪訝な顔をする。
「あの……?」
ややあって、エリファーナがおずおずと声をかける。風が吹けばあっさりと吹き散らされてしまいそうな、儚い声音だった。湖水のように深い蒼の瞳で、脅えがちに目の前の青年の顔を見上げる。
エリファーナにようやく気付いたとでもいうように、ジェラルドはゆっくりと振り返る。かすかにその顔は紅潮し、深緑の瞳はとろんとして、何処か虚ろだ。
熱っぽい瞳に見据えられ、エリファーナは思わず身体を硬直させた。びくびくしているエリファーナを、ジェラルドは遠慮のない視線でじろじろと見回す。
淡い金髪は緩やかに波打ち、明かりを乱反射している。大きな蒼い瞳は細い輪郭の中に絶妙のバランスで配置され、すっと通った鼻梁と紅い唇が、清楚な印象を生み出している。透けるように白い肌に、ちょっとしたら折れそうな細い手足。古ぼけたドレスを着ていても、美しさが損なわれるどころか、かえってその落差が人目を引くような美貌だ。
男ならば誰もが無条件で『護りたい』と思うような……儚げな印象の美少女だった。
「…………」
ジェラルドは目を瞬かせた。それから、無意識のうちに一歩前に踏み出す。エリファーナはびくっと身体を震わせ、後ずさろうとする。が、壁に強く身体を押しつけることしか出来なかった。
「あの――」
エリファーナはもう一度、意を決して声をかける。脅えた様子のエリファーナに、ジェラルドは凄惨な笑みを浮かべた。
肉食獣が、獲物に食らいつかんとでもしているかのような笑み。
そうして、無造作に手を伸ばした。エリファーナの華奢な顎を掴み、引き寄せる。その力に、エリファーナは顔をしかめた。
かちかちと歯を鳴らす彼女を、ジェラルドは面白そうに見下ろしてくる。そして、ぐっと顔を近づけてきた。
息遣いが感じられそうなほどの距離。
「…………!」
恐怖で、エリファーナの思考が真っ白になった。
いきなり歩き出した兄を、マリアテーゼは慌てて追った。
「ちょっと何処行くのよ、兄貴っ!」
小声で叫ぶ。マリアテーゼの方も、こんな舞踏会など楽しいわけがない。顔見知りはいたが、肉親がいるのといないのとでは安心感が違う。
向こうで、ジェラルドが飲み物を引っ掛けられたのが見えた。
「うわ間抜け……」
思わず呟く。助けに入った人間が逆にやられていてどうするのか。
ぱたぱたと駆け寄りながら様子を窺う。何故だか、ジェラルドは立ち尽くしたまま動く様子がない。
マリアテーゼも怪訝な顔をする。それから、不意に顔を引きつらせた。
あのグラスの中身。ジェラルドが引っ掛けられた飲み物は……何だったろう?
「まずいっ!」
思わず叫ぶ。貴族の娘としての礼儀作法も何もかも捨て去り、マリアテーゼは疾走した。踊りに興じていた中年の男にぶつかるが、これは無視する。それどころではない。
「まさか酒じゃないでしょうねえっ!」
マリアテーゼは喚き散らした。先程の少女たちを、内心で死ぬほど罵ってみる。
ジェラルドを見る。普段の兄とは似ても似つかぬ様子で、自分が庇いに入ったエリファーナを眺め回していた。何と言うのか……金を持て余した男が、女を物色しているかのような風情だった。
不意に、ジェラルドがエリファーナの顎を掴んだ。そして、ぐっと引き寄せる。
(やっぱりいいいっ!)
「あらお兄様こちらにいらっしゃいましたのっ?」
自分でも歯が浮くような口調で一気にまくし立てる。ジェラルドがとろんとした顔のまま振り向き、エリファーナはもう頭が真っ白になっている。
「わたくしお兄様にとても大事な用がありましたの申し訳ありませんがこちらに一緒に来ていただけないでしょうかっ?」
適当なことを一気にまくし立てながら、ジェラルドの腕を掴んだ。ジェラルドの返事も待たず、マリアテーゼは兄を引っ張ってまた走り出す。
すぐ側でエリファーナが混乱しきった顔をしていたが、謝罪している暇はない。内心で謝り倒しつつ、兄を人がいない控え室に連れ込んだ。
「何だと言うんだ……」
普段とは別人のような、乱暴な口調でジェラルドが言う。兄の顔を覗き込み、濡れている髪から発せられるアルコールの匂いに、マリアテーゼは顔をしかめた。予想通りだ。
(あのバカ女共っ!)
自分から飛び込んだ兄も兄だが、まったく何てことをしてくれたのか。そのせいで、自分がこんな手間をかけさせられる。
近くにあった木彫りの置物を手に取る。そうして、兄の背後に一気に回り込むとそれを振り下ろした。
がん、と鈍い音と手応えがあった。
「がっ……」
頭部を強打され、ジェラルドはあっさりと気を失った。それを確認してから、マリアテーゼは肩で大きく息をする。
「何だか……殺人者にでもなった気分だわ……」
呟くと、ジェラルドをぶん殴った置物を元の場所に戻す。息を整えると、部屋のすぐ側に控えていた警備兵の一人に囁いた。
「申し訳ありませんが、わたくしのお兄様が気分が悪くなられて、倒れてしまいましたの。どなたか、介抱してくださいませんか?」
精一杯演技して嘘八百を並べ立てる。実際はさておき、潤みがちの瞳で自分を見上げてくる少女に、声をかけられた警備兵は一瞬胸を高鳴らせる。それから、弾かれたように他の人間を呼びに行った。
走り去る警備兵の姿を見ながら、マリアテーゼは軽く舌を出す。
「男ってバカよねー、ほんと。……しかしそれにしても、人の苦労も知らないで……」
ぶつぶつと愚痴を言う。足元で、詐欺にしか思えない妹の演技も知らず、ジェラルドは気を失ってかすかな寝息を立てていた。
