05.兄弟
「うーん……タイミングが良かったんだか悪かったんだか……」
マリアテーゼは思わず呟いた。
何故だかラウラとダレットもくっついてきてしまったが、再び崩れかけたラティン邸を訪れたまでは良かった。だが、いかにも荒くれ者と言った風情の男たちと鉢合わせしてしまったのだ。
少し様子を見ていたところ、どうにもレンディール商会の雇った人間たちらしかった。エリファーナに圧力をかけるためか、いきない沸いて出た求婚の噂の真相を確かめるためか……おそらく、その両方だろう。
このまま見過ごすのは後味が悪かった。それに、本来の目的も達成できない。話をスムーズに通すためにも、ここは助けた方が良いだろう。
「行きなさい、ラウラ、ダレット!」
連れてきて良かったのか悪かったのか。男たちを指さし、マリアテーゼは小声で囁いた。
「りょーかい!」
「うーん……良いのかなあ……」
それぞれの反応を示しつつ、二人は様子を窺っていた物陰から飛び出した。
「なっ……?」
いきなり現れた二人に、男たちは一様に困惑の表情をした。それはそうだろう。二人とも、どう見ても子供……実際、ラウラは十四歳、ダレットは十二歳だった……だし、華奢な体格をしている。
「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえってことで、ここはおとなしくやられてねっ!」
訳の分からないことを叫びつつ、ラウラは懐から何かを取り出した。そして、手慣れた動作でそれを翻す。
扇だった。貴族の女性が持っている物である。ただし鉄骨が仕込んであって、殴られただけでもそれなりに痛い代物だ。
ラウラは自分より二回り以上も大きい男たちの中に飛び込む。そこに至って、男たちはようやく事の成り行きに気付いた。爆笑したいのをこらえながら、拳を振り下ろす。
ラウラの姿が、いきなり消え失せた。――ように見えた。
ラウラはあっさりと大振りの拳をかいくぐる。そうして手にした鉄扇を閉じると、男の鳩尾に突き込んだ。それだけで、男の一人があっさりと地面に転がる。
扇術と呼ばれる、貴族の女性が用いる護身術の一つだ。元々力のない女性が暴漢に対抗するためのものであるため、相手の力を受け流し、利用して反撃することに特化している。
鉄扇を翻すラウラの姿は、まるで舞を舞っているかのように優雅だった。
その隣で、ダレットは長い棒を手にしていた。普段訓練に使っている木剣である。「身体の一部になるまで身近に置いておけ」などと剣の師匠が言うので、習慣で持ってきてしまったのだが、役に立ちそうだ。
「何だかよく分からないけど……」
ダレットは呟く。事情はさっぱりだが、他人の家で何かを叫んで扉を蹴っているのだから、迷惑をかけていることは間違いないだろう。だったら、少しおとなしくしてもらっても問題はあるまい。
「さっさと行きなさい!」
……後ろで、こうやって姉も叫んでいることだし。
ダレットは木剣を構える。そうして一気に踏み込んだ。
ダレットの体格は華奢で、剣を構えた姿は、長い剣に身体が振り回されているようにも見える。だが――踏み込んだ瞬間に、それが変わった。
まるで、腕が伸びて迫って来るかのような錯覚。硬直した一瞬後には、男は脳天を叩かれて意識を失っていた。
「痛そー……」
自分でやったにも関わらず、思わずダレットは呟く。
「な……」
反対に、男たち……二人やられて、残り三人である……は言葉も出ない。
(何なんだ、このガキ共!)
