追憶の幻影

後編

 剣を振り上げ、息を吐くのと同時に振り下ろす。
 その動作はかつて必死で鍛錬したものだった。気合いと同時に刀身に薄く輝く刃が生じ、本来なら届かない位置にいる敵を切り裂く。
 刀身を自在に操る魔法が込められているのだ。擬似的な『遠当て』――間合いの外にいる敵を倒す技――の剣とでも言うべきか。もともと馬上で剣を振るう騎兵のために開発されたのだが、その扱いにくさから本格的に用いたのは彼しかいないまま廃れた。
 かつてはカーティス・マディソンという名で敵兵を震え上がらせた軍人しか。
 ダグは――別の名で呼ばれていた頃の姿をした老人は無言で黒い剣を振るう。狙いどおりに刃は敵を切り裂き、虫は断末魔の悲鳴を上げて消滅した。
 彼は久々の高揚感を覚えていた。剣が完璧に身体の延長となったような一体感。農具を握って長い月日が流れても、お前の本来手にするべきものはこれだと黒の剣は無言で主に訴えている。
 魔法で生み出された刃は剣より遙かに鋭く、たいていの敵は鎧ごと一気に斬り倒すことができた。光の刃にもものを斬る際の手応えはあり、かつては一気に斬り抜くその感触に酔いしれたものだった。
 縦横無尽に戦場を駆けて目につく敵を片っ端から屠り続けた。それが使命だと信じて疑っていなかった――自分に刃向かう愚か者に必殺の一撃を加えることが、敵の悲鳴と返り血でもって己の強さを証明することが。
「ふっ……!」
 若い頃の姿を取り戻した身体には力がみなぎっている。しかも虫たちは明確な攻撃手段を持たず、彼にとってそれらを倒すのは赤子の手をひねるのも同然だった。気味の悪い巨体がたちまち叩き斬られて消えていくのだから、これほど楽しいこともない。
「これで五匹!」
 戦闘というより一方的な狩りの時間だった。薄い唇を笑みの形に歪め、口の中で倒した数を数えながら剣を振るい続ける。そしてまた一匹を斬らんとしたところで、
「きゃああっ!」
 イルマの悲鳴が聞こえた。ダグははっとしてその方向を見る。
 今回現れた虫は数が多すぎた。ダグもかなりの早さで虫を倒していたのだが、それをすり抜けた一匹がイルマに突進したのだ。彼女も逃げようとしているようだが、腰が抜けているのかじりじりと後ずさることしかできていない。これではすぐに踏みつぶされるだろう。
「おいっ!」
 駆け寄ろうとして、脳裏に浮かぶものがあった。
 歓喜のままに刃を振るったその末路。傲慢なままに助けようとした少女に化け物と同じ視線を向けられ、事実そうであったことを思い知るあの悪夢。
 剣を握った手は……あの夢と同じものだった。
「あ……」
 一瞬、世界が暗転したかのような気分に襲われた。唐突にめまいを感じて足が止まり、そこに別の一匹が突進する。太い脚で弾き飛ばされダグは壁に激突した。鎧が身を守ってくれたものの、衝撃に息が詰まる。
「がはっ……」
 咳き込みつつも立ち上がり、再び剣を構える。イルマを見るとなんと彼女は虫と正面きって組み合っていた。うまい具合に巨体の均衡が崩れたらしく、腕を伸ばして虫の腹を押さえ横転した状態から立ち直らせまいとしている。
 とはいえ顔を必死に背け目には涙が浮かんでいたが。厚手の服と手袋をしてきたのが唯一の救いだが、しばらく彼女は夢でうなされそうだ。
「何やってるのよ! 村とあたしを助けてくれるんじゃないの? あっさりやられてどうするのよっ!」
 涙混じりの声だったがたいした根性である。それに苦笑してダグは冷静を取り戻した。剣を振るい、イルマと組み合っていた一匹を屠る。
 だが、そのため別の一匹を見逃した。正面から突進を食らいダグは再び壁に叩きつけられた。そこにさらに一匹が追い打ちをかけ、前足を乗せて鎧ごと彼を踏みつぶそうとする。
「ぐっ……」
 息ができない。反射的に腕を動かすが先ほどの衝撃で剣を手放してしまっていた。剣はすぐ側に転がっているが、身動きが取れず取り戻せない。
 自分の骨の軋む音がする。この身体が本来のものだったらたちまち折れていたな、とふと考えた。
 自分の姿が突然変わったことはこの<遺跡>の仕業なのだろう。だがその理由が分からない。巨大な虫を出現させたかと思えば老人に若者の身体を与える。その意味するところは……
「爺さんっ!」
 朦朧としてきた意識の中で、ダグは少女の声を聞いた。
(止めろ。来るな)
 そんな言葉が浮かぶ。戦う術を知らない少女への危惧であり、悪夢の再来を忌避しようとするものだった。見たくないのだ。この姿で、あの少女を!
