螺旋のかけら

02.謝罪

「ねえねえ、昨日の舞踏会どうだった?」
 期待に満ちた表情で、ラウラが訊いてきた。
 ラウラは、マリアテーゼのすぐ下の妹だ。まだ子供であるため、舞踏会には出席することが出来ない。だが、何かとそういったことに憧れる年齢だから、話を聞くのが楽しみで仕方ないらしい。
 すぐ側には末っ子のダレットもいたが、こちらはきょとんとした顔をしている。
「どうもこうもないわよー……兄貴がさ、酒かぶっちゃって。そのフォローで大変だったんだから、わたし……」
 マリアテーゼは愚痴るように言うと、テーブルに突っ伏した。
「兄さんに……酒……?」
 ややあって、ダレットが戦慄したように呟く。その言葉に、ラウラが弾かれたように姉に詰め寄った。ジェラルドがとことん酒に弱く、ほんの少し口に入れただけでも酔ってしまうことは、妹弟も知っている。
「それでっ? 大丈夫だった? お兄ちゃん暴れたりとか物壊したりとかしてないよねっ?」
「何とか殴りつけて止めた。……迷惑かけなかったとはいかなかったけどねー……」
 マリアテーゼは大きく息を吐く。脅えきったエリファーナの顔を思い出す。彼女には悪いことをした。
 後で、謝罪の手紙くらいは送っておいた方が良いかもしれない。事情を知らない人間には訳が分からないだろう。
「ラティン女伯爵、ねえ……」
 呟く。それを聞きつけ、ラウラとダレットが揃って首を傾げた。
「誰それ?」
「兄貴が襲いかかろうとしてた人。わたしがいなかったらどうなってたか」
 その言葉に、ラウラとダレットはまた揃って顔を引きつらせる。五人兄弟の下二人だが、とにかく行動がよく似ている二人である。
「……誰が襲いかかった、だ。誰が」
 三人の後ろから声がした。慌てて振り向くと、兄ジェラルドが憮然とした顔で佇んでいる。
「人聞きの悪いことを勝手に言うな。庇いに入っただけだろうが」
 今、王城から帰ってきたらしい。小さく息を吐くと、妹弟の隣に座り込んだ。居間で兄弟が集まって話しているのは、このコルフォース家の屋敷ではよく見られる光景だ。
 兄弟にはもう一人、アリエノールという一番上の姉がいるが、こちらは数年前に嫁いでもう家を出てしまっている。
「よく言うわよ。だったら兄貴、酒かぶった後何があったか覚えてる?」
 マリアテーゼが、冷ややかに兄を睨み付けて言った。
「……いや、それは」
 ジェラルドは押し黙る。自分がとことん酒に弱い体質であることは、彼自身も自覚している。だから、自分から酒に口を付けることはないのだが、昨日の出来事は不可抗力だ。
 昨夜の記憶は、エリファーナ・ラティンに駆け寄ったところで途切れている。気が付いたら、王城の控え室に寝かせられていた。やけに頭が痛んだが。
「人の苦労も知らないでさ」
 マリアテーゼは、更にぶつぶつと文句を言った。
「……そう言えば、エリファーナ・ラティンはあの後どうなった?」
 ふと思い出して、ジェラルドは尋ねる。記憶が途切れているため、その姿もよく覚えていないが、金髪の儚げな印象の女性だったように思う。
「さあ……わたしもよく見てないけど。ただまあ、完全に混乱して脅えてたわよ? 可哀想に、男は皆ケダモノだとでも思ってるでしょうね」
 言ってマリアテーゼは意地悪く笑った。覚えがないこととは言え、ジェラルドは罪悪感を覚える。
「謝っておいた方が良いか……」
 呟いて嘆息し、肩を落とす。自分は確か、助けに入ったはずだったのだが、まったく正反対ではないか。
 いつになく落ち込んでいる様子の兄に、姉弟は揃って顔を見合わせた。
「……ねえ、そんなに美人だったの? その女の人」
「僕、兄さんが綺麗な女の人見て喜んでる様子って想像がつかないんだけど」
「あんたはまだ子供だから。一皮剥けば、男なんて皆そんなもんよ。バカばっかり」
 こそこそと会話をする。バカ呼ばわりされて、ダレットが少しだけ傷ついた顔をした。
「言いたい放題を言うな。こそこそと陰口を叩くなといつも……」
「兄貴もさ、一々細かいことをうるさいのよ。小姑じゃあるまいし」
 ジェラルドが、細かいことでもあれこれと叱り飛ばす癖があるのは確かである。だが、小姑呼ばわりされて、ジェラルドはまた肩を落とした。
「ふっ、勝った」
 マリアテーゼが、密かに勝利宣言をした。