着ている服はそれなりに上等なものだし、その飄々とした雰囲気を見ても、見るからに貴族か豪商の子供といった風情だ。
ここまでに強い理由も、いきなり襲いかかられる理由も分からない。男たちは一様に顔を引きつらせた。
「ここでおとなしく退けば見逃してあげるけど?」
自分は何もしていないにも関わらず、マリアテーゼが無意味にふんぞり返って言った。
貴族の子供は、大抵小さい頃から護身術を叩き込まれる。襲われる危険性が常に付きまとうからだが、ラウラとダレットは武術にとんでもない才能を発揮した。状況にもよるが、大の大人でも余裕で相手が出来るほどである。マリアテーゼもそれを知っているから、荒くれ者の中に突っ込ませたのだが、効果は予想以上だったようだ。
……ある意味、一番強いのは一言で妹と弟をこき使えるマリアテーゼなのかもしれなかったが。
ラウラとダレットに与えられたダメージも大きかったが、何より得体の知れない三人の子供への恐怖から、男たちは一様に後ずさる。
「ん……?」
屋敷の中から物音がした。ぎいっと重い音がして、扉が開く。
エリファーナだった。自分の家の前で暴れられて、さすがに耐えかねて様子を見に来たのだろう。
一同が一斉に動きを止め、エリファーナに視線を向ける。
「ふえー……」
ラウラが感心したようなため息をもらす。ダレットは相変わらずきょとんとしていた。
マリアテーゼがぎろりと男たちを睨み付ける。これ以上居座るのはさすがにまずいと思ったのか、男たちは気絶した仲間を引きずり、そそくさとその場を後にした。
その様子を、エリファーナはぼんやりと眺めていた。
あの男たちは、以前から度々やってくるレンディール商会の人間だろう。それは分かる。少女のうちの一人、年上の方にも見覚えがあった。以前に一度、妹だと言ってここを訪れたことがあったはずだ。
ただ、その横にいる子供二人は……
(…………?)
エリファーナはぼんやりとした顔で首を傾げ――不意に、顔を引きつらせた。
一番年下に見える少年。……栗色の髪に、深緑の瞳。この顔は!
「こっ……来ないで!」
エリファーナは叫ぶ。後ずさろうとするが、扉に強く身体を押しつけるだけだった。急に脅えられて、ダレットが怪訝な顔をする。
「あの……僕?」
自分を指さし、答えを求めるようにマリアテーゼを振り返った。マリアテーゼが「しまった」とでも言いたげな顔をし、小さく舌打ちする。
髪と瞳の色、それに顔立ち。兄弟だから当然と言えば当然なのだが、ジェラルド、ダレットの二人は同じ鋳型から鋳抜いたかのように似ていた。年齢が離れているから間違えるようなことはないが、もう片方を思い出すには十分すぎるほどである。
(あちゃー……)
普段から両方を見ているせいで、二人がそっくりなことを失念していた。ジェラルドの誤解を解くべくやってきたのに、これでは逆効果だ。ダレットの顔を見てエリファーナが脅えたことからも、ジェラルドがどれほど嫌われているかが知れようというものである。マリアテーゼは嘆息した。
「あのバカ兄貴……」
呟く。
「な……何なのですか、あなた方は!」
エリファーナがまた叫ぶ。ここで泣き喚かないだけでも立派かもしれなかった。
「いやあの……」
この状態では、エリファーナは何を言っても聞かないだろう。ダレットが言いかけて黙る。
「何だって、わたくしを構おうとなさるのです? 確かに、宰相様のご子息から見ればわたくしは落ちぶれた女にしか過ぎないでしょう、しかし矜持はあります! 権力に屈して身を売るよう真似をするとでもお思いですか?