「やめ……」
 呻き声を漏らすダグの横で、イルマは落ちた剣を拾い上げていた。しかし彼女に剣術の心得はまったくなく、何よりかけられた魔法を使う術を知らない。それでは黒の剣は棍棒ほどの役にしか立たないだろう。
 だが少女の行動に、虫たちの動きが一瞬止まった。赤い瞳がちかちかと点滅する。イルマの行動を観察しているようだ。
「このっ!」
 イルマが剣を振り上げダグを押さえつけている虫に殴りかかる。がん、と硬い音が響いたが、虫はびくともしない。だが、その目がかっと赤く光った。傷を与えられないにしろ、武器を手にした少女を脅威と見なしたらしい。
 その場にいた虫たちの視線がいっせいにイルマに向いた。歩調を合わせるかのように、ざわりとうごめく。
「くっ……来るなら来なさいよっ!」
 悲鳴のようにイルマは叫んだ。剣を構えているが完全に腰が引けている。自分が何を言っているかも分かっていないだろう。
「小さい頃から、あんたたちにさんざんうなされてたのよ! この場であんたたちを倒して、この世から絶滅させてやるわっ!」
 むちゃくちゃな台詞だが、聞いていたダグは声を出すこともままならずからかうことはできなかった。
「怖くない怖くないっ! あんたたちなんか怖くないわよ!」
 やけになってイルマが叫ぶ。その目に浮かんだ涙を見ればそれがやせ我慢であることは明白だったが――虫の様子が明らかに変わった。あえてそれを人間の感情に例えるなら、戸惑っているように見える。
 ダグはその様子を無言で見つめた。少女は無力でも自分を助けようとしてくれている。あれほど嫌いだと言っていたものに立ち向かう力が、この子にはあるのだ。
「この……」
 イルマが剣を振り上げる。そのまま手近な一匹に叩きつけようと睨んだとき、黒い刀身が強烈な光を発した。
「……なっ?」
 淡く輝く刃を生み出すはずの刀身からまばゆい赤光が生ずる。光はすぐに膨れあがって刀身より大きな球となり、イルマの頭上で弾けた。
 弾けた光は無数の光の矢となり、側にいた虫たちに一気に降り注いだ。一瞬後には虫たちは全身のあちこちを穿たれた姿となり、その体を薄れさせて消滅する。
「なに……?」
 その様に剣の本来の持ち主であるダグは目を見開いた。彼があの剣を手にして長いがこのような現象は見たことがない。
(……いや)
 その結論は簡単に出せる。虫が消えたためダグは身体を起こした。身体に痛みが走ったが動けないほどではない。
 イルマに近づくと、彼女は頭上で何が起こったのか分かっていないらしく剣を振り上げた格好のまま固まっている。ダグが軽く肩を叩くと、彼女はびくっと大きく身体を跳ね上がらせた。
 ダグはぽかんとしたままのイルマの腕をゆっくりと下ろさせ、指を剣の柄からはがした。手の中の重みがなくなりようやくイルマが我に返る。
「えっと……大丈夫?」
 まずダグを心配するあたりは立派である。ダグはイルマに笑ってみせてから再び剣を構えた。
 言葉より先に剣先が空を切る音が響く。ダグの斬撃――剣の本来のもの――により、残っていた虫たちはたちまち消滅した。
「急ぐぞ。時間が経てば、また何かが出現する」
 言うなりダグは通路の奥に向かって駆けだした。イルマは一瞬ぽかんとしてから、落ちたランタンを拾って慌てて続く。
「ちょっと、どうしたってのよ?」
「やっと分かった。ここのからくりが」
 通路の終点はすぐに見えた。そこはひときわ大きな空間となっており、その壁には無数の紋様と文字が彫られ、あちこちに拳大の透明な宝石のようなものが埋め込まれている。そして、その一部が淡い緑の光を発していた。
「……これ?」
「ここがこの<遺跡>の中心部だ。何のために使われていた場所なのかは分からんが」
 言いつつ、ダグは壁の発光しているあたりに近づいた。紋様の中心にある宝玉が、ダグの存在に気づいたかのように光の点滅を早める。
「こいつが原因だな。ここで起きた出来事の」
 言うなりダグは剣を引き、刺突の形に構える。そのまま踏み込むと、剣先は宝玉の中心に正確に食い込んだ。
「……あ」
 宝玉は壁から落ちて地面でいくつにも割れ、壁からも光の文字が消えていく。ほどなくしてランタンの光のみが二人を照らすようになった。
「これが……さっきのげじげじの原因?」
「これは推測だが」
 言ってダグはイルマを振り返る。イルマはその姿に目を丸くした。
「さっきまでわしらが戦っていたのは、この<遺跡>そのものだ。わしの剣と同じようにこの通路にも魔法がかけられている。もし侵入者が現れたら自動的に発動するように」