 父ゴフセフに渡された紙の束に、ジェラルドは眉をひそめた。
「……何ですか? これは」
「縁談の申し込みだ」
 ゴフセフは言うと、ため息をついた。そのまま呆れ返ったように肩をすくめる。
「これが全部、ですか?」
 さすがにジェラルドも目を丸くする。紙の束は、十枚や二十枚ではきかないだろう。
「そうだ。……『宰相の跡取り』が欲しいという連中はかなり多いらしいな」
 ジェラルドよりも、むしろゴフセフがうんざりとした顔をした。
 この時代、特に貴族は家同士の政略結婚が普通だ。本人の意思が尊重されることはほとんどないから、申し込みは家の当主……コルフォース家の場合は父ゴフセフ……に行くのが普通である。それが、この紙の束ということらしい。
 だが、たとえどの娘を妻に選ぼうと、その結果はジェラルドに跳ね返ってくる。将来はジェラルドが当主なのだから。一生の伴侶でもあるし、ゴフセフは自分に関することは自分で決めさせることにしていた。
 昨夜の舞踏会にしたところで、ゴフセフも何人の貴族に話を持ちかけられたか分からない。だが、「そんなものは本人に交渉してくれ」とゴフセフは突っぱねていた。
「まあ、この中から選ばなくてはならないわけでもないがな。……どれも肩書きだけしか見ておらん連中ばかりのようだ」
 一応はゴフセフも目を通していたらしい。眉を跳ね上げて言う。
「はあ……」
 昨夜の、自分を値踏みするような視線の数々を思い出す。自分の利益しか考えていない視線。ジェラルドは顔をしかめた。
 知らないところで、自分はどう思われているのか。何を言われているのか。今更それを恐がることもないが……ひたすら腹立たしいのは確かである。
「まあ、そういうことがある、とだけ覚えておけ。お前もそろそろ妻を迎える年齢であることは確かだ」
 姉のアリエノールが結婚したのは数年前だから、縁遠い話というわけでもなかった。自分に関わるとなると、いまいち実感が沸かないが。
 父の言葉に、ジェラルドは小さく頷いた。

