螺旋のかけら

04.求婚

 そう時間はなかった。
 今のところ、エリファーナはグレンに屈する気はないようだが、それがいつまで続くか分からない。見るからに華奢で弱々しい姿を思い出すと、いつ吹き散らされるかと不安で仕方なくなるほどなのだ。
 グレン・レンディールが正式に事を成立させ、発表してしまう前に、話を進めなくてはならない。作業自体はそう時間のかかるものでもなかったが、エリファーナの承諾を取り付けるほどの余裕はなかった。
 何せ、ジェラルドは今だに完全に拒絶されたままである。説明の一つもしておきたかったが、一から誤解を解いているわけにはいかない。「酔っ払っていたから」の一言で全てが済むはずがない。
(……仕方がない。後回しにするか。彼女に危害を加えようというわけではないし)
 ジェラルドはそう自分を納得させることにした。そうして、『作業』をするべく歩き出す。あまり好きな類の作業ではなかったが、この際仕方がない。
(結局の所、私に出来るのはその程度か)
 ふと、ジェラルドは自嘲気味に笑った。

 数日後、王城は一つの噂で持ちきりになった。
 次代の宰相候補……いや、父の後を継ぐのは確実と言われている青年が、一人の女性に求婚したからである。
 あちこちからひそひそと聞こえてくる声に、ジェラルドは内心ほくそ笑んだ。
 ジェラルドの考えた、エリファーナからグレンを遠ざける手段。それは、自身がエリファーナに求婚してしまうことであった。
 幸か不幸か、ジェラルドには有数の名門の跡取りという肩書きがある。それを利用しない手はない。いかにグレンが大商人であろうと、所詮は庶民である。宰相の息子……それも、王女の血をも受け継ぐ青年に敵うわけがないのだ。恋敵という形を取れば、グレンは退却せざるを得ない。グレンが本気でエリファーナを愛しているわけでもないだろうし、ジェラルドと争うような危険な真似はしないはずだ。
 ――とまあ、それがジェラルドの目論みだったのである。
 王城に入ってから、何人に声をかけられたか分からない。自分の娘をと目論んでいた貴族たちが、露骨に憮然とした、悔しそうな顔をしていたのがまた痛快だった。世辞と縁談の申し込みを併せて聞かされる苦痛からも逃れられる。
 ほとぼりがおさまって、グレンが完全にエリファーナから手を引いたようだったら、その時には求婚を撤廃してしまえば良い。元々が方便である。ジェラルドはそう思っていた。
 だが、その考えがとんでもなく甘かったことを、彼はすぐに思い知らされる。

「バカ」
 兄に向かって、マリアテーゼはきっぱりはっきりと言い切った。
「なっ……」
 自信があった目論みを一言で切り捨てられ、ジェラルドは唖然とする。憮然とした顔ですぐ下の妹を睨んだ。
「どういうことだ! こちらは良かれと思って……」
「そう思いこんでるバカは兄貴だけだって言ってんのよ、この大ボケ兄貴! ……ああもう、こんなバカを兄貴なんて呼びたくないわ」
 えらい言われようである。だが、マリアテーゼの激昂の理由が分からないジェラルドは、口をぱくぱくとさせて目の前を眺めるだけだ。
「だから、それはどういう……」
「……兄貴、ほんっとうに分からないわけ?」
 マリアテーゼは、冷ややかにジェラルドを眺める。
「さて問題です。親に借金背負わされた可哀想なエリファーナさんは、借金取りに代わりに結婚を迫られていました。そんなある日、宰相の息子だとかいう何だか分からないけど偉い人がケダモノみたいな顔で迫ってきて、物凄く恐い思いをしました。
 そして、そのお偉いさんが自分に求婚してきました。さて、ここでエリファーナさんはどう思うでしょう?」
「…………?」
 ジェラルドは尚も目を瞬かせた。
「自分に結婚迫ってくる男が、一人から二人になっただけだろうって言ってんのよ!」
 とうとう、マリアテーゼはジェラルドの耳元で喚いた。
「兄貴、本気で酒飲むと性質(たち)悪いんだからね! グレンのおっさんも目じゃないほどにやらしー目をした男が、いきなり迫ってきたのよ? あの人、相当傷ついてたんだからね? そこにトドメを刺すかの如く、いきなり結婚してくれなんて言われてみなさい、ケダモノの数が増えただけでしょう!」
 ひとしきり喚き散らして気が済んだのか、マリアテーゼはぜえはあと大きく息をした。
「あ、いや、しかし……」
 そんなつもりではなかった。むしろ、先日の失態を取り戻したかったからやったことだったのに。ジェラルドは喘ぐような呼吸で、妹に救いを求めるような視線を向けた。しかし、マリアテーゼは更に冷ややかな視線を向けるだけである。
「大体、これで都合良くグレンが身を引いたとしても、その後どうするつもりだったのよ。求婚を破棄する? それでまたエリファーナが傷つくってことは考えなかったわけ?」
「あ……」
 返す言葉もない。ジェラルドは黙り込む。
「あの人を物みたいにしか考えてなかったのは、兄貴の方も一緒だったってことよ。あの人本人が何を望んでるかなんて、一言も考慮に入れなかったでしょう。
 ――救いようがないわね」
 マリアテーゼは鼻で笑った。そうして愕然とする兄は放っておき、すたすたと部屋から出ていってしまう。
 違う。そんなつもりではなかった。
 何度も心の中で叫ぶが、取り返しはつかない。彼女の手助けと思ってやったことだったのに、まったく逆効果ではないか。間違いなく、自分はグレンと同じかそれ以上の悪党としか思われていない。
(どう……する?)
 以前はあんなにあっさりと策が浮かんだのに。今度は、失態を取り返す術など何も思いつかなかった。