「つまり、門番を置く代わりにそういう魔法があったのね?」
 首を傾げてイルマが言うと、ダグは笑って彼女の頭を撫でた。
「そうだ。で、その侵入者を追い返す方法だが――魔法には、相手が何を考えているのかを読み取れるようなものもある。それを利用して、相手が嫌っているものを調べてそれを自動的に生み出し、見せつけるんじゃな。だからお嬢ちゃんがここに入ったら、怖がっていたあの虫どもが現れた」
 その説明にイルマは眉をひそめてダグを見つめた。
「この<遺跡>は地下にあるから、側の湖に来た人間がたまたまその上を歩くこともあったろう。その時もこの魔法が働いて、それを村の人間が湖の幻と呼んだのじゃろうな。警備のための魔法という性質上、<遺跡>から離れれば消えるから村には実害もなかったのだろうし」
 一方的に語るダグに、おずおずとイルマは口を開いた。
「あの虫が出てきたのはそれで分かった……けど」
 イルマはダグの顔を見つめる。その容貌は先ほどまでの若者のものではなく、いつもの老人の姿に戻っていた。
「爺さんがいきなり若返ったのも、それと同じ理屈なら。自分の若い頃が……嫌だったの?」
 その問いにダグは自嘲の笑みを浮かべた。
「わしは、これでも若い頃はちょっと名の知れた兵隊でな。この国の守り神などとも言われたものだが、実際はそんなものではなかった。国を守りたいから戦ったのではなく、ただ楽しかったのだな。敵の連中を倒すのが」
 老人の顔をイルマは静かに見つめた。
「敵の血にまみれて、それが栄光だと信じて疑っていなかった。だがある時に、お嬢ちゃんくらいの年の女の子を助けたら、怯えた顔をされて逃げられたよ。その時にやっと分かった。自分が勇猛な騎兵などではなくて、人殺しを楽しむただの化け物だと」
 だから軍を退いて誰も知人のいない田舎に引きこもったのだ、とダグは付け加えた。
 手に農具を握り、剣を取らずに過ごした日々の数だけ顔に皺を刻めば、いつかは化け物ではない別の人間になれるのではないかと思った。だが違ったようだ。見せられた過去の自分は、やはりあの戦場の悪魔の姿だった。
「……その女の子がどう思ったのかは、よく分からないけど」
 呟くようにイルマが口を開いた。
「あたしの知っている爺さんは、子供でで遊ぶのが好きで女の子にしょうもないことばっかり言って、野菜を育てるのはやたら下手で、本が好きで……それにここに来たのも、村の人が危険だと思ったからでしょう? あたしを助けてくれたし」
 イルマは言葉を切ってダグを見つめた。その瞳にあの少女のような怯えの色はない。
「人の嫌なものを見せるこの<遺跡>が、爺さんに若い頃の姿を見せたってことは、爺さんはその『化け物』だった過去が嫌だってことよね。そうやって、もう戻りたくないと思ったなら、それはもう『化け物』じゃなくなっているんじゃないのかしら」
「あ……」
 イルマの言葉にダグは無言で立ちつくした。
 もし本当の化け物なら少女の恐怖の視線すら賛美と受け取っただろう。だが自分はそれを悪夢の記憶とし、今まで静かに生きてきた。確かにそれは、敵の血のみを欲する狂戦士の変化であったろう。
 過去を変えることはできないが、それとは別の道を行こうとする限り自分は変わることができる。変わっていたのだ。
「……そうか。そうだな」
 不意にダグが笑い出した。突然の変化にイルマがぽかんとするが、ダグはそれに気づいた様子はない。
 ひとしきり笑った後、イルマに向き直ったダグの顔はすっきりとしていた。
「さて、村に戻るか。もう日が暮れているかもしれん。母上が心配するぞい」
 言ってダグは床から石ころを拾い上げた。見たところ壁の一部が崩れ落ちた破片のようで表面には紋様が刻まれているが、その意味はイルマには分からない。
「あ、ちょっと待ってよ!」
 すたすたと歩き出してしまったダグをイルマは慌てて追った。


「さて、お嬢ちゃんには礼をせんとならんな」
 <遺跡>を出てみるともう日が暮れかけていた。早足で村への帰路につきつつふとダグがこんなことを言った。
「へ?」
「さっき、お嬢ちゃんには助けてもらったからな。命の恩人に礼をせんほど、わしは礼儀知らずではないぞ」
 ダグが虫に踏みつぶされかけたとき、彼をかばって剣を振るったことを言っているのだろう。あの時何が起こったのかはよく分からなかったが、とりあえずイルマは頷いた。
「じゃあ、何をくれるの? 髪飾り? 上等の肉?」