 小さな紙片と目の前の建物を交互に見比べ、ジェラルドは眉根を寄せた。
 何度も確かめてみるが、ここが間違いなくラティン家の屋敷だ。だが、庭はまったく手入れされておらず、雑草が隙間なく生い茂っている。建物も似たようなもので、壁が何ヶ所か崩れかけているのがここからでも分かる。
 何より、門の守衛すらいない有様なのだ。雇う余裕がないのだろう。
「落ちぶれているとは聞いていたが……」
 ラティン家と言えば、名の通った名家である。まさかここまでとは思わなかった。コルフォース家が堅実に栄えているため、落ち目の貴族がどういったものか、いまいち想像出来なかったのも確かだが。
 普通ならば、屋敷の使用人を通じて面会を申し込みでもするところなのだろうが……
「それも無理らしいな」
 ジェラルドは呟き、これだけは権勢を残している、大きな正面の扉を叩いた。通常、自分より身分の低い者の家を訪れる際には供を連れるが、ジェラルドはエリファーナを尊重して、自分の使用人は帰してしまっていた。
 朽ちかけた建物の前で、ジェラルドは一人佇む。何回か叩いてみたが、反応がない。
「誰もいないと言うこともない……と思うのだが……」
 たとえ主人がいなくても、使用人が誰かしら残っているものだろう。だが、この屋敷にその常識が通用するものか、判断がしにくい。
「……どうしたものかな……」
 段々所在なくなってきて、ジェラルドは珍しく不安げに呟いた。このまま立ち尽くしていていても仕方のないことは確かだ。
 と、ようやく中で小さな音がした。派手な軋み音がして、扉が開く。
 初老の男が一人、姿を見せた。黒のスーツが違和感なく馴染んでいる。おそらくは、この屋敷の執事だろう。他の職業が想像出来ないほどに、典型的な執事の姿だった。
「……どちら様でしょう?」
 いきなりの見知らぬ来客に、老執事は露骨に警戒した視線を向けてきた。少々不愉快な気分になるが、これは気にしないことにする。
「ジェラルド・コルフォースと言う者だが……こちらの当主はおられるか?」
 ジェラルドの格好を見れば、貴族の子弟であることは想像に難くない。あとコルフォースという名を出せば、すんなりと話は通るはずだったのだが……
「失礼ですが、どういったご用件でしょうか?」
 ジェラルドに、執事は更にじろりとした視線を向けてくる。
「先日の非礼を詫びに……」
 さすがに、ジェラルドも不機嫌になってきた。執事の様子からすれば、エリファーナは確かに屋敷の中にいるはずなのだ。当主に、貴族が対等な立場で訪ねてきているのだから、本来ならば執事がとやかく言えた義理ではないのだ。
「非礼……とは?」
 問われて、ジェラルドは一瞬黙る。何せまったく記憶にないため、具体的にと言われても説明のしようがない。マリアテーゼの話からすれば、かなりまずいことをやっていたようだが。
「貴様にまで説明する必要はあるまい」
 必要以上にぶっきらぼうに言ってやる。ジェラルドとしては、だからさっさと通せという意思表示だった。
 だが、ここの執事は頑固だった。得体の知れない小僧は通さないとでもいった風情で、扉の前から動かない。二人は、不毛な睨み合いをしばらく続けていた。
「……グラディス!」
 屋敷の奥からまた声がした。高く澄んだ、若い女の声だ。グラディスというのは、この執事の名前らしかった。
 金髪を長く伸ばした女性が、ぱたぱたと駆け寄ってきた。間違いない。エリファーナ・ラティンだ。舞踏会の時ほどの違和感はないが、やはり質素なドレスを着ていた。
 その容貌に、ジェラルドは思わず息をのむ。何せ、舞踏会での記憶はほとんどないのだ。
 ジェラルドの顔を見て、エリファーナは露骨に脅えた顔をした。顔を引きつらせ、思わず一歩後ずさる。あの、自分を獲物でも見るような視線で見ていた男だ。
 今更、この男が一体何の用があるのだろう?
「あ……」
 何か言わなくてはならないと思うのだが、恐怖が蘇り、喉がひりついて言葉が出てこない。身体を震わせ、立ち尽くすだけである。
 エリファーナの様子に、ジェラルドに覚えのない罪悪感が沸き上がった。おずおずと口を開く。
「あの……先日の非礼をお詫びしたく……」
 口を開いた途端、エリファーナの身体がびくっと震えた。見るからに脅えている様子の彼女を庇うように、執事……グラディスが前に出る。
「あ……あなたに詫びてもらうことなど何もありませんわ」
 グラディスの後ろで、顔を上げてエリファーナが言う。震えた声で、それでも必死にジェラルドを睨み付けていた。
「いや、しかし……」
 自分の顔を見ただけでこれだけ脅えるのだから、何もなかったと言うことはないはずだ。だったら尚更、詫びなければ気が済まない。
「何もありません! ですから、わたくしとあなたは何の関係もありません! わざわざ来ていただいて恐縮ですが、お帰り下さい!」
 エリファーナが叫ぶ。その剣幕に、ジェラルドも思わず黙った。その隙にエリファーナはまた屋敷の奥に駆け込んでいってしまう。呆然としているジェラルドを、グラディスがぎろっと睨み付けた。
「貴殿も、お嬢様を物のように手に入れようとする人間の一人ですかな?」
「……は……? それはどういう……」
 いきなり訳の分からないことを言われて、ジェラルドは思わず間の抜けた声を上げる。
「見くびらないで頂きたい。落ちぶれたと言えど、お嬢様はラティン家の当主であり、伯爵位の正当な後継者であられるのですぞ? 金のために身を売るような真似をするとお思いか?」
「いやだから、それはどういう……」
 ジェラルドの言葉には耳を貸さず、グラディスは扉を閉めてしまった。後には、呆然と立ち尽くすジェラルドだけが残される。
「何だったのだ……?」
 呟くが、エリファーナもグラディスも聞いたところで答えないだろう。取り付く島もない、と言った風情だ。
「……仕方ないか」
 今日のところは、引き上げるしかあるまい。ジェラルドは小さくため息をつくと、ラティン家の屋敷を出て帰路についた。

 

 
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