「……ねえ、何かあったの?」
 机に頬杖をついていたマリアテーゼに、躊躇いがちにラウラが言った。
「ほらさっき、お兄ちゃんのところで何か怒鳴ってたでしょ? ……どうしたの?」
 ラウラの問いに、マリアテーゼは呆れ顔でため息をついた。
「別に。あの兄貴のバカさ加減に呆れ返ってただけ」
 マリアテーゼは無愛想に言う。ラウラもそれ以上問えず、所在なげに視線を逸らした。いつもなら隣に末っ子のダレットがいるのだが、今はいない。外で剣術の訓練中だ。
「ふうん……?」
 何とはなしにラウラが呟く。今の姉には、何を言っても通用しないような気がした。
 沈黙が続く中、救いの鐘のようにぱたぱたと足音がした。身体中擦り傷だらけのダレットが入ってくる。部屋に足を踏み入れた瞬間、姉二人の間に漂う重苦しい空気に、思わず顔を引きつらせた。
「ねえ……みんなどうしたの? 兄さんも、姉さんたちも何だか様子がおかしいし」
 事情がさっぱり分からないダレットは、おろおろとして言う。
「……兄さんも?」
 ラウラが呟く。ダレットが頷いた。
「何だかふらふらと歩いてたけど、やけに落ち込んでたな。聞いたら怒鳴られるし」
 ダレットは肩をすくめる。ラウラとダレットは揃って、説明を求めるようにマリアテーゼを見た。マリアテーゼは眉を跳ね上げる。
「あの兄貴もしゃあないわねー……自分の責任だってのに」
 他人に当たるのはマリアテーゼも同様なのだが、彼女にまったくそんな自覚はないらしく、また嘆息する。
「だーかーらー、どうしたの?」
「どうってことないわよ。自分でポカやって女の人に嫌われて、勝手に落ち込んでるだけ」
「女の人って……この間の?」
「そ。誤解を解くどころか完全に逆効果だったわね」
 マリアテーゼは首をすくめる。姉の言葉に、ダレットが表情を曇らせた。ややあって、何か思いついたように言う。
「……つまり、その女の人の勘違いをどうにかすればいいの?」
 ダレットの言葉に、ラウラが顔を上げる。だが、マリアテーゼは渋い顔をしたままだ。
「どうやって? 兄貴、かなり救いようのないことやってるわよ? それをねえ……」
 それに、何だって自分があの兄の尻拭いをしてやらなくてはならないのか。まあ血の繋がった兄であるし、可哀想だと思わなくもないが、他人の失敗の責任を取ってやるほど親切にはできていない。エリファーナを直接見ているから、彼女の頑なさも理解している。あの誤解を解くのは相当に骨だ。
「でも可哀想だよねえ……好きな女の人に嫌われたままだってのも」
 ラウラの言葉に、マリアテーゼはきょとんとした顔をした。
「別に、兄貴があの人好きだなんて一言も聞いてないわよ? まあ求婚なんてしたけど、あれはあくまで形であって、だからこそ問題なんだけど……」
 マリアテーゼの言葉に、今度はラウラとダレットがきょとんとした顔をした。
「……そうなの?」
「今の今までそうだと思ってた」
 口々に言う。まあ、確かに……『求婚した人に嫌われた』とだけ聞けば、普通はそう考えるだろう。その『求婚』の裏にあるものが問題なのだが。
「だったら何で求婚なんてしたわけ?」
 ラウラが言う。当然の疑問だった。マリアテーゼは思わず今までの経過を説明しかけ、はたと気付く。
「そうよね……何だって兄貴、あの人にあそこまでこだわるのかしら」
 マリアテーゼまでもが疑問を口にする。三人は揃って顔を見合わせた。
 あの舞踏会での失態は、偶然の産物だ。その後、ジェラルドが謝罪しようとしたところまでは理解できなくもない。ただその後、自身の名を出して求婚という形を取ってまで、エリファーナに関わろうとする理由は見当たらない。
 それは。つまり……
「案外……求婚は方便ってだけじゃなかったってこと?」
 マリアテーゼが呟いた。ラウラは頷きかけ、ダレットはきょとんとした顔をしている。
 それならまあ、理解できる。理論上だけは。ただ、ジェラルドの様子を見ている限り、本人に自覚症状はなさそうだ。自分でも分からないのに、失態をやらかして一人で落ち込んでいる。
「更に救いようがないじゃないの……」
 マリアテーゼは嘆息するより先に頭を抱えた。何とも間抜けな兄である。自業自得と言えばそれまでなのだが、仕方のない話だ。
(これで次代の宰相? 笑わせるわ)
 マリアテーゼは苦笑した。まあ、今までの話は推測でしかないのだが。
「……ねえ、その人どんな人なの?」
 明らかに面白がっている顔で、ラウラが訊いてきた。彼女はまだ『恋愛に憧れる』ような年頃だから、こういった話が面白くて仕方がないらしい。
「綺麗な人だったとは思うけどねえ……少なくとも、普通の男は気になるんじゃない?」
 溶けて消えそうな淡い金髪に、深い蒼の瞳、華奢な身体。見るからに儚げな女性だった。だがその反面、ひたすら頑固そうだ。今回のような自分の誇りがかかっている事例の場合は、死んでも屈さないだろう。
「うーん……」
 いつの間にか、マリアテーゼも腕を組んで考え込んでいた。ふと、何だって兄のことでここまで悩まなくてはならないのかと思ってみる。
「だったらさ、その人に全部話せば? 実はこうなんだよってことで」
「それで信じるようだったら苦労しないって」
 話がさっぱり分かっていないダレットが言う。マリアテーゼはため息をついた。まあ、まだ十二歳で剣術に没頭しているこの弟では、分からなくても仕方がないが。
「でも、このままだとお兄ちゃんが可哀想だしねえ……」
 ラウラが言う。ダレットが訴えかけるような視線をマリアテーゼに向けた。マリアテーゼはまた腕を組んで考え込む。
 エリファーナに直接話を通しても通じまい。だが、あの執事のグラディスなら? 
 グラディスには、エリファーナも絶対の信頼を置いているようだった。その彼から話を伝えてもらえれば、少しは通じるかもしれない。
(それくらいしか思いつかないわねー……)
 内心呟き、マリアテーゼは嘆息した。実のところ、この中で頭脳労働が得意なのはマリアテーゼだけで、ラウラとダレットは問題外だ。弟と妹を眺め、また小さく息を吐く。
「……じゃあさ、行こ。その人のとこ」
 ラウラが今にも飛び出しそうな勢いで言った。今すぐに行かなければならないわけでもなかったが、『兄の想い人』が見てみたいらしい。
 マリアテーゼも、嘆息して立ち上がった。