 喜色満面のイルマにダグは苦笑して手のひらを開いた。先ほど<遺跡>から拾ってきた壁の破片だ。
「これはお礼って言わないわよ。だってそれ、ただ拾ってきただけじゃない。そもそもあの場所はあたしが見つけたんだから」
 噛みつくように言うイルマに、ダグはにやりと笑った。
「そうじゃな。だから礼はこれではない。礼というのは、もしお嬢ちゃんが望むならこれに一言付け加えてやろうと思ってな」
 言葉の意味が分からずイルマは眉を寄せた。
「首都の学院にこれを持って行ったら、お嬢ちゃんと母上が一生遊んで暮らせるくらいの金で買い取ってくれるぞ。連中は新しい研究対象が喉から手が出るほど欲しいからな」
「学院って……あの、魔法技師たちがいる?」
 イルマの問いにダグは小さく頷いた。
「そもそも現代の魔法というのは、あの<遺跡>に使われている技術を研究して、今の人間にも扱えるようにしたものだ。まだ研究は発展途上で、<遺跡>の技術に比べたら、人間の魔法など稚拙もいいところだがな」
 言ってダグは自分の黒い剣を腰から外し、イルマに見せた。
「それもこの一つだ。もう一つの刃を生み出す魔法がかけられていて、呪文なしで魔法を使うことができる」
 その威力はイルマも間近で見たとおりだ。
「だが、魔法を使える人間というのは生まれつき決まっている。それは知っているじゃろう?」
 イルマは頷いた。魔法は強力な力だが、生まれたときから使えるか使えないかが決まっているのだ。その条件が何なのかはまだ学院でも分かっていない。
 生まれてくる子供が魔法技師であれというのはどの親も一度は夢見ることだ。子供には将来の高給と出世が約束されている。能力を持たない者にとって学院とは決して手の届かない栄達なのだった。
 教会は<遺跡>と同様に魔法の存在も認めておらず、学院とは壊滅的に仲が悪い。だがこの強大な力を国が放っておくわけがなく、魔法に関するものは国の統制下にあるのだ。
「わしもその一人だ。もっともわしは魔法は三流で、剣だけやたら得意だったものだから、魔法の剣を与えられて戦場に出ていたわけだが」
 ふむふむとイルマは頷いた。ダグが苦笑する。
「そして、お嬢ちゃんもさっきのこの剣の魔法を使うことができた。魔法の正しい使い方の訓練を受けていないからほとんど暴発に近かったが、魔法技師の体質であることは間違いない」
「……え?」
 いきなりの話にイルマは目を丸くした。
「魔法技師って……あたしが?」
「わしの礼というのはそれだ。連中はやっきになって<遺跡>を探しているから、その破片を売るだけでも金にはなるだろう。が、もしお嬢ちゃんが望むならわしが学院の若造どもに一言言ってやろう。この子には魔法の才能がある、よろしく教えてやってくれと」
 つまりダグはイルマに首都の学院で学べるようにしてやると言っているのだ。あまりに唐突な話にイルマは足を動かすのも忘れて立ちつくす。ダグは先を急ぐことなく彼女を待った。
「ええと……」
「すぐに答えを出せとは言わんがな。母上ともゆっくり相談して決めなさい。ああ、首都までの旅費が問題だが……わしにもそれくらいの蓄えはあるからそれで工面してやろう」
 言ってダグがイルマに見せた笑みは今まで見たことがないほど優しいものだった。
 イルマはぼんやりと考えた。村の外は、首都はどんなところだろうと思いを馳せたことはあった。だがそれは遠い憧れに過ぎず、こんな唐突に機会がやってくるとは思わなかったのだ。
 自分ひとりが外に出て母は大丈夫なのだろうか。田舎娘が首都などに行って果たしてやっていけるのだろうか。学院には貴族の子弟なども大勢いる。そんなところに自分が……
「……あたしは」
 言いかけたところで言葉に詰まったイルマの頭を、ダグはわしわしと撫でてやった。
「なに、心配はいらんよ。あの虫どもに立ち向かったお嬢ちゃんなら何とでもなる。あの心意気でいることじゃな」
 ダグが明るく笑った。前を向いて言う。
「さて、もう日も落ちた。今頃母上もかんかんに怒っていることだろうよ。母上は虫どもよりずっと強敵じゃな」
 気がつけば頭上には明るい月が出ている。それにイルマははっと我に返った。
「まずいっ!」
 母親の怒った顔と説教を想像し、イルマは慌てて駆けだす。それをダグが苦笑して追った。


 一月後、村から首都に向けて旅立つ老人と少女の姿があった。
 だが、それから後のことは、別の話である。

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