もう、わたくしのことは捨て置いて下さい!」
エリファーナはほとんど我を忘れている。目の前の少年がジェラルドに見えているのかもしれない。怒鳴りつけられ、ダレットがひたすらおろおろしていた。
エリファーナは肩で大きく息をして、目の前の少年を睨み付ける。そうして、ようやく違いに気付いた。
まず年齢も違うが、中からにじみ出してくるもの……雰囲気が決定的に違う。あの獣のような目ではない。おっとりとした、見るからに人の良さそうな少年だ。面食らったような様子で、自分を見上げている。
「あ……ごめんなさい」
エリファーナは呟く。身体から一気に緊張が抜け、地面に膝をついた。そこにダレットが駆け寄り、心配そうに覗き込む。
「……大丈夫ですか?」
いささか間抜けとも思えるダレットの言葉が響いた。マリアテーゼは思わず脱力するが、エリファーナはそうでもなかったようだ。
顔を上げると、ダレットの頭を撫でる。そうして、とろけるような笑みを浮かべた。
「ありがとう」
囁く。ダレットがほっとしたような顔をした。
「あれが兄貴に対するものならねえ……」
マリアテーゼが呟く。そうであれば何ら問題はないのだが、いかんせん弟の方である。顔つきだけはそっくりだったが、まさか入れ替えるわけにもいかない。
エリファーナが立ち上がる。軽く首を振ると、精一杯の笑みを浮かべて言った。
「それで、何の御用でしょうか?」
今更と言えなくもない言葉に、マリアテーゼはまた言葉に詰まる。兄のフォローをすべくやって来たのだが、今それをやると事態を逆行するだけのような気がする。
「……いえ。たまたま通りかかっただけです」
自分でも見え透いた嘘だとは思ったものの、マリアテーゼは曖昧に笑いながらそれだけ言った。エリファーナも首を傾げたものの、理由を追及する気はないらしい。
(今この人に兄貴の名前を聞かせたら、多分また半狂乱状態になるのよねー……)
マリアテーゼは独りごちる。そして周囲を見回し、目的の人物を見つけた。少し離れた場所から様子を見守っている、執事のグラディスだ。
何気ない風を装って近づくと、小さな紙片を渡した。目配せすると、グラディスの方も心得たようにそらっとぼける。
これで目的は達したわけだ。マリアテーゼは小さく息を吐くと、ラウラとダレットを小突いてラティン邸に背を向ける。
「ねえねえ、あの人に話があったんじゃ……」
ラウラの口を、マリアテーゼは慌てて塞いだ。
「今は止めておいた方が良いわ。色々とね」
それだけ言うと、駆け足でコルフォース邸に戻った。
(……何をやっているんだ、私は)
ジェラルドは内心呟くと、机の上に突っ伏した。行儀が悪いかとも思ったが、誰もいない部屋のことだ、気にする必要もないだろう。
ひどく胸の奥がむかつく。物理的な吐き気すら覚えながら、拳を握り締める。
何もかもが鬱陶しい。日常の職務も、自分に付きまとう視線も……エリファーナのことも。全てを放り出してしまえたら、どれほど楽だろうか。
今までそんなことは考えたこともなかった。生まれたときから、自分のいた世界は当たり前で、疑問を抱くことなどなかったのだ。たとえ、他の人間とはどんなにかけ離れた世界だとしても。
帝国全体に占める貴族の割合は少ない。貴族にも色々いるから、その中で名門と呼ばれ、権勢を誇っている者の数は更に少ない。王家の血縁となればもっとだ。
「…………」
全てから逃げ出す。逃亡と言う言葉は、彼がもっとも嫌うものの一つだったが、今だけはそれがとてつもなく魅力的なものに思えた。
だが、すぐに気付いてしまう。逃げ出すだけでは何も解決しないと。
――とは言うものの。
(逃げ出さないとして。一体私にどうしろと言うのだ?)
そう喚き散らしたかった。だが、疑問をぶつけたところで、マリアテーゼなどは冷ややかな視線を向けるだけだろう。全て、自分の為したことの結果だと。
(どうして。……あんな真似をしたのだろう、私は)
偶然エリファーナを見かけたこと。彼女の立場に同情して、少しだけ手を貸す気になったこと。……それが、全て逆効果となったこと。記憶が、頭をぐるぐると回る。
「手を貸しては……いけなかった、のか?」
垣間見た、エリファーナの姿が蘇る。あまりにも儚げで、触れたら砕け散ってしまいそうに繊細だった。華奢な硝子細工を、壊れないように護ってやりたい、とそれだけだったのだ。本当に。
悪気がなかったから許される、とは思わない。けれど……
(傷つけるつもりなどなかった。……それだけは本当だ)
たった一言、彼女に届けばいい。今願えるのは、それだけだ。
どうして、一人の女性に拒絶されたことがそれだけこたえているのか。その理由をまだ、本人は自覚してはいなかった。分からないから、余計に腹立たしい。
いつからか、扉をノックする音が聞こえてきていたが、今のジェラルドはそれすら気付かなかった。