(やめて……やめてやめて、やめてっ!)
 自分の部屋で、エリファーナは必死に耳を塞いで身体を震わせていた。
 玄関からはひっきりなしに扉を叩く音が聞こえてきている。レンディール商会の使用人たちだ。以前は借金の返済の催促と結婚を迫るためだったが、今は少し違うはずである。
 あの、ジェラルド・コルフォースとかいう男。確か宰相の長男だったはずだが、その男が何の前触れもなしに求婚してきた。そのことを問いただすためのはずだ。
 エリファーナにしてみれば、グレンもジェラルドも大して差はない。ただ、自分を物のように手に入れたがる男が、増えただけのことである。大商人だか宰相の子供だか知らないが、そんな金や権力が理由になるはずがない。
 どうして、自分ばかりがこんな目に遭わなくてはならないのか。きっぱりと拒絶出来れば問題はないのだが、借金の山とこの貴族社会の仕組みが、それを許さない。自分より地位が上の者からの求婚とあらば、滅多なことでは拒絶出来ない。
「どうして……」
 呟くが、何も策など思いつかない。何故だか、求婚の噂はたちまちのうちに広まっていた。ジェラルド自身が仕組んだためだが、エリファーナはそのことを知らない。
 かちかちと歯が鳴る。蒼の瞳にじわりと涙が浮かび、必死で袖口で拭った。
 舞踏会で見た、ジェラルドの顔が頭をよぎる。まるで獲物でも見るかのような視線で自分を見ていた。もし、自分の立場が弱くて、拒絶出来ないと知った上でこんな話を持ちかけてきたのなら、とんでもない男だ。
 この社会では、政略結婚が普通だ。それを考えれば、ジェラルド・コルフォースの話はもしかしたら都合の良いものなのかもしれない。だが、さすがにいきなりあんな目を向けてくる男と結婚するのはごめんだった。結局、二人とも自分を辱めようとしているだけなのだ。
「…………」
 とりとめのないことを考えていると、ノックの音が聞こえた。黙っていると、少しの間の後、グラディスが姿を見せる。
「……何?」
 泣きはらした目のままで尋ねた。
「いや……門の前で、何やら騒ぎが……レンディール商会の者と……」
 グラディスの口調は歯切れが悪い。エリファーナも首を傾げた。
 何か事件が起こっているということが有り難かった。少しでも気が紛れる。
「……門の方ね?」
 呟き、立ち上がる。そのまま歩き出した。
「もし、お嬢様!」
 後ろから、グラディスが慌てた様子で叫ぶのが聞こえた。

 

 
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